【我慢とは…】

人生、特に人間関係とは、
複雑、微妙、繊細、デリケート…
一度その関係がややこしく為ると、服のボタンの穴がズレて服を着る様なもので、
相手との関係はことごとく合わなく成ります。
親からは我慢しないと大人に成って苦労為るからね…
友人からも我慢せいや…
うぅん…我慢しないといけないんだ…
こう言う会話は、世間では結構有りそうです。

処が…この我慢為る心の底には自身を奈落の底へと誘う厄介な意だと思います。
どう言う事かと言いますと、
自分が我慢為るとは、
裏を返せば、あくまで自分は正しい道、善人の立場をとっていると言えます。
さて…そうでしょうか。
仮に、そうだったと為ると、
因果の法則、道理から
善人の立場(原因)からの行為からのその結果は、例外偶然は無く、必ず良い報い(結果)が有ります。
処がどうでしょう。
自分は正しいのだ…と
うぬぼれの心が出て来たりします。
そして…その意に固執して頑固一徹と為り、たれが止めても手に負えなく為って行く姿も有るかも知れません。
あくまで、相手が悪いから…
相手が謝るまでまで我慢為るんや!
この空気を感じた瞬間に、
周りはその人から逃げて行きます。
更には、その逃げてゆく後ろ姿を見て、おい!待て、
逃げるな…ひきょう者め!
腹が立って来て、時には暴力で相手を威嚇為る可能性も出て来ます。
それが叶わぬなら怒涛の怒り爆発為る。
それでも相手は無視して逃げて行けば、愚痴をこぼす、嘆き悲しむと言う流れがイメージ出来ます。
この姿とは善因→悪果を被る被害者を装う。
真の因果の法則、道理からは、万に一つも無い理に叶わぬ有り得ない筋道。
何故、そう為るのでしょう。真理からは、
原因と為る心がそもそも外れ誤りだからです。
これを自業自得、自因自果と言います。

我慢の心とは結局、苦しみの心と言えます。
物事の解釈はそれぞれ、
ものの見方でしか有りません。
即ち、暗い見方を為るから
苦しく為るのです。
ものの見方を逆転して明るいものの見方を為るのです。
或いは、その置かれている形は一見、マイナスに見える
ならば、全く違った解釈を為る様に為る。
物事の様相、姿とは、
苦楽、表裏一体です。
切り替えられる自由で素直な心が決め手です。
そう為れば、きっと良い果報が与えられる様に思います。


✬ここからはかなりハードルが高くなるお話。

もう一つ更に更に、
高い次元へと歩む方へ。

真の善、正しい道へひたすら歩んでおられる方なら…
前に進めば必ず壁は出て来ます。
真理から一つの見方をしますと…
とても聞き慣れない言葉、意味で【忍辱ニンニク】
※耐え忍ぶと言う意味です。
別言すると、
基本的には、自分と言う対称軸を消して行く精進努力為る。
その上で物事当たる。
※自分と言う対称軸を消すと言うのは、
自分と言う我を捨てると言う事です。
何故なら、真理から為ると我とは毒を含んでいます。
この毒を消さない限り、真の真理、真の穏やかな境地には辿り着けません。

言うは易し行うは難し…

思い立ってから インスタントラーメンのように3分では先ず出来ません。
日頃からの心がける中で、
☆継続は力なり
☆念ずれば花開く

自分と言う対称軸を消して行くとは、苦悩し我慢為る必要性がそもそも無くなります。

そう言う中で適当な時期に天は貴方に天佑テンユウ、力を与えてくださるはずです。




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