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【なぜ…】

世の中、世間、ちまたを見ていると、毎日と言っても良いほど他人の過ちしくじりを猛烈に総攻撃している姿がある。
裏を返せば、
あくまで自分自身は善人の立場。
然し、本当にそうだろうか。
一切の現象には必ず原因がある。
即ち、原因無くして絶対に結果だけが存在する訳が無い。
この法則、道理に100%例外や偶然はあり得ない。
これは今から約2500年も前から脈々と受け継がれて来た大宇宙の真理だ。
先程の他人を完全否定、非難
する姿、
即ち、自身は善人である(原因)
からのその結果の姿とは、
絶対、良い果報があるはずです。
処が、蓋を開けてみればどうだろう…
これ又、例外や偶然は無く、
非難していた当事者の様相とは愚痴や嫉むや悪口や不平不満……
それが叶わぬなら怒涛の怒り爆発と言うのが殆どでは無いだろうか。
その上、体内では脈拍は乱れに乱れ、急激に血圧上昇と共に免疫力も低下為ると言われている。
この姿はたれが見ても好ましいはずが無い。
即ち、災いの結果と言って間違いない。
法則、道理から為ると、
善因→悪果となっている。
例えば、スイカの種を蒔いたのにトマトが実る様なもの。
これは絶対にあり得ない話です。
悪い結果には必ず悪い原因が存在します。
アングルを替えてみるとどうだろう。
人間とは、善人とか悪人と言う、どちらか一方に偏った見方だけでは言い表す事が出来ないのが人間では無いだろうか。
更に、ものの角度を切り替えると、
あの大宇宙の姿そのものが人間のエッセンスだと作者は考えている。
どう言う事かと言えば、
極、簡単に表現為れば、
大宇宙には東西南北や 上も下も無い。
即ち、全く偏った姿が無い。
これこそ、真の人間の本質だと思います。
別言すると、本来の人間らしい姿。
先ほどの話は、この真理から逆修しているので、天がその報いとして与えている。
更に説明を加えると、
人間とは、ある事をきっかけ、条件、縁で、
善にも悪にも転じてしまう危うさを含む存在。
即ち、自分は今、それなりのきっかけ、条件、縁がタイトに結び付いていないだけの事。
作者の体験からもこの真理に間違いないと断言出来る。
別言すると、
人間にはそもそも、
………………【毒】……………
をも含んでいる存在だとも言える。
例えば、野菜や魚や肉は生の時は美しいが、一旦、煮込む
(縁)とアクがどこからと無く、必ず出る。
これなら話がしっくり来る。
では、どういう風に解釈すれば良いのだろう。
人間のやることなすこと…
こころの中に秘める事、
天の手のひらの上に存在する如し、
全ては天がお見通し。
自分が裁きに行こうと為るから悪い報いを被る。
…………【天が裁く】…………
客観的にそれをじっと眺める
基本的姿勢。
もう一つ更には、
同情、いたわり、寄り添う、慈悲の心を基本的に根幹として思想と為る。
そう為れば、肉体的にも精神的にも極めて穏やかな様相、姿の果報が天から与えられると考えると訳です。
一度そう言う機会があればどうだろうか。



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致知出版社様へ…
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