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人生をよりステキな時間に…

人生、長生き為るに越した事は無いでしょう。
その上、健康で長生きなら
更に良し。
然しながら…
其処には、内容がとても重要だと思います。
即ち、自身にとり、
例えば、
自分の好きな様にやりたい事をやり、好きな物を食べられ先々のお金の心配が要らぬほどの金持ち…
結局、それを望むなら、その人、個人の人生は有意義だと言える。
然し、普遍的なより価値ある人生に為るものの見方に付いて考えて見たい。
例えば、先程の富豪的な人生であっても、
仮に、毎日毎日…不平不満と怒りに痴れて、眉間にその境地を伺わせる雰囲気が滲んでいたならどうだろう。
恐らく、その価値は目減り半減を強いられるかも知れないし、然う言う時を砂時計の如し与えられた命の火を日日、使っている事、自体如何なものか。
アングルを切り替えると、
仮に、病気や怪我などで身体が不自由だとしても…
たれにとっても、与えられた人生の時空をより価値ある良いものに為る見方、考え方は無いものだろうか…

と言う観点を入れたのは他でもない。
今の時代の日本は、昔と違ってお金さえ出せば大概な事が可能だと思います。
また、今日は特に、
相対的観点、
例えば、健康か否か、金持ちか否か、長生きか否か…
イエス・ノー的な観点で自分自身の幸福度の物差しにしている一面が特に臭う。
即ち、健康なら良いが病気ならアカンわぁ…
金持ちは幸せやけど貧乏は絶対不幸ゃわぁ…
と言う具合。

お金の事で言えば、
人間は、年齢と共に老いて病気為るは極、当たり前の事。
いくらサプリメントを大量に摂取しても病気から逃れられない。
故に、その様なものの見方、物差しだけで一度の人生の幸福度を見ていたら、
サイコロの目、くじ引き的人生観では無いだろうか。
ある時、とんでもない羽目に陥るかも知れません。
即ち、極端に一方だけに偏ったものの見方、考え方が危うさを誘う。

さて、どうすれば良いのでしょうか。
ものの視点を全く切り替えて見ますと…
現在、自分自身の置かれた場所や境遇、立場、姿…
今、確かに此処に活かされて生きている事への厚い感謝の念を素直にもつ事で、こころの汚れが取れて行きます。
そして、同時に、自身の関わる周りの物の姿と、その価値が正しく見えて来ます。

感謝で受け取る者に豊かな 収穫 あり。

即ち、求めるものは外界には無く、むしろ、心中にあり。

これなら、普遍的たれにとっても与えられた人生の時空をより価値あるステキなものに出来るののでは無いだろうか。

………………………………………………

※此処からは唐人の寝言の如し、かなり読者の方は理解に苦しむかも知れない。
これは作者自身の体験からの
思想。

その価値を更なる次元を求めるならば、

………………【利他の心】…………

別言すると、優しく言えば、
基本的に、思考から自分と言う対称軸に拘らない、執着しない、囚われない生き方を為る。
ストレートに表現為るなら、
基本的には思考から自分と言う対称軸を消す事。

例えば、天が与えた
ご縁ある方に、特に、何かにとても困っておられる方の何かのお役に立てる姿、
例えで言えば、
こころの行為、口の行為、身体の行為が一貫して相手に利益的な行為を為る。
又、それが天命と悟り存在理由と為す。
その方の絶対の幸せを願える真の豊かさの有る境地。
絶対とは世間一般の言う事、意味では無く、自分と言う対称軸が有っては、先ず成立しない。
裏を返せば、
同時に自分自身の幸せへとも必ず、繋がっている訳です。

この境地こそ、大宇宙の真理だと思います。
一切の
物事、幸せ不幸せ、禍福、生死の次元を超えた恐れのない人生観。
これに勝る価値ある時空は略、無に等しい。
斯様に思う訳で有ります。


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