神社と川床(日記)
友人と貴船に行ってきた。
2か月ほど前に「川床(かわどこ)に行かないか」と打診されていたのだが、その高級感ある価格帯に手を出しそびれていた。その後自分が関西を離れることが決まったので、やってみたいことをやり残したくないと慌てて予定を決めたのである。
ご存知だろうか。川床は読みで指す場所が変わるのだ。「かわゆか」は鴨川沿いの店の床を延長して広い縁側のようにしたもので、「かわどこ」は貴船や高雄の、店の床とは独立して川の上に座敷を作ったものを指す。なので(かわどこ)と読みを指定されればそう、京都の奥座敷貴船か、紅葉の名所高雄になる。どちらも山の中にある避暑地である。実際、夏にしては体感温度が低く、九月中旬くらいの息のしやすさだった。
当日は日没を挟むくらいの時間に会席料理を予約して、日中は観光とすることになった。
貴船観光といえば貴船神社。水の神様を祀っていらっしゃるので、「きぶね」と濁らせずに「きふね」と読む。個人的に「きぶね」が言いにくいので土地名を指す時も「きふね」と言ってしまっている。まだ聞きとがめられたことはない。
せっかくなので、まあそこそこ大変だろうが、最寄り駅の貴船口から貴船神社まで歩こうと決めて叡山電車を下りた。
電車内には浴衣の男女が数組いて、その仲睦まじい様子に触発されて自分たちの周りの人間関係について話した。十年来の友だが、この話題については初めて聞く話が多く、興味深い時間だった。
そして歩いた。ひたすらに。
しかし、暑くない。いや暑いのだが、熱風は吹かず、汗は噴き出ず、太陽は照り付けず、湿度も低い。溽暑の街から来た者からすれば天と地の差である。
ひぐらしの声すら涼しさを演出してくれる。いまや失った、風鈴の音と扇風機で過ごせる夏がここにあると思った。
神社まで来ると、ずらりと並んだ灯篭の赤が木々の緑に良く映える。登りながらぱしゃぱしゃと写真を撮って、軽々神前まで上ることができた。
久しぶりのお参りなのでよく感謝をお伝えしたあと、水占みくじをした。貴船神社の中に流れる水におみくじを浮かべると文字が浮き出るという、ここならではのおみくじだ。
二人とも中吉だった。友人は内容が堪えたと見えて、結んで帰っていた。身近な人と自分のためにお守りを両手いっぱいにいただく人々の列に、同じように並んでお授けいただいた。人のために何かを選ぶというのはかなり楽しい。
その後は急いで石階段を下って、料亭へ駆け込んだ。
案内されて川床へ降りていくとぐっと気温が下がって、明確に涼しいと感じられた。明らかに確実に涼しい。感動するほど涼しい。扇風機もないのに爽やかな微風が吹いていた。
丁寧に作られた美味しい夕食を楽しみながら「凝縮された夏を感じる」「秋の夜の涼しさ。幸せだ」などと話したのを覚えている。
良い頃合いに冷たいであろう川の水に手を浸したかったのだが、食事と会話を楽しみすぎてすっかり遅くなってしまったので省略して帰った。友からは子供のようなことを試みるなと言われた。貴重な機会だというのに。
よく歩いてよく食べてよく話した。慣れ親しんだ場所を離れることを思うと寂しさもあるが、懲りずにいつかの話をいくつもした。これから先また何度でもこんな機会を持てるように願っている。
貴船神社のお守りは水琴窟のような音が鳴る開運の鈴を特におすすめする。理由は音色が涼やかなためと、我々も購入して満足しているから。是非。
貴船神社
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