あんなに分かりやすく空回りしてる

今日は大学がありました。授業がいつもより1時間早く始まったんですけど、そのこと先生に伝えてもらったのを忘れてていつもの時間割より2分くらい遅れて教室に入った。ら、いつもなら2分くらい遅れててもそんなに目立たないのに、みんなの目が来るの遅っ!て言ってた。なんでみんな教室に来てそう長くもたっていない時間なのに私にそんな目を向けるんだよ、と思ってたら、1時間前にもうみんな揃っていたんですね。教室に着いたばかりで頭が授業モードになっていない私を、すでに1時間近く教室にいて授業モードにしっかりと切り替え終わったみんなが、何ぼーっとしてんだよみたいな雰囲気で歓迎してくれたとしても、それはそんなにびっくりする話でもない。
とにかく、まぁ無難に授業が終わって、昼休憩と教室移動の時間が余って、特にお腹も空いてなかったし、なんだか朝から抱えているもやもやを聞いて欲しくて、別棟の学生向けのカウンセリングルームに行きました。そしたらなんとやっていないんですね。扉は隙間なくしまっていて部屋の明かりもついていない、いつも廊下にカウンセリング中もしくは今からカウンセリング可能かを教える看板が置いてあるはずなのにそれもない。でも近くの掲示板に貼られているスケジュールには今日の日付が赤丸で囲まれている。おかしいなと思って扉を開けようと試みるけれど、案の定、扉は鍵で閉まっていて開かない。もしかして、、、と思い大学の情報サイトを開くと今日の日付でカウンセリング室からのお知らせがのっている。内容は本日は急用がありカウンセリング室を閉室する、明日も事情によっては開室できないかもしれないというものだった。今日こそ、今までのもやもやを吐き出しきれる勇気をもてた日だと思ったのに。そうそう訪れることがない勇気を持てる日に自分の思いの丈をぶつけることができるチャンスをみすみす逃してしまって、どうやら今日はついていない日だという自覚が芽生えていた。
ガッカリしながらも昼休みが終わって、次の授業へと向かう。教室に着くと2週間休んでいた同じ班の女の子がついに来ていた。彼女が2週間休み、私がまた1週間休んだので3週間ぶりだった。グループワークのときに彼女がいるといないとでは全然空気が違うので、助かったと思いながらも残りの2人を待っていた。残りの2人は来なかった。結局、私たち2人で面倒くさい授業の面倒くさい作業を終わらせなきゃいけなくなって、非常にフラストレーションではあった。
でも、彼女と2人で話せるのはよかった。なんだか彼女からは根っからの明るさや人懐っこさを感じて話していると心が楽になる。おまけに顔も可愛らしい顔をしているので、なんだかすごい理想的な生き方をしているように見える。顔の可愛さは大きなアドバンテージとして、メイクやファッションを楽しむのにとても役に立っている気がするし、恐らくそこまで努力しなくても良い印象を人に与えられるだろうから、人への信頼感というのがしっかりと育ちきっている感じがした。なんだか人生楽しんでるオーラがすごい。ていうかこういう人でも人生楽しくないんだったらもう今世は色々諦めたくなるレベル。最近は、所属しているゼミの友達たちが就活に本腰を入れ始めて、焦らされるように就活に中心軸を合わせ始めたらしい。狙っている企業のレベル感からか、ESなども通らないことが多いらしいが、この人は普通に就職できるだろうという確信をもって言える。なにをいっても顔がいいというのは人と付き合う上で大きなメリットであることは変わりないし、カラッと明るく人懐っこい性格は、一緒にいるだけで気持ちが軽くなるような救いのような何かを感じる。やはり明るいというのはこの世の中にとってはとても重要なことであり、周りの人を救いうる類稀なる才能であると思う。それを知っている人ならばESさえ完成させて、直接顔を合わせた面接に場を移せば採用してもらえると思う。人事の人の中にも私みたいにいろいろ絶望して事切れそうな種類の人もいるだろうから、そういうような人だったら即採用だろうし。まぁ、とにかく勝手なアレだが日本人はというか人間は明るさっていうのにめっぽう弱いと考えている。だから彼女は絶対大丈夫だし、彼女で無理ならもう普通に私は無理。生きていくのは諦めた方が賢明かもしれない。もしかしたら彼女を周りの人が見たら普通の大学生じゃんというかもしれないけれど、そのくらい持ってない人からしたら持っているものが鮮烈に輝いて見える瞬間があるということだ。長話はここらへんで終わりにして今日はお母さんと一緒にお母さんの好きなものを作るためにスーパーの食材選びへと意識を移そうと思う。さようなら。

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