ナウ・ロマンティック

睫毛の先が重い。微睡みが視界を支配する。


心地よい揺れに身を任せ、やわらかくゆったりとした時間の流れを感じていた。





窓の外は見渡す限り山、森、川。たまに思い出したように開けた田んぼのド真ん中に飛び出してきたと思えば、再び切り立った崖の上に無理矢理敷かれたような線路の上を走り出す。


大阪駅から1時間圏内だというのに、電車で通るのが不安になるほどの大自然だ。


ちらほら乗り込んでくる地元の乗客らは、当たり前のように押しボタンで自らが使ったドアを閉めてから席に落ち着く。大阪の中枢ばかり往き来している私にとっては新鮮な光景だった。








そんな大変な旅路の末に降り立ったのは三田駅。


今日は最推しガチ恋エンジェルの阪神・伊藤隼太選手が出席するトークショーが開催される日なのだ。





ADHDなので会場までの地図など用意しているはずもなく、駅の降り口を既に間違っているという知覚統合87ムーブをかまして絶望しながらも、なんとか会場に入る。





まず驚いたのが、イベント当日だというのに会場にポスター1枚貼られていないこと。


そういえば前日にホールの公式HPをチェックしてもこのイベントの開催には一切触れられていなかったので、日や場所を間違っているのではないかと不安になった。


また、地元で若干数のビラ撒きはあっただろうが、全国ネットの媒体としては選手本人のSNSと主催のTwitterアカウント(フォロワー170人)くらいでしか宣伝されておらず、またその広報のビラのデザインも異様にチープであった。自分もInstagramをチェックしていなければ絶対見逃していた。


当日も一見席は埋まっているように見えたがA席の殆どは少年野球チームや高校の野球部といった団体客で、さらには当日券まで出ていた。





広告費だけでなく、チャリティーイベントと銘打ってあることから、おそらく三田市サイドが安く市営ホールを貸しているはずなのでハコ代も殆どかかっていないと思う。


S席4000円でプロ野球選手に会えるからくりが漸く飲み込めたところで、13時30分。


幕が上がり、私設応援団の演奏が始まった。





序盤でもっとも楽しみにしていたのは勿論、当日までひた隠しにされていたシークレットゲストの選手。


隼太ファンではなく阪神ファンの目線から客観的に見た伊藤選手の人気や知名度を考えれば、(めちゃくちゃ失礼な話だが)そこまでの期待はしていなかった。


私の周囲で具体的に誰を予想していたかは本格的に失礼なので伏せるが、少なくとも「伊藤隼太」をメインで売っていた以上、そのレベルを越えてくることはないだろうと。





なんと現れたのは、大山選手だった…………





司会者は「頑張りました!」と言うが、これはちょっと頑張りすぎではないか。メインである伊藤選手の登場以上に会場が盛り上がってしまっていた。


まさに誰も予測しなかったであろう大ゲストに喜びの反面、やや釈然としない気分でもあった。


もちろん、私の中では伊藤選手が堂々のメインである。登場した瞬間、ピシッとスーツをまとった姿の美麗さに早くも心を打たれ涙が溢れそうになってしまった。


ちょっと男前すぎじゃないか?いつかのトークショーで着ていた明るいグレーのスーツよりこっちの方が好きだ。無理。好き。死ぬ。重婚してくれ。







詳しいトークの内容に触れることはさすがに遠慮するが、少し気になったくだりがひとつある。





「伊藤選手は年末年始どのように過ごされましたか?」


「年末は大学……慶応のほうに挨拶させてもらって、それからお正月は実家に帰って親戚と過ごしてましたね。小さい子供の相手してあげたりで、結構体力使っちゃったり」


「伊藤選手のところはお子さんは……」


「そうですね、ちっちゃい子が」


「大変ですね~」





という場面。


みんな普通に聞き流してたように見えたけど、えっみんな隼太に子供いるの知ってたの?知らなかったの自分だけなん?えぇ??それとも聞き間違い?だとしたら何て言ってたか教えてほしい気になりすぎて夜も眠れない。






そして、トークショー・抽選会・真弓さん&今岡さんによる野球塾ときて、ついにチャリティーオークションの時間になる。





「隼太が居酒屋で食った手羽先のガラでも買う」と豪語していた私は、貰ったばかりのお年玉に加えて、コンサータ代になるはずだった貯金のうち数万円を下ろしてきていた。


勿論全額使うとは言っていないが、罪悪感がすごかった。


中盤以降、非売品や実使用品に移ると値段がはね上がっていくのは分かりきっていたので、なるべく序盤の流通品の段階で勝負しておくことに。





そして、23品目中の4品目め。序盤も序盤で登場したのが、「流通品のスポーツバッグ」……に、





『伊藤選手が目の前でサインを書いてくれて、それを握手と共に直接手渡してくれる』というもの。





要するにこっち(接触)がメインじゃん。実質『愛する隼太に直接告る権利』じゃん。


スタートは3000円。普通に吊り上げていくつもりで手を挙げてとりあえず5000円を提示する。





……と、静かになる会場。誰もそのあとに手を挙げる人がいない。非売品でも実使用品でもないためモノ自体の価値も低く、オークションも始まったばかりなのでまだ様子をうかがう人が多いらしい。


いや、それにしても一応サイン入りのグッズだぞ?


5000円以上出す人がいないって、隼太(さん)がナメられてんのか?それとも野球選手との2秒の接触に5000円出す私が頭おかしいんか?





訳が分からないうちに結局5000円の値のまま私が競り落とせてしまった。


しかしそんな複雑な気持ちよりも、今はまず目の前の伊藤隼太(さん)が優先だ。





ひとまず壇上に上がらなければ、と席から立つ。


全身が心臓になったかのような動悸で、目がチカチカする。顔面の表情筋が完全に固まっていて笑顔のひとつも作れない。息ができない。死ぬ。





ぶっ倒れそうになりながら震える手で紙幣を渡し、隼太(さん)の目の前に立つ。


きりっと微笑みながら、金のインクでサインがされたスポーツバッグを両手で丁寧に手渡してくれる。そしてガッチガチに固まり返った私の手と、しっかりと握手をしてくれた。


大きく柔らかく温かいその手の感触が、脊髄を伝って脳に焼き付いてゆくのを感じながら、





「大好きです……!」





泣きそうになりながらも、ちゃんと目の前の隼太(さん)の目を見て伝えることができた。


何度も口に出してきたこの言葉。甲子園のライトスタンドからなら隣のおっさんにドン引きされる大声で叫ぶことができたのに、打席に立つ度何度も声を枯らしてきたのに、今は震える声で噛まずに伝えるだけで精一杯だ。





隼太(さん)は黙って笑ってくれた。


白い歯を覗かせて、目尻にしわを作って、満面の笑みをくれた。


画面越しに何度も見た笑顔を、ついにゼロ距離で独占してしまった。その光景は今も目を閉じればすぐにでも浮かんでくるし、一生忘れることはできないだろう。





壇上で踵を返し、自らの座席に戻る。


ますます強くなった緊張の残り香と、たった今受け取った幸せが左胸から全身へ鼓動となって伝わってきて、スムーズに座席を下ろして座ることすら難しかった。


終始、関節のどこかがストレスに耐えかねて“取れて”もおかしくなかったな……と、意味不明な余韻に浸りながら、バッグを抱き締めた。





[https://twitter.com/sy_0D/status/1081490655862345731:embed#「隼太に直接告る権利」を競り落としたらサイン入りの鞄がついてきた https://t.co/OrAzd1Vbhq]




手持ちは予想以上に残ってしまった。


しかしアイドルのチェキ会じゃあるまいし、接触目当てでオークション周回なんてブルジョワジーな芸当はできない。


それ以降も正直手を挙げたくなる瞬間はあったものの、安く落とせた分残りは治療費に充ててしっかり治せという思し召しだと思うことにして、おとなしくオークションを観察していた。





品物のラインナップもさることながら、子供たちが懸命に振り絞って提示した額を容赦のない大人が即座に上塗りしていくさまがメチャクチャ面白かった。






終演後。


案の定電車で眠ってしまった弟を降車駅で起こさなければならないため、眠ってしまわないように行きと同じ三田-大阪間の小一時間を立って過ごした。ただ勝手に楽しんでいただけじゃなく、ちゃんと「お姉ちゃん」もしていたんだぞ(好感度アップ)





そして帰宅後、物販で買ったシークレットのチャームを開けるとロサリオが当たるというオチまでしっかりついて、長い一日も幕を下ろした。






それにしてもゲストの4人が2時間半ほぼ舞台に出ずっぱりで、抽選会・オークションの品物もあの量をひとりひとり丁寧にサイン書かせて壇上で手渡しさせるって正気か?


いくらハコ代広告費限界まで削ってたとしても、これで参加者からの徴収が4000円or3000円ってやっぱりおかしい。まして利益は全額三田市の市政に寄付するってどう考えても採算取れないと思う。内訳が知りたい。


主催のさんだ虎の会実行委員会さんが本当に本当に頑張ってくださったんだな、というのを改めて実感できる神イベだった。


機会があればまた三田市にも遊びにいってみようかな~!

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