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心が、死んでいたんだ

誰が悪いわけでもない。
自分が悪いわけでもない。
だったら、この苦しさはどこから来るんだろうか。

多分、働き始めてからずっと、ずっと、こんなことを考えていたと思います。

仕事が嫌なわけではない。
人間関係は、比較的話を聞いてくれる人に出会ってきた。
妻には何でも話せる(隠していてもバレるので吐かされる、の方が正しいか笑)。

客観的に見て、環境には恵まれているよなぁと思う。

でも、ふと、しんどくなる。

「考えすぎ」
「仕事のしすぎ」
「頑張りすぎ」
「真面目すぎ」

そんな言葉をかけられて、休んでいいよと言われて休む。

休めば元気になる。でも、ある程度経つと、またしんどくなる。

「同じことをやらかしてるなぁ」
「またこれか」

そう思う自分がいて、嫌になることもしばしば。

そんなことを、ずっと繰り返してきた。ずっと繰り返しているのに、なんでこんなにしんどいのか、全く理由が分からない。

ある時は、考えや、やるべきことの優先順位のつけ方を学んだりもした。少しずつ、整理ができるようになって楽になった。

でも、そのうち処理が追いつかなくなって、それがしんどくなる。

「あぁ、またこれだ」
「できないやつやなぁ」

果たして、何がこんなに自分をしんどくさせるのか。ずっともやっとした霧の中を歩いているような、そんな気分でした。

でも最近ね、少し光が見えてます。

しんどい中にも、光みたいな瞬間があるなぁと。

土鍋で炊いたご飯が美味しいこと。
公園で会った鳩の目が、赤いことに気づいたこと。
川辺の階段のコンクリが、陽に当たって熱いと感じたこと。
初めて会った人と、共感しあえる部分が会ったこと。
知らない土地で、現地の人からその土地の歴史を教えてもらえたこと。職場体験している生徒の笑顔が眩しかったこと。
家で、妻としょうもないことを話しながらゲラゲラ笑えたこと。

きっと、その瞬間、自分が何かを感じて、心が生きていたんやと思う。

振り返ってみたら、そもそも働き始めてからというもの、仕事の中で心が生きていたことって、なかなか無かったかもしれない。心を生かして仕事をしようという考えが、無かったかもしれない。

とにかく、慣れて、こなせて、そのチームの戦力になること。給料に見合う働きができる人になること。つまり、効率的で、生産的な人になること。心は後回し。心が何と思おうとも、まずは目の前の仕事を。

多分、そうしているうちに、心が死んでいても仕事ができる技術が身についた。でも、やはり心が無いことにはできない。そのうち、調子がおかしくなっていったんだろうなぁ。

そして、休んで復帰したとしても、やはり効率的で生産的な人になる働き方しか知らないわけだから、また同じことを繰り返しちゃう。

そんな、これまでの私。改めて言いますが、誰が悪いわけとかいうのは、全くない。むしろ、仕事を通じて、かけがえのない経験をしたなぁと思うことは山ほどある。

そしてこれからの私。心の存在に気づいたから、自分の心を生かして仕事をすることを勉強していこうと思ってます。

心を生かすことを優先するので、多分こんなことが起こるというのを、思いつく限りですが、先にお知らせしておきます。

・歩くのが、今までよりもゆっくりになります。
・忙しくて心が死にそうだと気付いたら、一人で外にお出かけします。
・慣れないうちはちょこちょこ休憩するので、効率は落ちます。
・心を生かすので、今までよりは地に足ついた発言や反応ができるようになると思います。
・心を生かすので、何で自分がそれをしたいのか、目指したいのかが分かった上で、仕事に取り組めると思います。成果を自分で定義して、その理由も述べられるようになると思います。

そして、なかなか慣れないもんやから、戸惑ったり、落ち込んだり、しんどそうにすることがあると思います。そんな僕をみた時は、こう扱ってもらえたら、嬉しいです。

・「心死んでないかー?」と声をかけてください。
・おやつを与えてみてください(味覚と優しい気持ちから、心が生き返ることがよくあります)
・外に連れ出してみてください(心が死ぬに連れて、動くことも忘れます)

さて、僕はこれからどうなっていくのだろうか。先が見えないのは、多分これまでと同じ。でも、心が生きることで、自分が進みたい方向、進みたくない方向が分かっていくんじゃないかな。ちょっと、自分に期待しておきます。

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