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眠れる奴隷とは〜ジョジョの奇妙な冒険「黄金の風」で語られる「運命」について

こんにちは!shintaroです!

 今回は、ジョジョの奇妙な冒険第5部〜黄金の風〜の最後のエピソードで登場する「眠れる奴隷」「運命」の意味についての自分なりの考察をしてみました!ジョジョの5部を見終わった後にみてもらえると嬉しいです!(もちろんですが、ネタバレ不可避なのでまだ第五部を最後までみていない方は、この記事を見ないことを強くおすすめします!

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僕の別のnoteでも「運命」について書いているのでそちらもぜひ読んでみてください!


軽くストーリー解説

(話が分かっている人は飛ばしてもらって大丈夫です!)

舞台はイタリアの都市・ネアポリス。街の青年ジョルノ・ジョバァーナは、自分の人生を明るい方向へと変えてくれた「ギャングスター」に憧れるが、子供にまで麻薬を売りつけるギャング組織・パッショーネのあり方に疑問を抱く。自分が組織に入団してのし上がり、ボスを倒して組織をのっとることでネアポリスの秩序を取り戻すーーそんな「黄金のような夢」を追いかけた彼と、その仲間たちの物語である。

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そんな彼らの物語を、「運命」という言葉と結びつけるのは、ボスを倒したあとに回想されるエピローグです。

ジョルノがボスを倒した後描かれるシーンはなぜか、ブチャラティたち五人がジョルノと出会う前、レストランで食卓を囲むシーンです。ジョルノと出会う直前の彼らがある一つの任務を行う話が描かれるのですが、途中までは一体なんで最終話にこんな話をもってくるんだ?と思ったことでしょう。(僕はアニメで見たので、最終話のギリギリまで意味のわからない過去の話が続いていたことにワクワクしていました笑)
普通だったら最終話では、「〜年後・彼らはどうなった」的なエピローグが描かれるはずです。ですが、ここであえて過去のこのエピソードをいれたことによって、この5部の完成度はとても素晴らしいものになったと思っています。
エピローグの話をざっと解説します。依頼を受けて調査に行ったミスタの前に現れたのは、スタンド使いの彫刻家・スコリッピ。彼のスタンド、ローリングストーンズの能力で、近いうちに死ぬというブチャラティの姿が映し出されます。彼のスタンドは、その石にブチャラティが触れると、彼(ブチャラティ)が周りに利益を生み出した上で(安楽死した花屋の娘の臓器のおかげで父親は長生きできた)、苦しまずに安楽死できるという能力です。大事なのは、スコリッピのスタンド能力が未来を決めているのではなく、すでに決まっている運命を映し出しているだけだということです。そんな石を見たミスタは、体をはってその石を壊し、ブチャラティがその場で安楽死するのを命がけで防ぎます。しかし、その結果石はブチャラティだけでなく、アバッキオやナランチャの姿をも映し出してしまいます。ブチャラティが死ぬという運命は決して変えられず、その運命に抗おうとしたことで、多くの仲間も死んでしまう、さらなる苦難の道を進むことになってしまったという話です。

今回は、この運命についての考察をしていきたいと思います。


多用される「運命」という言葉

一度最終話まで見てから話全体をもう一度振り返ってみると、運命という言葉がいくつも使われていました。作者の荒木先生にとっても、この運命は重要なキーワードだったんだと思います。


ブチャラティ「これは「運命」だとオレは受け取ったよ 「天」がチョッピリだけ許してくれた偶然の運命だってな・・・」(ジョルノに自らの死を告げるシーン)
ブチャラティの過去回想シーン 「「運命とは自分で切り開くものである」と、ある人は言う・・・ しかしながら!!自分の意思で正しい道を選択する余地などない「ぬきさしならない状況」というのも人生の過程では存在するッ!!」
ミスタの過去回想シーン 「人間にはそれぞれ定まった運命があるものだ、ということを彼は学ぶ。 人は若い頃足ぶみをしたり遠回りをするのだが、結局は自分の「向かうべき道を歩んでいくものだ」ということを・・・」
ナランチャの過去回想「これは運命なんだ・・・ オレはもうすぐ母さんと同じように、この目の病気で死ぬんだ・・・!」

このような使い方から、「運命」の意味は、「人間の努力・意思では変えられない結果」という意味だと僕は考えました。このような意味では、どのような意思を持とうが、どのような努力をしようが、変わらない結果の前にはその過程は無意味なもののように思えます。ここでつながってくるのが、ディアボロのスタンド、キングクリムゾンの能力です。


過程と結果

先ほどの段落で、「運命=人間の努力・意思では変えられない結果」という話をしました。キングクリムゾンの能力は、「過程の存在を消し飛ばし、結果だけを残す」能力です。

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このキングクリムゾンの能力はまさに、運命(定められた結果)の残酷さを表したものだと言えるでしょう。

ここで僕が思ったのは、ブチャラティたちがディアボロと戦う構図は、過程を大切にする心と、結果だけが全てだという心の対立に似ているということです。これは最終話のエピローグがあるからこそ言えることなのですが、ブチャラティ(アバッキオ・ナランチャ)は、ローリング・ストーンズが現れた時点で、もうじき死ぬという運命を背負っていて、戦いの中で死んでしまうという結果に向かうことが示されています。この「死」という結果は運命なので、変えられないものですし実際にその通りになっています。しかし、ブチャラティはその場で安楽死をすることはなく(ミスタの行動だが、彼はブチャラティの部下であるしきっとブチャラティもそうしているはず)、自分の覚悟に従ってボスを倒すという道を切り開いていくことになります。この意思がスコリッピの言っていたような「大いなる意味」となるのだと思います。

また、過程の大切さをはっきりと示しているのはアバッキオの最後のシーンにでてくる彼の同僚の警官です。(ここのアバッキオには涙を誘われます😢)

「そうだな・・・私は結果だけを求めてはいない。結果だけを求めていると人は近道をしたがるものだ。近道をしたとき、真実を見失うかも知れない。 やる気もしだいに失せていく・・・  大切なのは真実に向かおうとする意思だと思っている。」

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過程を大事にする=覚悟をもって道を切り開く

この過程を大事にすること、というのは今回の大きなテーマだと思うのですがここで重要なキーワードがあります。それは「覚悟」です。

ジョルノ「覚悟とは!! 暗闇の荒野に進むべき道を切り開くことだッ!!

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この言葉は自分の中でとても印象的に残っています。ここからは完全に自分の感想なのですが、人はどのような道を進もうが、最後には定められた運命にたどり着くことしかできません。ですが人はその途中で、あらかじめどんな結果になるのかを知ることはできません。運命なんてものは目に見えませんし、未来のことはわかりませんから。そんな先の見えない暗闇の荒野で、受動的ではなく自らの意思で道を切り開いていく力、それが覚悟だということです。

運命の奴隷・眠れる奴隷とは

ここでやっと本題です。「眠れる奴隷」という言葉は、ブチャラティとスコリッピの二人が使った言葉です。

ブチャラティ「運命とは、眠れる奴隷だ。オレたちはそれを解き放つことができた。オレたちがここまで到達したことが・・・完全なる・・・勝利なのだ」
(ボスに勝利したジョルノに向けて)
スコリッピ「我々はみな、運命の奴隷なんだ。やはり形としてでたものは、、、変えることはできない・・・  何者たちか知らないが彼らはこれで「苦難への道」を歩みそこで何人かは命を落とすことになる!・・・
(中略)だが、彼らがこれから進む「苦難の道」には何か意味があるのかもしれない。彼らの苦難が、どこかの誰かに希望として伝わっていくような、何か大いなる意味となる始まりなのかも知れない・・・
無事を祈ってはやれないが、彼らが「眠れる奴隷」であることを祈ろう・・・ 目醒めることで、何か意味のあることを切り開いていく「眠れる奴隷」であることを・・・」

というような文脈でこの言葉は使われています。初めにこの言葉を聞いたときに僕ははっきりと意味を掴めませんでした。ですが、全体を振り返って考察してみると、何となく理解ができたように思います。


「眠れる奴隷」であること

ここまで話してきた運命や覚悟の考察から考える僕なりの「眠れる奴隷」の意味(メッセージ)は、

私たちはやはり定められた結果からは逃れられない、ただの運命の奴隷に過ぎない。しかし結果は変えられないが、自らの覚悟に従って道を切り開いていくことで、その過程はいつか大きな意味となり得る。奴隷は奴隷でも、いつか意味のある道を切り開けるような(今は眠っていて運命にただ従っているだけだが)奴隷。それが眠れる奴隷だ。 

↑この記事で一番言いたかったことでしたが、あんまり納得がいく内容にまとめられませんでした笑

​少し解説します。「眠れる〜」で連想されるのは、「眠れる獅子」だと思います。なので、それをもじっているのだと考えると、
「眠れる奴隷」=「秘めたパワーを持った奴隷」
ということになり、
「奴隷が秘めたパワーを発揮する」=「その生き様に大きな意味をもたらす」
になると思いました。
先ほども言ったように、ジョルノたちとボスとの戦いを描いたこの第五部は、運命に抗う気高き覚悟を表した作品だと言えるのだと思いました。


アリーヴェデルチ!

以上が、僕が考える「眠れる奴隷」の解釈です!少しでも伝わったら嬉しいです!
最終話でこの話を挿入することで、第5部はとても完成度の高い作品に仕上がったと思いますし、最終話で第一話の直前に戻るという発想は一体どこから出てくるんだ!と驚きの気持ちでいっぱいです笑
自分も、結果ばかりを求めるのではなく、その過程にも大きな意味を見出せるような人生を歩んでいきたいなと思いました!
それでは、アリーヴェデルチ!!

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