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安楽死の反対派に立ってみる〜個人的な視点と社会的な視点〜

皆さんこんにちは!
今回は少し重いテーマなのですが、世界各地で議論が盛んになっている「安楽死」について取り扱っていこうと思います。この問題について考えてみようと思ったきっかけは、前にZOPのslackで安楽死についての記事を見たことです。自分は前までは安楽死について肯定的な意見を持っていました。なんで反対する人がいるんだろうと不思議に思っていました。
しかし、安楽死の法制化が進まないのはそれなりに慎重にならざるを得ないから、反対意見に説得力があるからではないかと思い始めたので、安楽死をめぐる様々な意見について色々調べてみました。すると反対意見も納得できるもので、今まで賛成側の意見しか持っていなかった自分の視野の狭さに驚きました。
以上の経緯から、今回は完全に「安楽死法制化の反対派」に立って意見を述べていこうと思います。

はじめに

安楽死とは、難病を患った病人が、苦しい闘病生活を通して治療をしても回復する見込みがない場合、本人の希望に従って投薬などの苦痛の少ない方法を用いて医師が死に至らせることです。この安楽死には、積極的安楽死と消極的安楽死があり、これから話すのはすべて積極的安楽死についてです。消極的安楽死は「尊厳死」とも言われていて、治療末期の患者に対しての人工呼吸や胃のうなどの延命治療を中止して自然な死を迎えるのを待つということです。これ以上延命治療を続けても植物人間になって人間らしい生き方をできないと認められた時に行うものです。この消極的安楽死の方は日本でも認められています。
ここから先の「安楽死」はすべて、薬を投与して死期を早める「積極的安楽死」を示します。

安楽死賛成側の意見としては、「治る見込みもないのに長い間病気で苦しみたくない」「治療にはお金がかかるし、家族などに負担がかかってしまう」「最後は意識があるまま、楽に死にたい。死に方を選ぶのは人間の権利だ」などの意見があると思います。あるアンケートによると、実際に日本でも9割以上の人が安楽死を認めるべきだという意見を持っています。しかし安楽死を法制化することはそんなに簡単なものではありません。
安楽死を法制化するべきではない理由は大きく分けて三つあります。

①安楽死を施して良いかどうかの基準が曖昧である。

まず、患者さんは自分の病気について完全に知ることはできません。病気の性質、治る見込み、現在の進行度、、、などは医者が把握しているものです。なのでもし安楽死が法律で認められて、安楽死を望む患者さんがいた場合、本当に安楽死を施していいかは医者が決めることになるでしょう。しかし、医者によってその病気に対する知識や理解は異なるでしょうし、倫理観なども異なるでしょう。その医者には治療不可能でも、他の大きな病院に行けば治すことができるかもしれません。なので、一人の患者に対して医者ごとに安楽死を認めるかどうか異なってくる可能性があります。そんな曖昧な基準で左右していいほど人の命は軽くありませんし、安楽死の判断を下す医者の気持ちも考えてみましょう。「私の力ではどうしようもありません、あなたはもう死んでいいです」と言っているように聞こえなくもありません。(少し表現が不適切かもしれませんが)それに患者に薬を与えるということは間接的に医者が患者を殺すということなので、医者にも大きな心のストレスがかかることでしょう。

また、安楽死が法制化されることによって死へのハードルが下がり、闘病生活を頑張れば治る見込みがある人も死ぬほうが楽だから、と安楽死を望んでしまうかもしれません。安楽死を認める法律がなければこんな選択肢は生まれません。また、安楽死を望む患者の「意思」も曖昧なものと言えるでしょう。本当に自分の病気について理解しているのか? 病気によるダメージで精神的な疾患を患っていないだろうか? 本当に最後まで死ぬ覚悟を貫けるのか? 様々な手続きを踏んで安楽死が認められても、死ぬ直前に意思が揺らいだらどうするのか? などという問題点もあります。
(また、少し話はそれますが自殺と何が違うのか?という意見もあります。例えば若者の自殺はこれ以上生きるのが辛い、死んだほうが楽になれる、という意見が根底にあると思います。これは安楽死も大まかに捉えれば同じことだと言えますよね。)

このように、安楽死という命がかかった問題に対して、これらの基準では曖昧すぎます。ここで賛成派の人に言いたいのは、「本当に目も当てられないほどの難病に苦しんでいる患者が安楽死を望んでいる姿」のことだけを考えていませんか?ということです。そういう方々はもちろん安楽死によって楽になってほしいと思いますが、それは極端な例かもしれませんよ。

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上の図のように、連続的な視点でみてみると、どこから安楽死を認めていいかなんて基準作りようがないと思いませんか?


②安楽死の考えが根底にある歴史上の事件が存在している。

皆さん、第二次世界大戦期にドイツで大虐殺があったことはご存知でしょう。これはホロコースト と呼ばれるもので、ヒトラーが率いるナチ党が引き起こした事件です。この事件の根本には、「安楽死」の考え方が存在しています。
1939年、重度の障害者の息子を授かったナチ党員の父親が、ヒトラーに対して、その子に安楽死を施すように申請をしました。この父親の詳細は分かりませんが、もうこの子は生きていてもしょうがない、辛くなるだけだ、と思ったのかもしれません。
それに対してヒトラーは承認して、安楽死を実行しました。これをきっかけにして、先天的に重度の精神障害などを持つ人々に対して「安楽死」プログラムが実行されました。ナチ党によって「安楽死」が必要と判断された人々がシャワー室を装った監獄に入れられ、毒ガスで殺されました。このプログラムによって20万人の人が亡くなったそうです。

また、これだけではなく、20世期後半にアメリカを震撼させた事件として、「ドクターデス」の事件があります。彼は「死」について興味を持っていて、その研究をするために自殺志願者を集めて安楽死を施しました。その数は1990年から1999年までに130人に及ぶと言われています。
また、最近の例で言うと京都の医師が、SNSでつながったALSの患者の人に対して安楽死を施したという事件が起こりました。医師の口座にお金が振り込まれていたこと、医師が患者の担当医ではなく、病気の詳細を知らなかったことなどが問題となっていたそうです。

このように、安楽死に関連する事件が歴史上で数多く起こっています。そもそも安楽死の考え方自体が、「これ以上生きていても仕方のない人間は死んでもいい」ということもできるので、それを悪用する人間が過去に存在しました。これは法律化すべきかどうかには少し関係ないかもしれませんが、安楽死の問題点がわかってもらえたのではないでしょうか。


③より長く生きたい人が、間接的に死を選択させられてしまう可能性がある。

安楽死を望む人たちの理由として、これ以上治療費をかけると家族に迷惑がかかってしまう、病気に苦しみながら、辛い最後を遂げることは嫌だ、というものだと思います。仮に安楽死を認めて、早い段階で死期を早めても良い、となったとしましょう。ここで考えなければならないのは、「安楽死を望まない人々」への影響です。もしも安楽死が選択肢の一つとして存在してしまっていたら、自分は安楽死して死んだほうがいいのではないかと考える人が出てしまうのではないか、ということです。どういうことかというと、もしも極めて貧しい家庭の患者が、難病の治療を続けることでますますその家庭の経済を圧迫してしまっていることを考えてみましょう。患者本人は、多少なりとも迷惑になってしまっているという意識をもっているのではないでしょうか。「安楽死はダメ」と法律で決まっていれば、そのまま治療を続けるかもしれませんが、もしも安楽死が法律で認められたらどうでしょう。安楽死をすれば家族に迷惑をかけずに済むのでは?と患者が思いつめてしまうかもしれません。また、「安楽死が素晴らしいことだ」と美化されるようになってしまえば、本当は安楽死を望まない人も、周りからの圧力によって安楽死を選ぼうとするかもしれません。

このように、どのような形であったとしても法律が人の死を助長するようなものであってはならないのです。

まとめ

このように、3つの理由から、安楽死を安易に法律化してはなりません。安楽死を望む人だけではなく、望まない人、その周辺への影響を考慮しなければなりません。

反対意見に立ってみて

以上が僕の反対意見です。この問題に関しては正しい答えはないのかもしれません。しかし考え続けていくことは必要だと思います。これに関して自分が思うことをいくつか話してみようと思います。
まず、僕が難病になって治る見込みがない、病気に苦しみ続けるだけだ、となったらある程度のところで安楽死を選びたいと感じると思います。また、目の前にそのような苦しい状況の人がいたら、そうさせてあげたいと感じます。実際に安楽死ができていたらより幸せな最後を遂げられていただろうなという事例もいくつもあっただろうと思います。しかし、社会的にいろいろな影響を考えると、「ちょっと待った」と言わざるを得ないと思います。
つまり、タイトルにもあった通り個人的には安楽死に賛成だが、安楽死が認められている社会には反対だと思います。

今回色々調べてみて思ったことは、なにか自分が信じることがあったら、あえてそれに対抗する意見に積極的に触れてみることが大事だということです。そうすることで、自分が信じるものが変わるかもしれませんし、逆に曖昧な部分が晴れてより強く信じられるかもしれませんし。要はいろんな人と話をして、いろんな人の意見を取り入れていこう、ということです。

よし、いろんな人と話すぞ!!と意気込んでいましたが、新型なんとかウイルスの影響でまた今週から部活が活動中止になりました。 😨😨😨
もうしばらく家で筋トレ頑張ろうと思います、、、




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