「仮説思考」を読む

新人コンサルタントが必読書として進められることの多い内田和成さんの仮説思考を読みました。この記事ではそれに対する感想や批判、まとめを掲載します。

まずは筆者について調べました。

内田和成。経営学修士号取得後、1985年にBCGへ入社。2000年から2006年までBCG日本代表。2006年より、早稲田大学教授。論文数は3本、学会発表1。論文は3本とも日本の出版社から出ているようで、国際雑誌へ投稿された論文ではないように思われます。文系分野の文化をあまり知らないのですが、論文というよりコラムや本に近いもののように思われます。


序章:仮説思考とは何か


序章ではまず、仮説思考がなぜ必要であるのかを、筆者の経験を基に論じられています。その後、仮説思考を身につけるコツについてまとめられています。私個人の経験としても仮説思考は重要であると感じますが、筆者の仮説思考に対する必要性は些か度が過ぎているように感じました。また、それに対する根拠も筆者の経験という、弱い根拠のみであることも気になります。認知心理学の論文などを引用するといいように思われます。



第一章:まず、仮説ありき


この章では、「仮説思考とは何か」、「なぜ仮説思考が重要か」ということを30ページにわたって論じています。この章における個人的見解は4つです。

一つ目は、内容がまとまっていないことです。この章では「仮説思考で結論から考えれば、仕事は速くなる」ということしか述べいません。それにもかかわらず30ページも費やしていることからわかるように、内容は重複しており、節立てはMECEではありません。

二つ目は、やはり仮説思考を重要視し過ぎていることです。
 現代のビジネス環境ではイノベーションが叫ばれており、イノベーションを記述する経営理論としては、知の探索・知の深化の理論が有名です。イノベーションには知の探求と知の深化の両方が必要であるとする理論です。知の探求とは、新しい知の獲得です。一方、知の深化とは得られた新しい知を深め、ビジネスへ適用することを指します。こちらの理論は多くの経営学者並びに経営者の中でコンセンサスの取れている理論であり、ビジネスでは「両利きの経営」と呼ばれています。この理論は1991年にマーチが発表した"Exploration Nd Exploitation in Organizational Learning"が基になっています。
 批判のポイントとなるのは、仮説思考が知の深化に近い概念であり、知の探求が疎かになっていることです。仮説思考とは、「自らの経験を基に仮説をたて、その仮説を正当化するように情報収集する」ことです。筆者は知の探求を無駄の多い思考法と論じ、ビジネスマンにとって必要なのは知の深化であると解釈できます。マーチも1991年の論文で述べていますが、イノベーションの阻害となる原因は「合理的に考えると、知の深化に傾倒してしまい、知の探索を怠ってしまうこと」と述べています。これをコンピテンシー・トラップと言います。現在の日本企業においてイノベーションが起きない理由が、このコンピテンシー・トラップであると言われ、筆者の思考法はまさにコンピテンシー・トラップに嵌まっています。とはいえ、知の深化もビジネスでは重要であることに変わりはないため、批判となるのは仮説思考のみの重視であるといえます。
 知の探求を行うためには、合理性だけではなく、好奇心や気まぐれ、網羅的思考のような、非合理的な思考が必要です。つまり、仮説思考だけではイノベーションは起こらないということです。皮肉として、米国バイク市場においてホンダが大成功した要因をBCGが当時主流であったSCP理論を用いて説明していますが、当時のホンダが実際に行った戦略とは全く異なる、見当違いなレポートであったことは有名です。当時から結論ありきの思考が重要視されており、間違った結論に繋がったのでしょう。

三つ目は、著者は「仮説思考はビジネスだけではなく、あらゆる分野で通用する」と述べています。この主張の根拠として成功している研究者を引き合いに出しています。私は理論物理学の博士号を有しており、約10本の論文を提出しておりますが、研究には仮説思考と同様に網羅思考も必要であり、全ての研究者が仮説思考を用いています。理論物理学の研究ではまず、「知的好奇心」や「解けそうな課題」という軸で課題を設定します。そして予めどのような方向で解決したいかを定めてから計算を行います。これは確かに仮説思考です。この思考方法は成功している研究者に限らず、全ての研究者が行っていることです。そして画期的な論文というのは、好奇心による網羅的な思考によって収集された知が、全く別の分野へ適用されています。

最後に、仮説思考による結論の危うさです。仮説思考では少ない情報を基に結論を仮定し、大きなストーリーを作る思考法です。「少ない情報からストーリーを作ってしまうと、誤ったストーリーとなるのでは?」という疑問は当然です。実際に筆者もこの点については言及しており、「ストーリーが間違っていれば、正当性を証明する根拠を集める段階で修正される」としています。しかし、BCGのホンダレポートは実態とは異なる論理を提唱してしまっています。確かにホンダの米国バイク市場における成功はSCP理論によって完全に説明できますが、実態とは異なってしまっています。実態と異なる論理を提唱してしまった理由は二つです。一つは、ホンダ幹部にヒアリングを行わなかったこと。仮説思考の大きな罠は、自分のストーリーを補強する証拠のみを集めてしまうことです。これは情報収集における有名なバイアスであり、人間である以上は避けられません。バイアスを減らす最も効果的な方法は、目的を持たずに情報を収集することです。仮説思考はバイアスにハマりやすい思考法と言い換えることができそうです。もう一つは当時すでに提唱されていた企業行動理論を知らなかったことではないでしょうか。効率を重視する情報収集を常日頃を行なっていたためか、SCP理論のみを過信し、企業行動理論を知っていなかったのでしょう。仮説思考は確かに重要ですが、好奇心による網羅的な情報収集を行なっていれば、企業行動理論を知る機会はあったでしょう。



二章:仮説を使う


二章で論じられていることは大きく二つです。一つは仮説思考を用いた問題解決の方法。もう一つは仮説思考を用いたストーリー構築の重要性です。基本的には一章、何なら序章で論じたこととほとんどお同じで、新しい主張はありません。ただし、仮説思考を用いた問題解決の例が記載されています。内容はこれまでの章と同じなので、改めて批判する箇所はないです。強いて言うなら、例だけ記載してその他の文章をカットした方がわかりやすいということでしょうか。



第三章:仮説を立てる


この章ではこれまでの話とは一変して、どのように仮説を構築するのかという話をしている。まず初めに仮説の種となるアイデアが生まれる瞬間について論じ、その後、具体的な仮説を構築する方法を解説している。気になった箇所は4つである。

まず、私の読解力がないのが原因かもしれないが、おそらく筆者は「仮説の種となるアイデア」と「仮説」というものを別ものと捉えているが、この文脈が明確ではない。筆者は「仮説の立て方は人それぞれで定石はない。仮説構築には様々な方法がある。」と述べており、正直何が言いたいのか分かりにくい。やはり、全体的に話の構成が綺麗に分類されていない

二つ目は、コンサルタントが仮説のアイデアを閃く瞬間ランキングが掲載されているが、根拠がBCG社員アンケートと、やはり根拠が弱い。また、いずれも経験に依るところが多く、より深い考察が必要であると感じる。例えばランキング1位の「ディスカッション中」であるが、どのような相手とどのような環境でディスカッションを行うと良いのか。この辺りまで明らかにすることで、初めて読者に有益な情報が提供できるのではないのだろうか。

次に、「分析結果から仮説を立てる」という節において、筆者は「分析とは本来は仮説検証のために使うものだ」と述べているが、私はそうは思わない。この主張が真となるのは、「全ての物事を仮説思考で考えるべき」と考えた場合のみである。網羅思考による分析、その他にもデータ探索などは分析を仮説検証以外の目的で用いているように感じる。また、何度も述べているように、仮説検証のためにデータ分析を用いると、強いバイアスが含まれてしまい、誤った意思決定に繋がってしまう。「データ解釈学, 江崎貴裕」を読まれると良いでしょう。

最後に、仮説を構築する際にゼロベース思考が必要としているが、ゼロベース思考と仮説思考は真逆の概念ではないのだろうか?持っている仮説を全て捨て、網羅的に考える思考法がゼロベース思考である。筆者は序章にて網羅思考で仕事をしてもうまくいかないと断じている。しかし、仮説構築の際には網羅思考を用いている。私はここに致命的な矛盾があるように感じる。



第四章:仮説を検証する


この章では仮説をどのように検証するかを論じています。筆者は仮説検証法として実験、ディスカッション、分析という3種類の手法を紹介しています。最後の節には具体的な分析手法として定量分析の基本をまとめています。この節における批判のポイントは3つです。

これまで同様に、仮説思考の重大な欠点としての「バイアス」への対処が気になりました。いずれの検証法においても、結論ありきで、結論を正当化できるように検証を行っています。筆者は検証の途中で仮説に誤りがあれば必ず気づけると主張しています。しかし私の個人的な見解では、仮説を正当化するように分析をしてしまうと、仮説を偽とする情報を集め損なう可能性が大いにあります。特に人間は自分の信じたいものを信じるというバイアスの強い生き物です。少なくとも仮説思考型の人は、「仮説思考はバイアスに気をつけねばならない」ということを自覚する必要があると思います。

次に、節立てです。これまでの章でも繰り返し述べていますが、節立てがMECEではありません。数多のロジカルシンキング本が「話はMECEに!」と述べているにもかかわらず、多くのビジネス本、延いてはMECEを説明しているロジカルシンキング本すらMECEではありません。そしてこの「仮説思考」も例外にもれずMECEではありません。具体的に、筆者は分析手法を3つに分類していますが、この分類がMECEではないのです。3つの分析手法は実験、ディスカッション(議論)、分析です。まず、実験という手法を考えてみます。実験によって得られるものはデータであり、分析は必須となります。そして、どのような場面においても議論も必須です。つまり、仮説検証では必ず議論が行われ、データがあれば分析、データがなく資金に余裕があれば実験。という層構造または木構造であるように感じます。そのため、節立てをMECEにするのであれば、「コストの有無」、「データの有無」のように想定される実際の状況ごとに分類して説明するのが良いのではないでしょうか。

最後に、定量分析で紹介されている手法が、手法ではないことです。例えば「時系列による分析」が紹介されていますが、「時系列」はデータの種類であり、実際に筆者が行っているのは、可視化によるデータ解釈です。初版の2006年時点では詳細な議論は不要だったのかもしれません。しかし、2021年現在ではデータは重要な資産であり、データに関するより専門的な知識が必要な時代です。その意味でこの節は時代にあっていないのかもしれません。


第五章:仮説思考力を高める


最後のこの章では、どのように仮説思考力高めれば良いかが紹介されています。読んでいて以下の点が気になりました。

まず、筆者の主張によると、「仮説思考力が高いということは、最初から筋の良い仮説が立てられることを意味します。そして、筋の良い仮説は仮説検証の繰り返しによる改善の結果と考えることができます。つまり、仮説思考力が高いという状態は、無意識に素早く脳内で仮説検証が行えることなのです。」この主張は論理が通っているように感じ、納得できます。しかし、筆者はそのためには経験しかないと述べています。この主張に関しては些か当たり前のように感じてしまい、解決策になっていないように感じます。むしろ、経験のみに基づいて仮説思考力が高まるのであれば、全人類が仮説思考を有していることになり、本書の意義が失われるように感じます。例えば筆者は、「専門家は経験による間によって素人よりも良い結果が出せる」と述べています。その理由が経験による仮説思考にあるのであれば、専門知識と経験を有している人間は全て仮説思考型の人間です。そして全ての人は何らかの専門家であるため、全ての人が仮説思考型の人間です。仕事ができない人というのは、仮説思考ができないからではなく、その仕事に役立つ経験と知識を有していないからとなります。

次に、筆者は古畑任三郎や刑事コロンボは仮説思考によって犯人を見つけていると述べていますが、現実的には望ましくないですよね。「刑事の感」だけで犯人と疑われ、その仮説を証明するために証拠を揃えられるのですから。私は刑事が仮説思考型ではなく網羅思考型であることを心から願います。

筆者は仮説思考力を高めるための方法として「So What思考」と「Why思考」を進めています。確かにこれらの思考法は重要であると感じますが、仮説思考との関連性や、何故これらの思考法が仮説思考を高めるのかが不明であり、本書においてもその関係は明言されていません。なぜこれらの思考法を紹介しているのでしょう。

第二節では日々出来事から将来を予測することで、仮説思考の訓練することを薦めています。しかし、この思考法は前節で触れられている「So What/ Why思考」と同義の思考法のように感じます。第二節のタイトルを正しく書くのであれば、「日々の出来事をSo What/ Whyしよう」でしょうか。So What/ Why 思考は第一節ではなく、第二節の頭で説明すべき内容ですね。

第三節では、仕事での実践を薦めています。この内容自体には賛成ですが、第三節は「相手のメガネをかけてものを見る」と「上司の意思決定をシミュレーションする」の二項で構成されていますが。これら二つの項目はほぼ同値でないでしょうか?実際に「上司の意思決定をシミュレーションする」では、上司の立場になって意思決定をシミュレーションすることを薦めており、これは「相手のメガネをかけてものを見る」に含まれる状況です。やはり文章構成がMECEではないです。


まとめ

以上の批判の内容をまとめると以下の項目になります。

1. 筆者の主張する仮説思考一辺倒の思考法は、バイアスの観点から危険であり、   イノベーションの創出の観点からは望ましくない。

2. 章立て・節立て・文章構造がMECEではない

3. 根拠が乏しい・引用が少ない

4. 仮説思考が経験にのみ基づくのであれば、全ての人が仮説思考型であり、本書の意義がない。経験をどのような形で学習し、どのように活用するかが仮説思考型と網羅型の違いではないだろうか

5. ゼロベース思考と本質的に相容れない

6. 文脈が不明な箇所がある(So What/ Why思考の箇所など)


最後に


 最後に、これまでにたくさんの批判をしてきましたが、仮説思考が重要であることには同意しています。私の主張は仮説思考と網羅思考を調和させることが重要ということです。そのバランスは職種によって異なるでしょう。例えば理論系の研究であれば、日々の学習は好奇心をベースとする網羅思考ですが、研究は仮説思考です。
 著者の内田さんは恐ろしく優秀な方なのでしょう。確かに仮説思考によって合理的に仕事を進めることができます。しかし、この合理性とは短期的な視点での合理性です。このことはコンピテンシー・トラップと呼ばれます。現代社会で求められるのはイノベーションであり、イノベーションが起こりにくい理由がこのコンピテンシー・トラップであると言われています。
 イノベーションとは知と知の新しい組み合わせであり、これらの知は遠いいほど革新的なのです。短期的な合理性を追求すると、ある知や技術に対してその近傍の知のみを収集するようになります。その方が利益につながりやすいからです。コアとする知や技術から離れているほど、学習コストが高く、役に立たない可能性も高いため、短期的な合理性では排除されるのです。
 イノベーションを起こすためには、広い範囲の知を獲得して様々な組み合わせを試す必要があります。つまり、完全に網羅的な思考なのです。今の優秀なビジネスマンが仮説思考型だからこそ、イノベーションの創出は難しいのかもしれないですね。

 また、私は「ビジネス書は薄い内容を広げただけで、また、筆者の経験にのみ基づく根拠に乏しいものである」と考えています。この偏見のような仮説を持って「仮説思考」を読み、批判するための「証拠」を集めたのである。つまり、仮説思考を持って「仮説思考」を読みました。これまでの批判が納得の読者の納得するものであれば、「仮説思考だけではなく、網羅思考も重要である」と感じているしょう。仮に納得できないのであれば、私はバイアスによって誤った結論を導いたことになるので、「仮説思考はバイアスに陥りやすい」ということがわかり、仮説思考の危険性は理解できるかと思います。

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