学校で学べることと、学べないこと、知ってますか?

学校で学べることと、学べないこと、知ってますか?

学校で学べないことは、自分で学びにいくこと
学校で学べないことがあります。
学校で学べることもあります。
それをきちんとわかっているかどうかが大切です。
例えば、お金のことは学校で学べません。
日本では、お金はきたないものとか、お金儲けの話をあまりしないとか、お金は必要なのに、お金の話をあまりしません。
アメリカでは、小学校から「投資」の授業があります。
日本では、ヘタをすると、大学卒業まで「投資」のことを知らないまま社会人になります。
証券会社に勤めた知人も、学校で学んでいたら、もっと今の仕事に生きていたのにと言っていました。
さらに、知っていれば、もっとお金を生み出すことをしていたのにとも言っていました。
給付金をもらった時に、海外はそれを投資に使い、日本ではそれを貯金か消費に使う。
具体的に言えば、10万円を投資して、12万円にして、増えた2万円を使う。元金の10万円はそのまま手付かず。日本は、10万円を少しずつ使い、どんどん減っていく。
電気自動車も同じで、日本ではハイブリッドが電気自動車と勘違いされています。さらに、電気自動車は雪では弱いとか、バッテリーが上がってしまうとか、ガソリン車に比べてだめだなんていう誤った情報まで流れます。
実際、電気自動車の性能は、日本の開発が遅れており、特に全個体電池の面ではアメリカ、中国にはだいぶん遅れています。
しかし、その遅れていることを知らず、高いお金を出して、電気自動車を買うのです。
これらは、リテラシーの低さです。
リテラシーとは、物事を正確に理解し、活用できることです。
つまり、お金であれば、金融リテラシーが低いとなり、電気自動車における誤った情報では、情報リテラシーが低いということになります。
日本の現時点では、全ての面でリテラシーが低い、これは自分で学びにいく主体的な学習姿勢が欠けていることに一因があります。
学校を卒業すれば、学ぶことをやめてしまう、勉強しないという消極的な姿勢です。
このままのリテラシーの低さで社会に出れば、そうでない人たち、主体的な学びを進めてきた人たちに勝てるはずもないのです。
S N Sを比べれば、一方はどーでもいいようなことがアップされ、一方では、主体的な活動がアップされているわけです。
どちらが採用、どちらが生き残る、どちらがリストラされないのも明らかです。
言われたことを言われたまま、ただ行っていれば、それは自主性であり、自ら情報を取りにいくこともできません。
学校で学べないことはなんなのか?
それをきちんと洗い出し、予測不能な社会に必要なことはなんなのかを洗い出し、それを自分で獲りにいく。
自分から学びにいく、それが情報取集であり、情報編集であり、それを生かすのは主体的な学習姿勢なのです。

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