山岡鉄舟先生の菩提寺


(※この記事は2021-6-8に国際心相科学協会LINEグループに投稿した記事の転載です。



先ほど、台東区谷中にある「全生庵」を訪ねました。

全生庵は山岡鉄舟先生が創建したお寺で、先生は晩年をここで過ごしました。

幕末から明治期にかけての幕臣、政治家、思想家、剣や禅や書の達人としても著名な偉大なる人物です。

生 
天保7年6月10日  977
1836.7.23 933

死 
明治21年7月19日  786

享年 53才

山岡鉄舟先生の功績の一つは、幕末の江戸城無血開城です。

一般的には、勝海舟と西郷隆盛の会談で決められたことになっていますが、その前の事前の交渉を西郷隆盛と進めたのが山岡鉄舟先生です。

今でも言えば、トップ同士の条約締結の前に事務方が根回しして交渉を成功裏に導くという作業でしょうか。

人物が実にいい。

心のレベルが素晴らしい。

当時の幕末明治期を駆け抜けていった偉人たちの中にあっては秀逸の存在です。

その証が、鉄舟先生が亡くなられた後を追って何人もの弟子たちが殉死しています。

中に3年も家に帰らずに墓守りをした門人もおります。

「鉄舟のいない世の中は、生きるに値しない。」と多くの弟子に慕われるほどの人物でした。

葬儀には5千人が参列したといわれています。今の10分の1の人口にあってはその数は驚くべきものがあります。

胃がんで亡くなりましたが、最後は宮中の方向に禅の結果趺坐を組んで静かに息を引き取ったようです。

享年53才です。

今の年齢からいいますと若すぎますが、当時の偉人が旅立つ年齢なんでしょうね。

山岡鉄舟先生の残された言葉には、私はほとんど共感します。

53才でここまでわかっておられることに頭が下がります。

私の人生も残りはわずかです。

私も、今生の旅立ちの前に、もう一度、こういった偉人の方々の功績と人間性に触れて、生きてきた意味と今後の生き方を考えるきっかけにできればと願っております。

2021-6-8




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