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進撃のWEEK!DAY1

1. 自己紹介と経緯

初めまして、山本貴史と申します。簡単な自己紹介と経緯からお話したいと思います。現在51歳の私は、2019年4月に、

「自分の志に従って本当にやりたいことをやろう!」

「本当の自分を生きていこう!」

と決意しました。20年間続けてきた仕事を辞め、新たな活動を開始したのです。

そんな私は22歳の時、アメリカで体験したある出来事をきっかけに、

「日本を世界に誇れる素晴らしい国にしよう!」

という志を立てました。

そのためには「教育だ!」と24歳で私塾「志高塾」を設立し、15年ほどの間に、3,000人以上の子どもや若者たちを指導してきたのです。

その後、29歳で市議会議員に初当選。41歳で県議会議員になり、多くの支援者や全国の同志たちと共に政治の世界で活動してきました。

20年もの間、医療や福祉、経済や産業、教育や地方創生、自然保護や防災など、地域が抱える様々な課題に取り組んできましたが、政治や社会の実態が分かれば分かるほど、暗澹たる気持ちになっていきました。

一番の原因は、政治や行政、法律や社会の仕組みが新しい時代に対応できなくなっていることです。これまでのやり方や古い常識にとらわれている人たちが中枢にいる限り、世の中を変えていくことは難しいと痛感しました。

その間にも、日本だけでなく地球規模での課題は、悪化の一途を辿っていきます。

これらの課題を解決しながら、幸せで豊かな社会を創造するためには、企業や個人から生み出される新しいアイデアや技術が必要です。

そのような技術やアイデアを活かして社会をダイナミックに変えていくために、政治や社会の仕組みを創造する活動を開始したところに、戸村さんや星野さん、進撃のWEEKに出会うことができました。

若い方々と学び合えることにワクワクしています。

2.「理念」こそが最も重要

22歳で志を立てた時も、私塾を始めた時も、政治家になると決意した時も、最も大事にしたのが「理念」です。

何かを始める時、チャレンジする時には、私自身の「理念」を常に見直しながら活動を進めてきました。

「理念」とは、人生の羅針盤です。理想に向かって正しく進んでいるか、誤った方向に進んではいないかを確認するためのコンパスです。

事業を始める時、何かにチャレンジする時、「理念」が無ければ、どこに向かって良いのかが分かりません。迷走したあげく、遭難するのがオチです。

また「理念」とは種です。何の花を咲かせるのか、何の実を実らせるのかは、どんなタネを蒔くのかで全てが決まります。薔薇の花を咲かせたければバラのタネを蒔かなければなりません。リンゴの実を食べたければ、リンゴの種を蒔かなければなりません。

私たちの事業も、どんな花や実をならせたいのか?その種=「理念」をしっかり定めるところから始めなければならないのです。

3.自分の歴史の中に「理念」が隠されている!

自分にとっての「理念」とは、自分が本当にやりたいこと、自分の心が震えること、人生をかけて追い求めたいことでもあります。

その「理念」を探す際には、自分の歴史、中でも人生のポイントとなる出来事を振り返ることが重要です。なぜなら人生を変えるような仕事や出来事の中に「理念」は隠れているからです。

そこで、私の人生(歴史)を振り返ってみました。

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【1990年】当時の私は21歳。アメリカのコロラド州に留学していました。世界を騒然させたイラクのクウェート侵攻により、湾岸戦争の機運が高まっていました。私の親友は軍に属していたため、学生であっても戦地に出征することになりました。その彼から「もし自分が死んだらこれを頼む」と何通もの遺書と遺品を預かることになりました。また、日本はなぜ自衛隊を出さないのか?金だけ出せばいいのか?とバッシングを受けたりもしました。

日本はバブルの絶頂期です。同じ若者が命をかけて戦争に行こうとしているのに、日本の若者は遊びに興じていることに「何かがおかしい」という疑問を感じました。このことが私を政治の道へと突き動かしました。

【1993年】帰国後、私は社会人経験を積むために広告代理店に勤務します。ここで営業の仕方やマーケティング、ブランディングなどを学びました。様々なイベントやメディアの仕事を通じ、何かを創り出し、社会に影響を与える喜びを知ることになります。この時の学びは、後に自分の選挙を戦う上でとても役に立つことになります。

【1997年】政治家を志し、「日本の教育を変えたい」と思っていた私は、私塾「志高塾」を設立しました。学校の勉強だけでなく、発想力や自然の中での体験学習、日本の歴史や世界の情勢などを教えていました。3,000人以上の子供たちと直接触れ合うことで、教育の重要性と子供達の可能性を実感しました。

【1999年】29歳の時、市議会議員に立候補します。知名度ゼロ、資金もわずかしかない中で初当選を果たします。議会改革をうったえたことで、先輩議員からの嫌がらせや様々な妨害をうけながらの選挙でしたが、多くの支援者に支えられ、議員としての活動を続けていくことになりました。ここで私は、古い政治の仕組みや政治家の実態を知ることになります。

【2000年】30歳に台湾の李登輝元総統とのご縁ができ、日本李登輝友の会の理事兼静岡県支部長として台湾交流を行うことになりました。台湾の政治家や経済界の重鎮などとも親交が深まる中、日本精神の重要性を李登輝元総統などから教えていただくことになります。また国際社会での台湾の立場やアジアの情勢などについてリアルに学ぶことができました。

【2005年】平成の大合併が行われ、私も議会の合併特別委員会の中で、自治体合併という貴重な体験することになります。合併に向け、行政が行ってきた事業を全て洗い出し、課題や効果を分析することで、行政の限界や社会の課題について認識を新たにすることになりました。

【2011年】41歳で県議会議員に当選します。県議会議員になることで、県政だけでなく国政の現実を知ることになります。また海外交流や人脈の幅も広がり、取り組む事業の規模も大きくなりました。私の視野を大きく広げてくれた貴重な8年間でした。このことは同時に、政治や行政の限界、非効率さなどを痛感し、改革の必要性を強くすることになりました。

【2011年】県議に当選した同じ年、東日本大震災が発生します。この数年前に、NPO法人静岡県災害支援隊を設立していた私は、理事長として発災直後から石巻市や陸前高田市などの被災地で支援を行いました。特に陸前高田市では、地獄のような現実に衝撃を受けました。1週間の炊き出し支援の中で、懸命に生きる被災者の皆さんと全国から集まった自衛隊やボランティアの方達に感動しました。

【2011年〜2019年】日本の精神を大切にし、日本改新を目指す政治家たちが集まる某政経塾に入塾し、運営幹部として日本の課題や将来について様々な研究と活動を行なってきました。現役の若手官僚との勉強会では、日本の現実的な課題や危機感を共有しますが、官僚の本音や日本の危機を現実のものとして感じることになります。

【2018年】私の地元である静岡県の茶農家さんが経営に苦しむのを見て、大替作物として、オリーブ栽培を提案します。一般社団法人静岡県オリーブ普及協会を設立して、県内オリーブの生産に取り組みました。様々な課題がある中、イタリアのトスカーナ地方にも、高齢化による耕作放棄地の問題が深刻化していることがわかりました。双方の課題を解決するため、日本の若者をイタリアに送り耕作放棄地を管理しながらオリーブオイルを販売するプロジェクトが生まれました。世界との連携によるソーシャルビジネスの誕生に可能性と喜びを感じました。その後、理事長の職を後進に譲り、事業の継続が進められています。

【2019年】私の同志である現役の地方議員や市長などと連携し、新社会システム準備委員会を設立しました。社会の仕組みを変えるには、政治を変える必要があります。政治を変えるためには、選挙を変える必要があります。そのための具体的な案を実行するために現在、準備を進めています。

4.「理念」に基づくキーワードと出来事

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経営理念をつくるため、大切にしたキーワードを選択します。

私は、「挑戦」「創造」「和」「仕組み」「面白さ」の5つを選択しました。

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【挑戦】

映画監督を夢見て米国留学をしたのが最初の挑戦だった。日本を良くし世界を変える志を立ててからは、私塾を開いたり、政治(選挙)に挑戦したり、様々な社会の問題解決に取り組むなどの挑戦を続けてきた。挑戦によって道は開かれていく。

【創造】
20年間の政治活動によって、従来の仕組みややり方では様々な社会問題を解決することは大変難しいことを痛感する。日本や地球を救うための新たな技術やアイデア、仕組みをを創造しなければならない。

【和】
様々な国を訪問し台湾の李登輝元総統などとの交流によって、日本精神や文化の大切さを知る。特に「大いなる和=大和」には、世界人類が互いをリスペクトしながら、共に幸せになる理念が込められている、と考える。

【仕組み】
現在の政治や行政は、新しい時代に対応できず、むしろ障壁となることが多い。世の中をよくするアイデアや技術を普及させるためには、それらを実現させる新しい社会の仕組み、政治の仕組み、法律やルールを作る必要がある。

【面白さ】
様々な分野のリーダー達と交流することで、新しい時代は、愛や調和、平和や多様性、喜びや幸せ、自由や豊かさを今まで以上に感じられるを時代だと学んだ。またこれまでの経験から、多くの人の参加を促すためには、楽しさや面白さが大切と学んできた。

5.私の経営理念

ここから作られた理念は以下の通りです。

私は、世界中の人たちが大きな「和」=輪となって、真の自由や幸せを感じられる社会の実現に向けて活動している時、喜びと充実を感じる。しかし世界や日本には様々な課題が山積している。この課題解決を遅らせているのが、古い時代の常識やルール、政治や社会の仕組みである。私は、新しい社会の仕組みをつくることに挑戦する。この挑戦は、革命や闘争によってなされるのではない。未来への夢や希望、面白さや楽しさのエネルギーを込めながら創造していくものである。

要するに私の理念は・・・

「世界中の人たちが、本当の自分を生きられる、新しい社会の仕組みを創造する!」

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