200人の中学生に何を話したら良いか

先日、突然知らない番号から電話があった。
母校の中学校の先生からだった。


「今年の3月、卒業生に講和をお願いしたい」

急な話で驚いたが、ボンヤリと「いつか壇上に立って、人に何かを伝えてみたい」と小さな夢があったから、直ぐに快諾した。

1か月前に、別の仕事で母校の撮影に伺い、その際に校長先生と名刺を交換したのがキッカケだと思う。


大抵の課題なら考えれば解決することがほとんどなのだが、突然のオファーに頭が追いつかず、たまらずnoteに書き出している。

いったい今の中学3年生に、僕が何を話せば良いのだろうかと。

僕にしか話せないこと

大谷翔平さんが登壇してくれるなら、どんなに中学生は喜ぶだろうかとか、僕にそんな大役が務まるだろうかと、そんな不安な気持ちはあるものの、きっと自分にしか話せないことだってあるかもしれないと、整理して考えてみることにして今筆をとっている。

ゴールはなんだろうか

現役の中学生200人の前で40分も話をしなければならない。

このゴールはなんだろうか、考えてみる。

先生方の立場

僕にとってのゴールの前に、このお話は先生からの依頼なので、先生方のゴールをまずは考えてみたい。

僕にとってはお客様であり、少ない額でもお金も渡されることになっている。
つまりプロとして仕事をしなくてはならない。

先生方が、僕に声をかけてくれた理由は三つ推測できる。

一つ目は起業家で僕が比較的稀有であること。

二つ目は卒業生(先輩)であること。

三つ目は安価であること。

だと考えている。

三つ目の安価であることは、悲しきかな現実的で事実だと思う。

もし、僕が学校の先生で、講師料の予算が500万円あるなら、生徒たちの心に残るであろう、効果が最大化できるもっと違う人を呼ぶだろう。

でも安いから選ばれるというのは、市場の原理として自然のことだし、それは一つの優位性とも言えるのでまぁ良い。

そう考えると、先生方が僕に求めるものは

①起業家/経営者の稀有な人の話
②卒業生にしかできない話
③限られた予算で最大限生徒のためになる話

この3つの課題をクリアした講和であって欲しい事だとわかる。


生徒の立場

正直、僕が中学3年生だった時は、体育館での集まりは退屈だった。
学校外の人間の話の1度くらいはあったかもしれないが、記憶にはない。

これも現実だとは思うが、正直早く終わって早く帰りたいがゴールだと考えている。
それはしょうがないとは思う。
生徒たちが望んで、僕に講和を依頼したわけでは無いから。

ただ、学習の授業の一環としての講和なので、彼らはこの僕の話から逃れることはできない。

また、起業や経営のリアルな話は、あちこちでやってるわけではないし、毎日顔を合わせている先生の話でもないから、多少は興味を持ってくれる人もいるとは思う。

けれども、どこの馬の骨とも知らない卒業生が、突然壇上に出てきても誰ですかって話だとも思う。

イケメン俳優や、一流のスポーツ選手なら既に存在を知っていて、どのような功績を挙げたのかもわかっているけれども、まず、そもそもお前誰やねんてところからなんですよ。

このことから導き出せる僕が話すべき話は

⑤僕が何者なのか
⑥どんな功績があるか
⑦何を与えてくれるのか

これは最低限必要な話だと考えている。

さらに考えてみれば、仕方なく聴かされる話だとしても、彼らにニーズが全くない訳ではないとも考えられる。

人間なんだから、何かしらに悩み、課題を持ち、安心を求めて生きているのに違いは無い。

僕としても、200人の生徒×40分の講和=8000分(しかも青春という貴重なバフがかかった時間)を無駄にしたくはない。

逃げたくても逃げられない、どこの馬の骨かもわからない人間からの謎の40分...。

ひねくれた考えかもしれないが、彼らが求めるこの40分間のゴールを僕なりに予測して要約すると

未知の時間を明らかにしてもらって、何か得られるといいけど、早く終わらないかな

という想いが、200人の総和のゴールだと思う。

このひねくれた僕の考え方は、200人の中学3年生の考えているであろう人々の、合計(総和)の予測に過ぎないので、合ってるかもしれないし、個別で考えれば全く合っていないかもしれない。

当たり前の話だが、200人それぞれにニーズがあって、全員のニーズを満たす話ができるわけがない。

僕が200人の中学生に何を伝え、何が出来るのかと言う、この課題に悩んでいるのは、多分そこなんだなぁと思う。

200人の総和に対して最適な話をするのか、200人のうち、たった1人でも良いから人生を変えられるような話をするのか、ターゲティングが大事なのかもとも思う。

総和で考えると「面白い」とか「楽しい」話というのは、ある意味ニーズが高いのだなぁと分かる。

だから、単純であまりにもシンプルすぎる答えだが、楽しいとか、面白いと思える卒業生としてのエピソードや、起業家としての話ができたらと思う。

僕の立場

僕にとってのゴールは何だろうか?
先生方や生徒の立場は、予測するしかないが、これだけはわかる。

先生や関係者を含めれば10000分にもなるかもしれないその貴重な時間を価値あるものにしたい

それに尽きる。

だけど、価値って何だろう。
僕の人生や、話がどう彼らの価値に変わるのだろうか。

国語的には

価値とはどれくらい大切か、またどれくらい役に立つかという程度

という意味。

⑧彼らのこれからの人生において大切で役に立つ話

国語的にはそういう答えになるだろう。

ただ、僕の気持ちはどう考えているのだろうか。

彼らの心に残る話をしたい
涙が出るほど感動する話をしたい
かっこいいと思われたい
尊敬されたい

正直に言えば、一人の人間として、そういう欲がないわけではない。

でも、僕の本当の気持ちや、理性は何を想うのだろう。

これを書いている今も筆が止まってしまう。

...

...


少し悩んでいるが、考えがまとまらない。


どうしてこんなにも、本当の自分の正直な気持ちや、心と向き合うのは難しいのだろう。

きっと恥ずかしいのだと思う。

でも、このnoteにだって、今まで恥ずかしい事はたくさん書いてきた。
だから、今更と言うのもあるから、僕の口から出てくるものをそのまま書こうと思う。


僕の半生は、すごく無意味に思える時間が多かった。

平成に生まれて、友達も家族にも恵まれて、お金以外何不自由のない生活を送って、だけど何かしなくちゃ、どう生きたらいいのかなんて悩みながら生きてきた。

そんな僕にも、出会いがあって、縁があって、夢ができて、生きがいができて、愛しい人に出会えて、少しずつ本当の自分の気持ちに触れられて、心から幸せだと思えるようになった。

80億のうちのたった1人、この地球から消えても何も変わらない。

そんなにもちっぽけな人生で、自分だけど、僕の体や心臓や脳が、震えるほどに悲しんだり、楽しんだり、泣いたり、笑ったり、喜べることに、僕は、この人生に価値を感じている。

僕は、悲しいことも辛いことも含めて人生だと思うし、波風の立たない平凡な暮らしこそが幸せだとも思わない。

何度も繰り返し言うのは、僕が大切に思っていることなんだと思うが

辛いことも楽しいことも、夢も、愛も、本当の自分も、魂が、縁が求めて、この世に生まれてきたんだと思っている。

だからこそ「価値ある人生って何だろうか」と考えたときに、お金持ちになって、自分の欲望を叶えることだけが、価値ある人生だとは思わない。

ありきたりな話かもしれないが
愛する人たちと、愛すべき人たちと、それを分かち合えることが、僕にとって価値のある人生だと思ってる。

いつも言うように、無人島で僕1人優雅な生活を送ったって面白くない。

僕がどんなに豊かになったって、あなたがいないならつまらない。

これが34年生きてきた僕の人生観。

本当の自分や、僕の求める本当の幸せって、そういうもの。

でも、それができているかと言われると、本当はできていない。
それが、今とこれからの僕の課題だし、僕の夢の一つなのだ。

あぁだこうだと、頭が悪いなりにも理論立てて話をしようとしたけど、僕が200人の学生の前で話すことのゴールはシンプルなもののような気がする。

少しはあるかもしれないが、本当は、感動させたいわけでも、涙を流させたいわけでも、尊敬されたわけでもないのだと分かる。

僕にとって彼ら200人との出会いでさえ、何かを分かち合いたい一人一人の人間。

彼らの人生の役に立つこと、大切なことが何かなんてものは頭で考えたって分からない。

ただ、僕が願う事は、僕の話を聞いて、彼らの行く先に、魂が、心が、体が熱くなるような何かがあれば良いってことだけなのだ。

この40分という短いのに、10000分という長い時間が、僕の魂が、心が、体が熱くなるような時間の一つになれば良い。

僕が彼らの前で話をするゴールは、そんなものだ。


おわりに

最近、頭で考えている事と、心で願っている事は全く別であるいうことが分かってきた。

本当はこのnoteも理論を整理して、どうやったら生徒が楽しく聴いてくれるかや、僕を好きになってもらうにはどうしたらいいかとか、心理学的に考えるとどうかとか、40分の限られた時間でどう時間配分を考えるかとか、そんなことを書こうと思っていた。

なのに、本当の自分の気持ちに問うたら、あまりにも抽象的で、スケールの大きい話(気持ち)になってしまった。

だけど、そんなに後悔はしていない。

なぜなら、頭で考えられること、導き出せることなんて、もう本当は答えが分かっていることが多いから。

それよりも、自分の本当の気持ちに蓋をしていることの方が分からない。

いつも通り、脱線し、とりとめのない、役に立たない話で終わってしまったので、しっかり続きを書こうと思う。
本番では、このnoteみたいにならないようにちゃんと話をしたいと思う。

最後にこの話をしてて思ったのは、200人の中学生の前で話をすることと、このnoteで書くことは結局、僕の想いは同じなんだってこと。

自分本位だなって分かってて、これを読む一人一人の人が求める、価値ある話なんかできるわけがなくて。

だけど、自分本位だとしても、僕の話を聞いてくれる人達の暇つぶしにでもなったら嬉しいし、魂や、心が1ミリでも動いて、人生に波風が立てばいいと思ってることに変わりはないんだなと。

この考えが最善だとも思ってはいない。
今はただ、生身の何百人もの人間の前で話すことに、身構えてしまっているだけだと思う。

正直、いつか、この肩の力が抜けて、校長先生が毎朝朝礼で話すみたいに「楽しいね」って言えるような話ができるようになると良いなぁ。




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