若手音楽家を困らせている人々

 ここ数年、いや、もう少し前からかもしれないが、音大生や若い音楽家を困らせている中年男性たちがいる。
 彼らは、Facebookの熱心なユーザーで、音楽家の卵や若い音楽家を応援していると言い、主に女子音大生や若い女性演奏家とFacebookで「友達」になり、彼女たちの写る写真のことごとくに「いいね!」をつけ、「かわいいね」などのコメントを連発する。実際にコンサートに訪れ、終演後に写真を撮る(なんと、舞台上での写真を撮る場合もあるらしい)。そして、それらをFacebookに投稿し、その投稿内でもっともらしく演奏を論評(批判的な内容を含んでいるものも見かける)する。
 言いたいことは多くあるが、今回は、演奏家に(芸能的・エンタメ的な意味での)アイドル的なものを求めることと、それに便乗することの問題点に絞って述べたい。冒頭に「中年男性たち」と書いたが、「中年」でなくとも、「男性」でなくともこうした迷惑行為をしている人はいるかもしれない。が、そのほとんどは中年男性と思われるので、そのことをお含みおきいただきたい。
 私はルッキズムは嫌いだが、容姿を褒めること自体は悪いことだとは思わない。身も蓋もない話だが、誰かのことを「かわいい」とか「カッコいい」とか思うことは、自然なことである。その対象が演奏家であっても、何もおかしなことはない。
 演奏家の外面的な魅力についてもう少し言えば、その音楽に魅了されたうえで、ステージマナーが美しいだとか、演奏後の笑顔がチャーミングだとか、演奏の姿に余計なパフォーマンスがなく自然体で好き、というようなことはあるだろう。「外見と内面」ということがよく言われるが、両者は、分離しているばかりではない。例えば、些かあいまいな概念ではあるが、「雰囲気」や「佇まい」などは、内面と一致していると感じられることがしばしばある。
 しかし、(特に)芸術音楽であるクラシック音楽の音楽家・演奏家のそれらは、あくまでも附随的な魅力であり、その演奏家の音楽や理念そのものに惹かれなければ、演奏会には行かないし、活動に興味を持たないのが当然である。
 私たち、とりわけ実際に彼らに絡まれている彼女たちに不快感や嫌悪感をもたらしているものは、彼らの容姿を見る目の品性を欠いた露骨さ、そして、彼らが、音大生や若い音楽家の距離の近さ(接触のしやすさ)を利用して接触し、音楽好きという仮面を着けることで不純さを隠している(実際は全く隠せていないのだが)ことの悪質さだろう。
 女性演奏家を集め、容姿などの外的な要素を喧伝し、彼らのような存在をターゲットにしていると思われるビジネスもある。呆れた商業であることは言うまでもないが、これは、真摯に音楽活動をしている若手音楽家の活動の場を奪うことにもつながりかねない。
 集客のためには背に腹は代えられないと、彼らや、こうしたビジネスに迎合している人もいるようだ。彼らが純粋で良心的なファンならば、その存在は重要で、有難いものである。しかし、彼らのやっていることは、不純な目的のために音楽を利用するという、私たちにとって人生と同じくらい大切なものを穢す行為なのである。それを、自らの利益のために利用することは、現実的な問題以前に(そもそもそれが「現実的」なことであるのかも私には疑問だが)、自分の音楽家としての心に悖ることではないのか、自問すべきだろう。それで心が痛まない人は、わざわざ芸術音楽を職業にすべきではないと私は思う。
 勿論、一度知り合ってしまってから断固とした態度をとるのは、何をされるかわからないという恐れもあるので、なかなかできることではないかもしれない。その人が音楽好きでもあるなどの微妙な場合や、どういう人か知らなかったなど、不運にもよからぬ人と関わりをもってしまうこともあるだろう。拒み続けていたら、愚劣な言葉を送り付けられたという話も聞く。私はそういう人と関わったことがほとんどなく、SNSで見たり、人から話を聞いたりする程度なので、私の知らない実情が他にもあるだろう。
 しかしそれでも、若い音楽家がすべきことは、そういう人たちと「うまくやっていく」ことではないのではあるまいか。具体的なことは書かないが、私たちは、彼らを軽蔑し、少しずつでもできるだけ距離を置くべきで、中長期的に見れば、その方が遥かに「現実的」なのではないだろうか。
 そして何より、本質的でない要請にはできるだけ応じず、芯の通った活動を地道に続けるということが重要だろう。

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