見出し画像

自由を再定義する

こんばんは🤗
今日の午前中まで新潟にいて、先程帰宅しました。
Wifiがなかったので、ブログの投稿が遅くなりました。
温泉にゆっくり浸かって、美味しいご飯を食べて久々にのんびりしました🙂
これから東京に戻ります。
たまに田舎にきてのんびりすると普段どれだけ自分が忙しなく生活しているのだろうと感じます。
仕事が溜まっているとか、溜まっていないとかではなく、気持ちが忙しないという感じです。

時間の流れがいつもより遅く感じるというか、普段感じている感情でいらないものがたくさんあるというか、自分という人間が面倒な人間だなぁと思います。
自分の中のもので断捨離できるものはしたいなぁという気持ちになります。

前置きはこれくらいにして、さっそくいってみましょう!!!

ーーー

●自由に生きる

最近ハマっている本、梯谷幸司氏著「なぜかうまくいく人のすごい無意識」という著書の中に「自由」について書いているページがあり、その部分にとても興味深いことが書いてありました。

「自由」を再定義する

誰しも自由が欲しいと思い、しかし自由でいると自分勝手だとか自己中心的だとか言われ、嫌われて不都合が起きる。
だから自由になってはいけない、と多くの人が思っていると書いています。

そもそも自由とは何か?

辞書には「束縛されていないこと」と書かれていることに対し梯谷氏は

それでは否定的形かつ受け身であり、問題回避なのでそこにとどまったままです。
このように言葉の定義を間違えていると、いつまでたっても自由を感じられません。

自由とは、誰にも何も言われず、やりたいことが制限なくやれている状態である。

と書いています。
そして、自分が自由でいるためには、他人も自由にさせる必要があること、自分は自分、相手は相手。
それが自由でいるための重要な方法だとも書いています。

これを読んだときに、「自分ってなんて不自由なのだろう」と感じました。

過去の身の回りに起きた出来事に「これは何のために創り出したのか?」(楽観基準+未来基準)、「これは自分が創り出したものだ」(自分原因型)、「これにより何を得ようとしていたのか?」(目的志向型)というように、効果的なメタ無意識のパターンで過去の出来事の再評価をしていき「過去、身の回りに起きたことは、自分の想い・意志・意図でやったことだ」という感覚を持ち合わせることが大切だと書いています。

それにより、様々な思考を抽象化していく無意識は「自分の人生は自分次第なんだ」という重要な前提としての信じ込みや感覚が芽生え始め、人生の様々な場面で「私は自由だ」と感じ始めるのだという。

「自由」という存在を追い求めるのではなく、自由を感じる能力、自由を知覚する能力、自由を解釈する能力の存在が重要である。

「自由」とは未来に求めるものではなく、効果的なメタ無意識パターンの組み合わせによって、過去を再評価・再解釈することにより得られるものである。

自分が思い描いていた自由とは本当の自由ではなかったと思いました。
この本のように、自分で自由を再定義して来年を迎えたいと思いました。

ーーー

今日は本の内容をそのままお伝えしただけになってしまい申し訳ありません。
明日は通常通り起床して、朝会に参加し朝ブログを投稿したいと思います。
今日1日お疲れさまでした!!





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?