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レガシィ(遺産)にしたい歌

2020年1月15日彼女は旅立ちました。

彼女からあと数日の命だと医師から告げられたと連絡が来たのが12月24日。なんてクリスマスイブなんだと思いつつ、星園祐子に連絡をとりまして。

「明日までに歌詞を書くので曲をつくってほしい」とお願いしました。

その翌日もたまたま星園の時間が空いていたので直接、会いに経堂へ。そしてミーティング。

そうそう。

この時、僕は東京滞在していたのです。ひさしぶりに子供にも会いたかったし、数年ぶりの友人と再会を約束していたんでいつもより長い東京滞在最中でした。

星園に会った25日クリスマスも、数年ぶりに再開を約束していた友人から急なキャンセルの連絡があり、急遽ミーティングのセッティング。彼女の命があと数日と聞いて急がないと思っていたちょうどそのタイミングで星園に会えたのはラッキーでした。

彼女というのは松倉佳世さん。僕と同い年のお友達&ビジネスパートナーとして今後に向けていろいろな事業を計画していた友達です。バリ島でいろいろな事業を仕込んでいる最中のことでした。

今でも信じられないです。前述のとおり彼女は2020年1月15日に旅立ちました。妹さんからご連絡をいただきましたし、彼女のFacebookに亡くなる直前に書いた手記が掲載されました。


私、松倉佳世は1月15日永眠いたしました。12月に癌の多臓器移転により治療兼ねて入院しておりましたが、力尽きてこう言う形となりました。生前中は沢山の方々とお会いでき、知人・友人から多大なる支えと応援があり、感謝しても感謝し尽くせない気持ちでいっぱいです。松倉佳世、ぶっ飛んだ性格で「世界が滅亡しても君なら生きていけるよ」とみんなから言われているくらい、元気で、パワフルで、仕事上では気難しく、関わって頂いた方々には不快な思いや嫌な思いにさせてしまった事も多々あるかと思います。それはお詫び申し上げます。人生は一度きり、今まで自分勝手な生き方で今回の人生も悔いなく全うさせていただきました。急なこの様な形でしかご挨拶が出来なかったことにもお詫び申し上げます。生きている間に再会、お会いしたかった方々が山のように居るのですが、こういう身勝手な形でしかご挨拶できなかった事お詫び申し上げます。出来れば大きな拍手でお見送りください。こんな人間がいた事を皆さんの記憶に残して頂けたら幸いです。最後は家族とゆっくりした時間を過ごす事ができ、家族に感謝しかありません。ありがとうございました。合掌

実は星園祐子にお願いした歌は1月2日くらいには大体の形になっていました。結局、彼女に聴いてほしくて作ったこの歌も直接、聴いてもらうことなく彼女は旅立ってしまいました。連絡して聴いてもらえればそれはそれでよかったかも知れませんが、医師からあと数日と言われている状態で無理をさせてもな、とかいろいろ頭によぎりました。もしかしたらまた元気になって聴いてもらえるかもしれないな、とか。彼女が死んでしまう前提でいるのもいやでしたから。そのことに後悔はないのだけど良かったのか?悪かったのか?は今もよくわかりません。

僕がその歌をはじめてライブで聴かせてもらったのが松倉さんのお葬式の日と偶々、重なった星園祐子のライブでした。その初演に立ち会い歌声とパフォーマンスで涙を流せたのは本当によかったです。

なにより嬉しかったのはその歌を作曲者の星園が気に入って方々でライブをしてくれるようになったこと。

その歌の世界の中に彼女は今も生き続けていること。

あ一一ほんとによかったと思います。

バリ島で彼女と沢山の夕日を眺めました。

僕はこれらの夕日を美しいと感じます。

彼女も美しいと感じていました。

バリ島の美しいサンセットとの出会いを紡いでくれたのがバリ島を愛した松倉佳世さんという素晴らしいコーディネイターでした。

彼女のおかげさまで

誰も知らない彼女だけが知るバリ島を知ることが出来ました。

あと数日の命との連絡があったクリスマスイヴ、
美しいバリ島の夕日が脳裏に浮かびました。

歌詞の題材を考えた時は島の夕日だとあまりに直接過ぎてツラかったし、彼女との思い出を美しい風景に映し出すなら思い切りファンタジックでノンフェクションくらいのほうが彼女らしいし、素敵かなと思い書いたのが『オーロラの女神~神に捧ぐ~』でした。

南の島の雰囲気とガラッと違う極寒の世界。

イマジネーションの翼が羽ばたいた瞬間でした。

星園ありがとね。

おかげさまで美しい世界はさらに彩られ僕はさらに美しい世界の中を生きていけます。それは悲しみだけではない、美しさを越えた美しさの世界です。

歌や音楽の表現はあらゆる垣根を越えていくことが出来ます。南の島の思い出からまだ行ったことのないオーロラ輝く氷の世界へ。

あの世界とこの世界を結ぶ絆の糸になり、死者と生きるものさえつないでしまいます。歌や音楽やイマジネーションの世界には限界はないのです。

歌は表現のツールであり、
この世界での人生や世界の営みをアーカイブする遺産(レガシー)にもなりえるのです。

星園祐子のチャレンジがはじまりました。
地位や名誉のあるなしに関わらずどんな人の人生も、かけがえのない宝物だということ。

誰一人無駄に生きている人はいないし、生きることそのものが遺産になりえる大事業だということ。

その大事業をひとりひとりが生きた大事な地球遺産として歌に残しませんか?というレガシィソングの魂。

素晴らしい事業じゃないですか!!!

僕はいのちをかけて星園祐子のチャレンジを応援します。

どんどん美しさを増す星園祐子。

さらなる美しさの深遠を描き、歌い上げていくのでしょう。

地球は美しいですね。
せっかく生まれてきたのだから人生を謳歌しましょう。

篠原正司 Masashi shinohara プロデューサー・クラウドファンディングアドバイザー・作詞家

1966年長野県 岡谷市で生まれ。2才時の親戚からの虐待により失語および乞音(どもり)を患うことで本音の感覚と言葉を失う。芸術や音楽などの創造分野に魅せられ、いつも絵を描いているような幼少期から家族みんなに「お前はバカだ。無能だ。お前だけには才能はない。才能があるなんて思うな」と言われ続け、ありのままの自分を承認してもらえない怒りやコンプレックスや家族への殺意などが蓄積し、自分を表現することがさらにトラウマ化していく。

社会人になってからは自分の本音や才能から逸脱することで望まない結婚、蒸発、不倫、育児放棄、社会放棄、共依存、借金苦などを経験する。

また身体障害、身内の死、離婚、幼少期の虐待、レイプ、洗脳などの経験によるPTSDやフラッシュバックを患ったアーティストたちのプロデュースおよびマネジメントを展開するようになる。

「自分は無能」だという思い込みを無意識的に抱いていたが深い闇の淵に堕ちたアーティストと共に表現活動をすることで「その同調」から様々な気づきが生まれ、関わるアーティストのみならず自分自身の才能や可能性に目覚めていく。

波乱万丈、闇深い問題と格闘するプロセスをとおして、誰にも特有の魅力、個性、可能性があることを発見する。その発見をフィードバックし、アーティストやクリエイターの魅力や可能性の目覚めに導くプロデュースワーク(リアル&オンライン)、クラウドファンディングアドバイスなどを行う。2020年より対話型オンラインプロデュース【AWAKE MEETING】を展開している。

対話型オンラインプロデュース【AWAKE MEETING】
https://peraichi.com/landing_pages/view/awake-meeting

YouTube番組 三面鏡で見る自分
https://three-sided-mirror.com/https://three-sided-mirror.com/

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