灰とダイヤモンド

レレ子がとある大学で職員をやっていたとき、
その大学の「対話する図書館」というおもしろいコンセプトの図書館でおもしろい企画があった。

不定期に企画される映画鑑賞会で、狭い(15人もはいればいっぱいの)空間で洋の東西、新旧を問わず
その回の「紹介者」の思い入れがある映画を上映、
上映前に「紹介者」がうんちくを語り、上映後に紹介者がもっかい、観たあとにこそできる話をしたり、参加者が意見や質問を投げる。
その後、大学にありがちな、味気のない会議室でささやかな「懇親会」があり、
それが終わってもまだしゃべり足りないひとは、参加している所属教授の研究室でうだうだするような会で、それがたのしかった。

紹介者はその大学所属者に限らず、「芋づる式」で学外のひとも多く紹介者となった。

レレ子はけっこうせっせと通い、
「Jesus Christ Superstar」や「砂の女」、「緋牡丹博徒 お竜参上」を観たのもここだった。
研究者や芸術関係のひと、それぞれの思い入れのあるプレゼンもおもしろかったし、参加者のストレートな質問や感想もおもしろかった。
もう、ずいぶん前にこの企画が終了してしまったのが、残念でならない。

そのなかでも、とくに記憶に残っているのが
「灰とダイヤモンド」だ。
https://eiga.com/movie/47826/
1958年製作のポーランド映画。

これに惹かれたのは、紹介者がドイツ文学者のA先生だったからだ。
ほとんど講義に出席しない不良学生だったレレ子が大学時代に2,3、おもしろいと思った大講義があり
そのひとつが、A先生の講義だったのだ。
「自民党であらずんばひとにあらず、共産党は非国民」
という土地の出身だったレレ子には、堂々と
「わたしはアカですからね」
と公言するA先生にまず驚いたが、課題図書はいずれもおもしろく、
興味をもって取り組めるもので、数少ない興味をそそられてたのしい大講義だった。

それから20年ちかくもたって、A先生にまた、お会いできるとわ。

映画鑑賞前後の先生の「小講義」も大変興味深かったし、
感想、質疑応答の時間に学生が
「こんな制限のあるなかで、こんな素晴らしい映画が作れるなんて、、、」
と発言したときに
「いや、制限があるほうがいいものが作れますよ」
と言われたのがいちばん、レレ子の記憶に残っている。

そう、レレ子のこれまでの人生経験でも
近しいひとがよく言う「自由意志の矛盾」、
「自由」であるからこそ、広すぎて選択するのが難しい、
「不自由」だからこそ突破口を見出そうとし、工夫する。

なにもかもじゃぶじゃぶ与えられた子はそれが当たり前でおもしろくない、
飢餓的状況にあったものこそが這い上がろうとする。

レレ子がいまでも毎日、手のひらに乗せてためつすがめつ、眺めている考えだ。

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