「行けたらいく」でいいじゃないか

どこの誰だったかもう忘れちゃったけれど
今年に入ってからだったと思う、

「『行けたらいく』というのは『行かない』という意味なのだから言う必要ないじゃないか」

的なことを書いていたのですね。

それを読んで、一見ひとの意見に左右されずにどっしり構えてそうなわたしですが
実は、コソコソとネットとか本読んでは
「あ、現在はこうなのね。知らんかった」
と言動を修正したりしています。

それで
「そうかあ、わたしは言葉通りほんとに行けるときは行ってるし
『行けたら行く』って本気で言ってたけど、そう言ったら
行かないという意思表示になるのね。気をつけよう」
と思っていました。

よう考えたら、そのひとのは一意見であって
絶対的な、唯一無二の真実じゃないのにね。

でね。

ここんとこ、立て続けに
「行く」
と言ってたひとが来てくれなかったことがあったんです。

わたしは馬鹿正直な田舎者だから、
「行く」と言われたらほんとに来てくれるものと思っていて
いろいろ考えて用意して待っていました。

彼らにとっては「行く」とは「行けたらいく」ということだったのかな。
むしろ、「行けたら行く」と言ってくれたほうが
「来ないかもしれない」心づもりもできて、ショックじゃなかったのに。

それとも、わたしの声のかけかたが悪くて
「断りたくないけど、断れないなー」
と思って「行く」と答えたのか

愛想よく返事してくれたけど、
実はわたしのこと嫌っていたのか

わたしは仲良くしゃべってたと思ってたけど
わたしひとりだけ調子に乗ってたバカ者だったのか

などなどなどいろいろいろいろ考えて落ち込みました。

その点、夫や娘は
「いろいろ考えても、真実はわからないのだから
あることないこと妄想して落ち込むより、なにも考えないほうがいい」
と考え、ばっさりそう行動できるひとたちです。
うらやましい。

見習いたいと思っているのだが、
努力はしているのだが、
どうも生来の性らしくてなかなか、うまくゆかぬ。

それで、やっぱり
よんどころない事情があったにせよ、ただ単にメンドくなっただけにせよ、
「やっぱり行けなくなった」と連絡すらしない「行く」より
「行けたら行く」のほうが、わたしにとっては誠実だなあ。

でも、いつものことだけれど、
自分にとっての「当然」「こうあるべき」が
ひとにとってはそうでないのだし
思いや反応、行動も違うのだから
仕方ない、、、と思いつつ、ぐずぐずスッキリしない思いを数日かかえていました。

そこへ、昨日あるひとから電話がありました。
とあるイベントへのお誘いだったのですが

・明日から旅行なので、体調を崩すかもしれないようなことは控えたい。
・いま、顎関節症で右の顎が痛くて開きにくく、不自由な思いをしている。
・でも、そのイベントに興味もある。

ということを、気づいたら相手に伝えていました。

すると相手は
「そうか。じゃ、こうしよう。
来るかもしれない、来ないかもしれない。どちらでもいい」

それをきいて、わたしはとてもほっとしました。

イベントには行きたい。
でも、事情があって行かないという選択をするかもしれない。

それを正直に説明して、それを相手が聞いてくれて
「どちらでも大丈夫だよ」(来ないからといって、気を悪くしないよ)
と約束してくれて、安心したのです。

さいきんの風潮として
「ほんとうの事情を言わない。手短に言い訳をでっちあげて断る」
のがスマートだという印象なのですが
仕事上はそれでいいとして、
信頼している相手には正直に言うのがいい、と思った。

そう、この人は信頼している相手だ。

あらためて、気がついた。

これまでなにがしかのイベントに誘ってくれたり
一緒にイベントしたりしたこともあるけれど
必要事項はしっかりと決めて伝えてくれるし、尋ねてくれる。淡々と。
わたしはこのひとを信頼しているし、
このひとと予定の話をすると、きちんとしていて安心できて気持ちよい。

「適当なのが、いいよね~」
とか言いながら、するべきところはしっかりしているから
長年、あの仕事をしてられるんだろうなあ…。

結論。

わたしは、世間の潮流とずれていても、
言った相手に「それ来ないってことだろ」と思われたとしても
「当日事情ができて行けない可能性もあるけれど、行きたいと思っている」
場合は「行けたら行く」と言い続けることにしました。


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