ブスと私
ワダが歳をとって良かったことの1つに、勝手に品評台にあげられなくなったということがある。
ワダはブスと言われ続けていた。小学校の頃から背も態度も大きいと言われていた。この態度が大きいというのは、男の子であれば元気でよろしいとなるあれだ。普通にしているだけで、偉そうといわていた。
ワダは背も高かった。力も強かった。クラスの女ボス的なポジションに置かれた。男子にはどんな暴言を言ってもいい奴認定された。
何を言ってもいいの中には、当然「ブス」も入っていた。通学中に容赦無く言われる「ブス」。
「ブス」という単語は、ワダにとっては聞き流さなくてはいけない言葉になっていた。自分ではどうしようもない見た目のことを言われ続けるのに、そんなことには傷ついていないフリをし続けるワダ。
泣くほど辛いのに、ブスと言われても顔に出してたら負け。「ブスが泣いてるよ」と言われるのだけは絶対に避けたかった。ブスブスと言われ続けるうちに、自分の見た目に気を配るなんて、恥ずかしいことだとどんどん思うようになっていた。
辛いー。書いてて、辛い。
今も私はブスのままだ。
ただ、ブスって言ってくるような人とは付き合わない自由がある。大人最高。そして街で知らない人から投げかけられる卑怯な言葉は、若い、弱い方へと向かっていくことをワダは知っている。卑怯。
そんなこと気にしなくていいよ。なんて、言えない。だって本当にしんどいから。
心が顔に出るとか、見た目より中身が大事とかそんなことはどうでもいい。親戚から散々言われた。ブスって言われたら辛いし悲しい。ほんとに。
ブスはブスでいい。私の顔では、ものが売れないのだなっていうだけ。人。ひと。人間ですよー。オリンピックに出れるだけの脚力がないと一緒。
簡単にいうなら、「お前らにブスって言われる筋合いねぇ」っていうだけの話だ。私にブスって言ってきた奴らがみんな嫌な目にあいますよーうに。
人の見た目を傷つける言葉を許す風潮なんか昭和に置いてきたよねー。外見にコメントするのは失礼って言い続けたい。
もう令和だからとっくに知ってるか。
漫画みたいに「実は、好きだから」とかそんな落ちつけても許さない。人の見た目をどうこういうのはやめようねって。悲しいから。
ブスでもブスじゃ無くても、そんな事は私が決めることだから。私が良ければ全部良し。
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