将来どうするか、ちょっと考えたからまとめてみる。
もう大学に入ってから4年。同期は順調にいけばもう就職先も決まり、いよいよ来年から社会人だ。休学や留学で一年伸ばした人も、自分の人生について一生懸命悩みながらも前に進んでいる。そんな中、自分は来年から大学院に進学してあと2年間学生を続ける選択をした。その後は海外でPhDを取ってやろうという野心的な目標まである。いつまで学生やってるのっていう。
働く準備をする彼らを見ていて、大学院進学という進路が果たしてよかったのか、自分が進もうとしている方向があっているのかと悩むことは多かった。今もきれいさっぱり心が決まったかと言われると、そうではないかもしれない。
それでも自分にとって、大学院に進み、さらにはその後もアカデミアで頑張ろうと思うのには、それなりの理由がある。それをここに書き記し、自分の決意として残しておこうと思い、このnoteを書き始めた。
※この文章は決して人に発信する目的ではなく自分の備忘録的なものなので、読みにくい場所等があるかもしれません。
安定は幸せか
一つ目は、自分の幸せという視点から理由を書いてみる。
ここでは「あなたにとって幸せとはなにか?」という、いかにも宗教の勧誘みたいな問いだが、これを考えてみる。例えば何があるだろう。
幸せな家庭を築くこと。お金をたくさん稼ぐこと。大好きな友達と馬鹿騒ぎすること。仕事で成功すること。それとも、また違った夢があるのかもしれない。
もちろんしあわせの形は一つではない。どれか一つからしか幸せを感じちゃいけないなんて決まりもないし、何に幸せを感じるかも人それぞれだ。
ただ自分にとって、これがないと人生楽しくないっていうものがある。それは「不確実性」だ。
たとえば、自分は「今後ずっと安全であることが確約された人生」はあんまり欲しいと思わない。攻略法がわかったゲームがつまらなく感じるように、このさき安定しているとわかった人生は、少なくとも僕にとっては、面白くなくなってしまう。まあ、絶対安定した人生とか先が見通せる人生なんてないが。
それより自分にとっては、先が見えない不確定な未来に取り組む方が面白くて、レールを外れて人と違う景色を見にいきたいと感じる。その方がロマンがあるしワクワクするのだ。こっちに行ったら一体自分にはどんな景色が広がってどんな可能性が待ってるんだろう、みたいな。
自分にとってこの「不確実性」というのは非常に大切で、自分が就職ではなく大学院進学を選ぶ大きな理由にもなっている。
「脳に詳しい人」と「ビジネスが得意な人」
次に、自分の市場価値という視点から理由を書く。世の中には、「戦う場所を間違えると、いくら技術や戦い方を磨いても負けることがある」みたいな話がある。
たとえば衰退産業と成長産業のどちらに入るかで収入が全然変わっちゃうとか、自分が苦手な分野で戦わなきゃいけない職業を仕事につくと辛くなる、とかそんな感じだ。
自分はこの「どこで戦うか」というのをすごい意識していた。大して優秀でもない自分が、どうやったら人を圧倒できるような仕事を世の中に届けられるのか。
これに対する自分の答えは、「人が取らないポジションをとること」だった。なんかどっかのビジネス書みたいだけど。
ここでなんで「人が取らないポジションをとること」がいいのか、例え話をしてみる。
世の中でなにかプロジェクトを始めるためには、いろんな人が必要だ。たとえば「脳波計測をして最適な眠りを届ける商品」を作るとしたら、「脳に詳しい人」「機械を作るのが得意な人」「マーケティングが上手い人」「営業ができる人」...などなどが必要だ。彼らが手を組んで初めて一つの商品ができる。
ここで「脳に詳しい人」と「ビジネス(マネタイズ)が得意な人」を比べてみる。「ビジネスが得意な人」はいろんなプロジェクトを作れる汎用性があり必要とされる絶対数も多い。一方「脳に詳しい人」は脳のことしかわからないので、限られたプロジェクトにしか拘れず必要とされる絶対数が少ない。そのため、あえて脳に詳しくなろうという人は少なくなる。
ただ最近は流行の流れが早く、どんどん新しいものが生まれては消えていく時代だ。開発難易度の低いプロダクトから開発されていき、技術的に難しいものがどんどん先送りにされていくと僕は思っている。そうなると、開発難易度が高い(=限られた高度な専門性が必要とされる)プロジェクトに取り組む必要性がだんだん高まっていき、結果的に「脳に詳しい人」の希少性や必要性はあがってくるんじゃないかと思っている。
そんな感じで自分はアカデミアという専門性の強い立場をとることを考えた。アカデミアはわりかし日本では冷遇されがちだが、いずれその立場の必要性は増していくんじゃないかと思われる。自分の専門の脳神経科学はなおさらそうじゃないかと。
まあ正直、「ビジネスが得意な人」になろうとしたら、自分より優秀なひとがたくさんいすぎてうもれるんじゃないかと思ったのも理由にはある。そんなわけで、自分は「脳神経科学に詳しい人」という立場を確立しに行こうと思ったわけである。
将来の夢
ここまで読んでいただいた方は、こう思うかもしれない。「人生の不確実性とか戦うポジションが大事とかそんな理屈をこねくり回して、本当に研究頑張れるんかいな」と。
それに答えるために、最後自分はこの進路の先にどういう展望を描いているかという話をしたいと思う。
突然だが、自分には二つ夢がある。一つは「人の認識・思考・情動・意識などの仕組みを明らかにすること」、もう一つは「みんなが自分らしさを認められて、それが価値として社会に受けいれられること」。
なぜこの二つなのかはわからない。だって、人の心の動きがわかったらめっちゃすごいし、みんなの自分らしさが社会で受けいられることってものすごい幸せな社会じゃない?
上であげた二つの夢は全く無関係というわけではなくて、「人の自分らしさとはなにによって定義されるか」という問題を考える上では生物学や脳科学に必ず関係する。この二つの夢を心に持ちつつ、自分の中での思考を深めていきたいなと今は思っている。いつかこれらが繋がって、自分の中で一つの大きな青写真になったらいいなぁとなんとなく思っている。
いつまでこんな夢物語みたいなことを言っていられるのか自分でもわからないけど、ひとまずいまは楽しいのでこれでよしにしておこう。
さいごに
ちなみに自分にはまだ未解決の問題があり、それは「『脳神経科学に詳しい人』になった先にやれるプロジェクトは果たして自分がやりたいことなのか」という問いである。
脳神経科学に詳しくなるということは、「なんの課題を解決するか」よりも「どうやって課題を解決するか」に詳しい人になる。この「なんの課題を解決するか」の解像度が低くなるということは、「なんか解決できるんだけどこの課題あんまり熱意が湧かないな」という状態に陥りかねない。
自分は脳神経科学の知見・実験スキルを磨くと同時に、「なんの課題に取り組むのか」というお題と向き合い続ける必要があることをここに書き残しておく。
ともかく以上が、どうして自分がアカデミアに残ろうと思ったかということの大まかな内容である。もしここまでこの駄文にお付き合いいただけた方がいたなら感謝しかありません。
ちなみに、こんな壮大な理想ばっかり語って見合った努力をしているのかというツッコミもあるかもしれません。ごもっともすぎて何も言えません。
まあただ自分なりには亀のあゆみでちょっとずつ夢に近づこうとしています。英語をちまちま勉強したり、いろんな生物学の本を読みあさったり、研究頑張ったり、、、という感じで。
そんなわけでみやけは少しづつ頑張っています。もし一言お前にいいたいぞって方がいらっしゃれば、ぜひご連絡ください。では。
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