せんせい という仕事①

私は幼稚園教諭・保育士・モンテッソーリ教員の資格を持っています。

まずは、幼稚園教諭・保育士について。

幼稚園の先生になりたい。という夢が実は幼稚園時代から変わらずここまできたという とてもシンプルな私。幼稚園時代の私は先生だけが開けられる送迎バスのドアに憧れていたのです。閉める時にくしゃっとなる折り畳み式のドアが不思議で魅力的で、それはそれはワクワクして見ていた事を覚えています。

「あのドアをあけたい!わたし、ようちえんのせんせいになるもん!」

そう思って、誕生日カードに書かれる大きくなったら何になりたい?の欄は決まって『ようちえんのせんせい』でした。

高校卒業後、私って何をしたいだろう。と進む道が分からないと悩んでいる人達がいる中、大変だなぁと横目に見ながら幼稚園教諭と保育士の資格が取れる短大を探しました。人と一緒に生活するなんて苦しいわ、無理です。と寮生活を選ばず、片道3時間ほどかかる短大へ入学したのです。

授業と言えば、レオタードを着て創作ダンス作り。人形劇作り。造形。ピアノ。折り紙。子供の発達や心理についても学びました。ピアノは好きでしたが折り紙の時間は嫌いでした。だって早すぎる早すぎる。スピード命の授業で私は すぐに挫折をし、家に帰って一人でじっくり折り上げました。なぁんだ、私は出来ない子じゃないのねと悟った出来事でもあります。まぁ、キャピキャピと愉しかったですね。通学は大変でしたけれど。

無事に卒業。
憧れの東京での一人暮らしも始まり、夢見ていた『幼稚園の先生』になったのです。

新人はまず、職員室担当と言われ事務的なことが仕事でした。へ?そうなの?最初は。ま、そういうことかとスタート。加えて理事長の出掛け先の送り迎えも加わりました。しのぶ先生、今日は晴海埠頭まで送って行ってね。と言われ、ほぼペーパーだった私は、初めて高速道路にも乗り かなりスリリングな運転で帰宅してぐったりしたことも。ある日は理事長の接骨院への送り迎え。ある日は、理事長の車の洗車で保育中なのにガソリンスタンドで過ごすこともありました。保育参観では親のための喫煙コーナーが作られたり。あれ?おや?と思うことがどんどん出てきました。理事長は精神科へ通っていて気分も不安定でその理事長のご機嫌を伺いながらの保育をしている副園長。どなられないように。どなられないように。と。表には出なかったけれど、私にはあれは事件だよね、と思う出来後も次々と起こりました。気に入らない先生は辞めさせる方向に持っていく、という嫌な流れも見ました。

(ここ、違うな。私には違う)

就職して半年もかからないうちに感じました。
気づいてしまったからだと思います。体調も崩れがちになりました。辞めたい。どうしよう。辞めたいです。と言ったところですぐに辞めさせてはくれないよなと味方を探しました。その味方とは心療内科の先生。近くの病院を探し、私の見てきたことを暴露したのです。すると先生。

「んーーー。そこは我慢する価値のないところですね。分かりました。あなたは大丈夫そうですが、書きましょう」   

そう言って、うつ病になる可能性。休む必要があるという診断書を書いてくれたのです。分かりませんよ?本当にうつ病だったのかもしれませんけれど、その診断書のおかげでそこを辞めることが出来たので、本当に感謝をしています。 

一年ちょっとで退職。
実家に戻りました。毎日、起きると涙が出てくるのです。ああ。やりたかった仕事なのになぁ。と。でもね半年くらい経つと、また気持ちが立ち上がってくるのです。「やりたいよ。幼稚園の先生、やっぱりやりたいよ」

千葉県内の幼稚園、保育園で募集しているところを探し始めました。就職時期ではないのでなかなか見つからない中、習志野市の保育所で今すぐ半年の臨時職員募集!が目に留まり 即電話。即決定。
よし、保育士の免許を使おう。

再び実家を出て、再就職。

保育所は、やっぱりちょっと幼稚園とは雰囲気が違います。それも知りました。そこでの収穫は、ある先生との出会いでした。なんでも笑ってしまうのです、その先生。この出会いのために ここへ辿りついたのだと思います。

さぁ、半年の臨時職員。
また就職先を考えなくてはならない時期がきました。


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