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【全文無料】遺産活用による安易な安売りや信用審査外資金流入による参入障壁と経済成長の阻害

※画像は本文と関係ありません。地域のお気に入りの公園です。


アマチュアの安売りによる地域経済への弊害


我々の様な移住事業者が直面する大きな壁です。
どこの地域でも起こっている現実であり、ひいては国内の内需の縮小にも繋がっている話であり、今後増々増加する空家再活用等によってさらに進行する危機感のお話です。
 
自分のように移住繰り返して各地で起業しているとまず思うのが、「資産の継承を背景にした安売りが横行している」です。
そして、それが新規参入者にとって非常に高い障壁となっている。
 
なんの繋がりも資産の継承もない我々は、普通に物件を契約し、高額な初期費用を払い、改装費やら設備費やらを払い、毎月高額な家賃を払い、全てを自己資金で行います。
 
その上で、地のアドバンテージを持つ方々が設定した価格基準と戦わなければならないわけです。
これらは多くの場合、適正価格を大幅に下回ります。
 
例えば我々は宿泊事業、飲食事業、レンタルスペース事業など地域に根ざしたいわゆるローカルビジネスを展開しています。
 
これらのビジネスを行うにあたり他事業者が利益ベースで設定しなければいけない料金は、本来は【倍】です。
少なくとも、1.5倍には設定しなければ通常は健全な収益化は難しい。
これらは時期ごと及び通年の観光流入、外食動向、居住の世代、移住者属性、観光地、居住地としての価値、不動産動向等、あらゆるマーケティングからの独自概算ですが、つまりは『同業他社・競合が設定している料金の下限が安すぎる』ということです。
 
その価値に応じた設定が成されていない。
つまり、『本来の価値を毀損した安売り』、こそが最たる参入障壁となるんです。
 
簡単な構図として、親や先祖から立派な土地建物を引き継ぐ→相続税・固定資産税、積み立て以外の家賃などが必要ないので宿泊費や入居費用、飲食料金等を本来の外的価値以上に過度に安く設定出来る。
 
あるいは、行政やNPO等介入による空き家活用や譲渡により著しく利用料金設定が引き下げられる。
 
これらの『料金設定』に合致する事業者はごく小規模なものに限定される。
 
片や、本来は倍ほどの料金を設定すべき立派な施設建物を保有する方々と同程度の我々のような規模の競合事業者は苦しむ事になる。 
 
誤解しないでほしいのは、あくまでも資本主義における自由競争なので、アドバンテージを活かすのが悪い、という話ではないです。仕方ない事だとも言えるし、事業参入はこちらの選択、責任でもあるというのは大前提です。
 
その上で。
確かに本来価値に対してリーズナブルな料金設定は『良コスパ』として多くの人に゛一時的には゛喜ばれるでしょう。
しかしそれが出来るのは本来資本力のある企業等『資本』だけです。
 
大量特売の出来る大型スーパーやショッピングモールが出来て商店はどうなりましたか?
100円均一が増えて小さな雑貨屋文房具屋はどうなりましたか?
大型スパが乱立して昔からのお風呂屋さんや温泉街はどうなりましたか?
格安牛丼チェーンや格安居酒屋が溢れ町の小さな飲食店はどうなりましたか?
 
安売りが価値に対する価格意識を下方修正し、結果的に国内経済を縮小させ、経済成長を阻害し、子供も生めない貧困家庭が増え、少子化に繋がっている。
そして尚更安い物を求め、資本がその需要を食い物にし、多くの民間事業者が淘汰され、資本企業だけが独占的に成長する。
 
こうやって物やサービスに対する価値観の下方修正が繰り返され、今や『適正価格を高い』とする『価値観の貧困』がスタンダードになってしまった。
 
私はこれを常々書いてきました。
適正価格を適正価格として提示することの勇気と大切さ。
その価値と価格に適正に対価を支払う消費者価値観の育成。
正当に消費したその上で、価値と価格が評価されるべきだし、淘汰もされるべきだと。
 
『自社犠牲を伴うサービスの範疇』を超える安売りは市場原理の破壊であり、地域経済、日本経済の衰退を招く行為です。
なのでこれは本当に申し訳ないけど、こういう経済思考の無い民間事業者は事業とは言えない。
 
なぜなら資本主義社会においてルールを創り掌握するのは巨大資本であり、民間事業者は本来それと『対峙・対抗』すべき立場だからです。あるいは、『利用』ですかね。
その認識無くそれを迎合し追従している時点で事業ではない。
事業ではない、というのは私の個人的な価値観に過ぎないですが、社会、そして経済へ貢献する事と利益の追求こそが事業たると考えていますので。
 
元手が低かろうと高かろうと、供給は適正価格で。
それが本来の健全な民間経済の姿だと考えます。
その健全なる競争でこそ参入が増え、街は発展し、結果的に多くの人へ供給の選択肢と価値、喜びを与える事ができる。
それなのに参入障壁を上げてどうするんだ、と。
自己資金や借り入れで悪戦苦闘して頑張っている通常事業者の足引っ張るなよ、と。
 
私の元には日本全国から起業志望者や実業家、インフルエンサーなどが相会いにやってきます。
現在蔓延しているこうした無自覚な問題は、これからを担うはずのそれら若者の起業や挑戦の妨げになっており、課題化しているのが事実。
 
 
【我々はどうやってこの課題をクリアしているか】
 
もちろん適正価格に設定しています。

↑上記資本・資産への対抗手段としては、可能な限り自動化、合理化する事で人件費を無くし、経費と労力、所要時間を極限に圧縮しています。

結果、例えば貸別荘は地域では料金はかなり高い部類に入りますが、突き抜けた稼働率を誇り、最繁忙期には稼働率100%を達成しています。
安売りなんかしなくても相応の価値の提供と適切なアプローチが出来ていれば集客も評価を得る事も可能なんです。
 
各移住地で同様に結果を出し、これら悪条件下で健全に経営し、むしろ事業拡大出来るからこそ信頼が担保され、相談も多くいただき、それがお金になる、という皮肉な状況でもあります。
現在の在住地ではコロナ同時スタートにも関わらず結果を最大化したという実績も後押ししています。
 
これまた逆に言えば、我々以外が同じ条件で参入してもなかなか厳しいだろうし、経験的事実として撤退、倒産も早いわけです。
結局生き残るのは土地持ちさんや、引退して都会から移住し趣味の延長や夢を余剰資金で叶えたようなお店が多いのが現実です。これを大袈裟だとは言わせません。
 
もちろん実力で評価されているお店だってたくさんありますが、それは結果論であり、経験による後天的評価を前提にした参入障壁とはまた別の話。


信用審査担保外の資本流入について。


近年、クラウドファンディングが流行(横行)しています。
元々を辿れば、社会的価値、社会的意義のある夢や行動、事業等に対して、その実現に足る資金の無い「支援すべき人や行動を支援する仕組み」でした。審査も厳しかった。
 
それが今や個人的な収益事業の開業を夢だとか価値だとかに言い換え利用される事が多く、信用外の資本化となっている事に辟易しています。
 
基本的に事業の金策は自己資金、それに足りない資金は金融機関や国庫からの借り入れで行うべきなんです。
少なくとも『権利や利回りを前提とした出資』であるべきでしょう。
 
なぜ『べき論』なのか。
 
まず、自己資金を溶かさない、借り入れをしない(リスクや犠牲を伴わない)事業は『おままごとレベル』に成り下がる事が多いからです。
経営というのは危機管理とリスクマネジメントが成長に大きく作用する。
なので、返済や利息に相当するリターンを金銭以外に自由に設定出来るクラファンはもはやリスクではなく『与えられた資本』と言えてしまうものであり、その作用の原理たる意識や危機感、思考の深度が極めて浅くなりがち。
(もちろんそうでない事業者もいるのは大前提)
 
そして、民間事業において「信用が審査される」という事は極めて重要。
もしも地域全てのお店や事業が全てクラファンで開業されたらどうなるか想像に難しくないでしょう。
 
クラファンにおいての事業というのはあくまでも「支援者からの期待=支援額」で成立するものです。
そしてその支援者はクラファン立ち上げ人の“信用”を審査するわけでもなく、いち他人としての“期待”に対して資金を提供する。
そのリターンは利息を含めた金銭の返却ではなく、立ち上げ人が決めた価値で支払われる。(例えば支援金1万円に対して1万円の価値と決めた原価1000円のリターン=10%の現金換算価値の返還など)
つまり、その信用担保とリスクにおいて極めて社会性が低い危険性をはらむ事業が生まれ続けるというのは考えているより経済への負荷が高いんです。
 
なぜなら通貨は信用概念の具現化だからです。
(個人的観念なので言い切るのはいささか横暴かもしれませんが…)
 
ともかく、言ってしまえば『出生条件や甘やかし』によって歪で非合理な民間経済が生まれ、通常条件で参入する後進を悪意なく理不尽に阻害し、長い目、広い目で見ればむしろ地域経済を縮小、衰退させている、という事実に基づいて行政含めた様々事業者さんは市場原理と需供の仕組みを考えてほしいと願うばかり。
(潜在的、あるいは現実的に地方衰退の大きな要因のひとつ)
 
なので、我々はどこで何をするにしろ、自己利益を追求するための事業においては自己資金で行います。
叶えたい物があるなら、まず自己資金で出来る事業で資金化し、それを投資して叶えるべきだと考えるからです。
 
なぜなら、自分は『事業家・実業家』だからです。
自分の金儲け、生活は自分の力で叶え実行する、という事業家としての自信と自負があるからです。
(最近は事業家というより事業作家であると自己認識の変化があったがそれはまた別のお話で)
その能力や実績の評価の積み重ねこそが『信用』であり、投資を受けるならばその『信用』に対して受けるべきだから。
 
信用に対する投資、というのは利回り、利確の確実性にも置き換えられるもの。
支援者が納得しているならリターンも利回りと同じだ!なんてのはアマチュアの詭弁です。
 
では「アドバンテージを活かしたり支援を受けて有利に事業をすることが悪なのか?」
 
そうではないです。
むしろ有利な条件は活かすべき。
ただ、アドバンテージがあるからといって度を過ぎた安売りで安易に顧客負担の低減をするのではなく、適正価格での評価でより収益の向上を目指すことこそがアドバンテージの活用であり、結果的に民間経済として健全であり、地域貢献、地域発展に繋がるんですよ、ということです。
 
そして、安くすること、サービスする事が悪いのではなく、『度超しているのが悪影響』、ということであり、与えられた物の活用においては、通常抱えるであろうリスクとのあまりの乖離から得てして度を超しがち(実感値として)である、ということです。
 
もちろん、それはそれ、自分は自分で価値と価格を決めて勝負したらいいじゃない、のは大前提。
(我々は下限に合わせる事業、自分達が納得出来る価格を設定した事業、相場より高い事業、など需供の多導線化、そしてリスクの分散を行っています)

ただ、それで勝負し生き残る事が出来るのは我々のような強さやキャリアがある人間だけで、これからを担う未熟な後進達のチャンスや成長はガンガンに潰していますよ世の先輩方、というお話でございました。
目先のきれい事は後の害悪になることも多々。
広義的には既得権益の話にも繋がるのかな。
 
自分を頼ってくれる人達は必ず勝ち残らせるけどね。それがこれら現実においての私のこれからの役目なので。


終わりに


まあ、こういう側面もありますよ、という話でした。

反面、現状の解決や短期的な効果としてはもちろん良い面もあるのも事実。

その事実ゆえに弊害が見えておらず、より大きな問題として露呈する(している)いわばステルス的社会問題ですな。

同じような事で、例えば『オモウマイ店』みたいな番組で紹介されるタダみたいな値段で飲食を提供したり、もはや食べ物で遊ぶなよ😡と思えるようなドカ盛りも同じ。

あれをお得だとか愛情だとか美談にして喜んでていいのかと。

あれが出来るのは持ち物件だったり戦後利権で格安で住めてたり年金もらってたりなにかしらのアドバンテージで『儲からなくてもやっていける人達』の自己満足でしかない。

嫌な見方だけどね。

ああいうのをエンタメとして楽しめた景気の良いフェーズはとっくに過ぎていて、今は危機感を持たないと日本終わります。

奉仕、施しするなら本当に困っている人にすればいい。

本来、適正価格で出せる人にまであんな感じで提供するから社会にお金が回らず、「あの店に比べれば他(適正価格)は高い」という価値観の下方修正が起こり、他の普通の飲食店や開業の妨げになる。

きれい事が無自覚な害悪になる、のわかり易い例。

京都の王将やったかな?

学生限定で皿洗いするなら無料、とかあれは素晴らしいと思う。

対象の明確化(お金が無く食べ盛りの学生)と対価(皿洗いというバイト)という構図は何も誰の利益も阻害せず『優しさ由来の安売り』が成立している好例。


5000文字の勝手な言い分、読んでいただきありがとうございました。

読んだんだから金よこせ。(クラファンよりタチが悪い)

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