将来の夢
子どものうちはよく訊かれるくせに大人になると一切訊かれなくなるものの代表格、将来の夢。
私は幼い頃、将来の夢があったりなかったりしていた。
幼稚園生の頃、将来の夢を体験する様子を映像に収める機会があった。
当時の私は特になりたいものがなく、朝のニュースを見ては「お天気お姉さんになりたい」と言ったり、年少さんのお世話をしては「幼稚園の先生になりたい」と言ったり、お花屋さんの前を通っては「お花屋さんになりたい」などと言っていた。
結局ケーキ屋の店員をした。なぜケーキ屋だったのかは覚えていない。多分将来の夢を決める数日前にケーキ屋にでも行ったんだと思う。
小学生の頃の夢もふわふわしていた。
4年生くらいの頃に「将来の夢を叶えた自分の絵を描きましょう」という図工の授業では、設計士の自分を描いた記憶がある。当時はまだギリギリ算数ができたので、自分でも設計士になれると思っていたのかもしれない。
でも、3年生の頃はどちらかというとデザイナーになりたかった気がする。デザインするものが服から建物に変わっただけだから、一貫していると言えばしている。
6年生になって塾に通いはじめると、将来の夢は塾講師になった。通っていた塾の講師はみんな魅力的で、将来自分もこんな風になりたいと思った。そして、この夢は私の人生における最長記録を更新し続けていくことになる。
中学生になった。やはり将来の夢は塾講師だった。
学校の教師になるという目標を立てなかったのは、自分自身が問題児であり、こんな問題児の面倒を見ながら30人ほどのクラスをまとめ上げる自信がなかったからだ。
そんな問題児も何とか3年間中学校に通い続け、無事に卒業式の日を迎えた。
私が通っていた中学校では、卒業式で卒業証書を受け取った後に壇上で将来の夢を発表するスタイルだった。
卒業式の練習で、優秀な同級生たちがやれ医師になるだパイロットになるだ弁護士になるだと仰々しい夢を発表していく。
私も「塾講師になる」と言えば済むだけの話なのだが、残念ながら当時からひねくれ者の逆張りオタクだったので、ほかの人と違うことが言いたかった。
そこでふと思ったことがある。
「将来の夢」は、どうして仕事でなければいけないのだろう。
たしかに仕事は社会で生きていくうえで欠かせないものだ。しかし、大人だって仕事ばかりしているわけではない。仕事は生活するうえでの役割の1つであり、働いている人も家に帰れば誰かの父親だったり母親だったりする。仕事だけが大人の、将来の全てではないのではないか。
昔からこんなことばかりは頭が回る子どもだったので、卒業証書を受け取ってから壇上でこう叫んだ。
「みんなを笑顔にできる大人になります!」
大人になった今振り返ってみると、残念ながら塾講師はしていないが、RTAイベントやメーカー公式大会で賑やかしをしているので夢は叶えられているように思う。
15歳の私、良かったね。お前がひねくれてたおかげで夢が叶ったよ。
どうしてこんな記事を書いたのかというと、中学校の周年記念式典のお誘いが届いたからだ。
メッセージ欄には、「おかげさまで、みんなを笑顔にできる大人になれました」と書いて提出した。
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