古着屋

古着屋が好きだ。
まず店員が話しかけてこない。気になった服をじっくり見られる。ご時勢の影響でここ数年は話しかけてくる店員も減ったが、それでも古着屋の気楽さにはかなわない。

古着屋のレイアウトは、いい意味で混沌としている。
種類や色、ブランドとノンブランドなどである程度は分別されているけれど、新品が売られている服屋にはかなわない。着用イメージが一目で分かることは稀で、ハンガーラックから取り出さないと全容が見えない。
同じ白いシャツでも、方向性が全く違うものが隣同士に置かれていることも多い。山の中から自分の好みの服を探すのは、宝探しのようで楽しい。
そんな宝探しをしていると、そこまで広くない店舗でも平気で2時間ほど経っていることもある。大量の服に囲まれて、文字通り時間が溶けていく。

気になった服をかごに入れていく。1時間もしないうちにかごがいっぱいになる。しかし、その中からレジに持っていくのは3分の1もない。
古着屋に行きつく服は、「これちょっと違うな」と前の持ち主に思われた服が多い。気に入った服なら着られなくなるまで使うし、そもそも古着屋には持ってこない。
だから、古着屋にある服は「着てみたらなんか違った」と感じることがよくある。新品の服でも試着室で首をかしげることはあるが、それよりはるかに頻度が高い。

だからこそ、「これだ」と思える服に出会えた時の感動は大きい。
何百、何千とある服の中から見つけ出した1枚は愛着がある。ボタンを付け替えてまで着続ける服もある。
古着屋での出会いは一期一会だ。数日前に訪れたら店頭に並んでいなかったかもしれないし、数日後ならもう売れていたかもしれない。
運命の出会いを求めて、特に欲しいものがなくても古着屋に行ってしまう。そしてまた服を買う。クローゼットが圧迫されていく。身体は一つしかないのに。

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