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僕、ナガヤマがなぜ永山運動室を始めたのか?3/3

現在人生100年時代構想を政府が進めている。

厚労省の平均寿命や平均余命は年齢別の死亡率が変わらないという前提で計算されるが、医療の進歩などで死亡率が年々下がっているため各世代(生まれ年)別の平均余命は年齢を重ねるにつれて長くなっていく現象が起きる。
過去30年間の傾向を分析すると、男性の平均寿命は10年で1.8歳、長くなっている。人生のゴールが年々先にズレているのだ。
その結果、“自分が平均寿命に到達するタイミング”では、同い年の人の6割が存命していることになる。つまり公にされている平均寿命の数字を基準に考えていると、過半数の人が“思ったより長生き”してしまうことになってしまう。なので現在60歳の人の50%が男性89.0歳、女性96.1歳まで、1977年生まれ以降の女性は、2人に1人が100歳まで生きることになっている。

人生100年時代はどうやら本当のようだ。


従って相互賦課方式の年金制度では1人の年金受給者を1人の労働者が支えることも本当のようだし、従って日本人は80歳まで働く事も本当のようだ。
国の対応として働き方改革が浮上してきているが、これは実はもの凄く大きなパラダイムシフトを私たちに迫っている。つまり基本的に公的年金は保険料と給付が等しくなるように保険経理で設計されているので破綻はしない。
だがそれは、日本が長きにわたって経済成長することを前提としているので、長期デフレが続く今、考え方を変える時期にきている。

ラスト10yearsに向けて私たち日本人全体でただ先送りしていた

のでいよいよ逃げられなくなったというだけなのだ。これは「大人達」は覚悟しなくてはならない。長生きのリスクはその質を劣化させない事にあるのだ。
これは、一見大変に思えるが物事は違う視点で眺めることも大事だ。
向こう30年を乗り越える事が出来れば、逆に日本は世界で一番早く高齢化社会を乗り越えた国家になるわけだ。
これは実は大チャンスで、向こう30年の日本の取組がうまくいけばこれから高齢化ピークを向かえる国がドンドンマネをはじめるわけだから、慌てず騒がずしっかり準備して対応していけばよい。
ちゃんと道はあるのだ。

結論としては私たちのカラダは使えぼ使うほどよく動くように、800万年かけてデザインされている

ので、ちゃんとカラダを動かし続ける習慣を身につけてしまえば良い。リタイアに向かうにつれ、自由時間時間は勝手に増えるからカラダを動かして、好きなスポーツをしたり、旨いメシを食ったり、家族と旅行したり活動している方が楽しいという方向性は見えている。現状私たちのとれる対応は大きく2つあって、先端医療や予防医学などを取り入れる①「受動的対応」と自らが適切な食事やサプリメントを選択したり適切な運動を行うといった②「積極的対応」に分けられる。
おそらくどちらかが欠けていても充分ではないと思うが、絶対わかっている事は、②積極的対応を行うと、まず自分のカラダがガンガン動くようになるなら損はない。
だが全ては自己責任なので、究極は本人以外は誰も困らない。

ところで、情報を沢山持っている人たちがいて、彼らの多くが経営者層だ。

そして彼らの多くが予防医療や、運動プログラムや、食事管理を実践していることを僕は知っている。
理由は病気になりたくないというよりも、予防に時間とお金を使ったほうが、結果的に時間的にも金銭的にも苦痛の総量も全てが、人生最後の10年において圧倒的に小さくすむ事を彼らは知っているからだ。
要するに合理的なのだ。
永山運動室は①「受動的対応」ついては門外漢なのでおいおい学習し、部活で発表していくが、人々が②「積極的対応」を知って最適な健康投資を選択できる水先案内を目指す。

でも運動室を始めたのは本当は自分の母親かきっかけだ。

彼女は頸椎内の静脈瘤が年々大きくなる奇病

にかかっていて、場所が微妙すぎて手術もできない。セカンドオピニオンどころかサード、フォースオピニオンを重ねた結果なのでこれはしょうがない。

で症状はどのようなものかというと彼女の場合は利き手側の右半身が徐々に痺れが増していく。段々1人で生活するのが難しくなってきて我々親族は介護サービス付き有料老人ホームというところに入居してもらった。2019年末の頃だった。
そこは大変親切でサービスは充分なものであったが一つ難点があった。施設内で怪我が起こる事を彼らは大変嫌う。もしかしたら国の評価ポイントの中に入っているのかもしれない。

入居後、自分の母親は一切運動をさせてもらえなくなった。

リハビリもマッサージで終わってしまい、自分の室内での自律的運動も禁止された。当然僕は運動させてもらうよう頼み、それができるかどうかの確認で3ヶ月くらいの時間を消費した。どうやら僕の依頼は老人虐待にあたるそうでかつクレーマーと思われてしまったようだ。コロナがひと段落してトレーナーを派遣してトレーニングを勝手に始めたが、時はすでに遅かった。

彼女は大動脈解離を発症した。

幸いなことに解離場所が心臓に近い胸部ではなく、お腹の辺りだったのでかつ老人なので裂け目が広がることもなくカサブタができて出血や解離も止まった。現在は長期療養型病院に入院し、気管切開の人工呼吸器に繋がれ食べ物は全て流動食だ。言葉も話せない。

介護付き有料老人ホームに入居して大動脈解離を起こすまでわずか2年弱。

あっという間に悪い状態に転がり落ちていってしまった母親を見て、振り返ってみた。実は兄弟とも話したのだが、母親がもっと元気な頃トレーナーを派遣してトレーニングしていた時期が一番カラダが動いていて、動きが良かったのだが、彼女自身がトレーナー料金をケチったのかわからないが、途中でやめてしまってから悪化が始まったという認識で一致した。

多分そうなのだ。多分人間は死ぬまで生きるように設計されているが、やはり条件付きなのだ。その人にとって適切な負荷をかけ、それをやり続けることによって、生命を全うできるのだ。

そしてそれを行う場所や環境を提供したい、と強く思ったのだ。これが動機です。





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