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【東京十社めぐり:No.1 】 日枝神社(千代田区赤坂)

2022年を迎え、前厄の年となりました。そんな私ですが、今年は東京十社を毎月1か所づつ巡る【東京十社めぐり】をすると勝手に決め、本日が最初の日となったのでした(笑)

ちなみに、十社をめぐりのに順番に決まりはないとのことらしかったので、最初にお参りすることにしたのは「日枝神社(赤坂)」です!!


東京十社とは

明治天皇が明治元年(1868)に准勅祭神社と定めて、東京の鎮護と万民の平安を祈願されたお社のことで、当初は12社が定められていました。1975年に昭和天皇即位50年を奉祝して関係神社が協議を行い、准勅祭社から遠隔の府中町六所宮と埼玉県久喜市の鷲宮神社を外し、23区内の10社となったそうです。

日枝神社とは

赤坂にある神社で、江戸三大祭の一つの山王祭が行われているのが代表的であり、通称「山王さん」として親しまれています。大山咋神(おほやまくひのかみ)を主祭神とし、相殿に国常立神(くにのとこたちのかみ)、伊弉冉神(いざなみのかみ)、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)が祀られています。

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日枝神社の歴史

さかのぼること約800年、最初に建てられたのは現在の川越だったそうです。滋賀県の日吉神社を、秩父重継(ちちぶしげつぐ)が、そのころ荒野だった川越にもってきたことがはじまりといわれています。ちなみに、詳しい創建年は不明なのだとか。そのあとも日枝神社は何度も移転を繰り返します。約560年前の長禄元年には、江戸城の完成と同時に、太田道灌(おおたどうかん)の手によって江戸城に移されます。さらにその100年後には、城内で忘れかけられていたところを、江戸城にはいった徳川家康に発掘され、江戸城内の紅葉山に遷座されます。慶長9年(1604年)からの徳川秀忠による江戸城改築に際して、社殿は江戸城外の麹町隼町に遷座し、庶民が参拝できるようになりました。ただ、1657年に起こる江戸時代最大の大火事、明暦の大火でなんと社殿を焼失してしまいます。そして大火事の災難から2年後、ついに1659年に現在の場所に再建されることになるのです。江戸城の南西、もっともよい方角とされる裏鬼門に位置していたため、この場所が再建の地として選ばれたといわれています。ちなみに、現在の日枝神社の建物は、昭和20年の東京大空襲で全焼してしまったあと、昭和33年に再建されたものです。

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山王鳥居

日枝神社の鳥居は、山の形をしていて、この鳥居は「山王鳥居」と呼ばれています。これは、他の神社では見られない、日枝神社独特の鳥居になっています。この山王鳥居は、表参道、裏参道、西参道の3ヵ所に設置されています。王道として表参道から参詣するのが良いとされていますが、今回は裏参道からエスカレーターで境内に上がりました。参道に立派な往復できるエスカレーターが設置されている神社はここしかないのだと思います。

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日枝神社の末社

末社とは、境内の外や神社の付近にある小規模な神社のことをいいます。意外と見過ごしてしまう人も多いご利益スポットらしいです。社殿の右がわ奥にあるこの場所が、日枝神社の隠れパワースポットとして密かに注目を集めているとのこと。末社は、左に「山王稲荷神社」、真ん中は「八坂神社」、右に「猿田彦神社」の3社が並びます。

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千本鳥居

日枝神社には、伏見稲荷大社で一躍有名になっている、「千本鳥居」があります。朱の色が美しい千本鳥居は、都内で有名なのは此処日枝神社と根津神社の2ヵ所しかないらしいです。参拝を終えた後、帰るときにこちらの千本鳥居を歩いてみました(笑)

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以上、日枝神社へお邪魔した記録です。次は3月になりますが、どこに行こうかな・・・

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