【歯ブラシとおばちゃん】

私には育ての親がいる。
親が仕事で忙しく、3歳頃から小学4年生位までの間、週末や長期休暇は"おばちゃん"の家に預けられ過ごしていた。
電車で1時間半,幼い私には異国の距離に感じられたが、お泊り用の黄色いリュックに荷物とワクワクを詰め込んでら指折り数えて週末を待ち望む位に、おばちゃんの側が大好きだった。

スーパーの帰り道におばちゃんが知人と長い立ち話をするのを自転車の後ろで待ちきれず,早く行こうよと催促するなんて子供らしい本音が言える位には甘えさせて貰っていたし、それに対しておばちゃんはいつも笑顔で優しくて、私にはおばちゃんが私の事を心から可愛いと思ってくれてる迷いのない自信があった。だって家の壁には私が描いた絵やお手紙がそこかしこに飾ってあり,おばちゃんがそれについての思い出を慈しんで話してくれる横顔にいつも愛情が滲み出ていたから。

小柄だけど安心できる強い背中にいつもおぶって貰い、私はそこで大切に温められて、自分の家庭では得られなかったものを埋めて貰っていた。




時が経ち、おばちゃんにも孫が出来、飾ってあった私の絵が孫たちのそれに変わってしまった頃。
母の日に送っていた花を,おばちゃんがもう来年からは良いよと遠慮する年が続き、もしかすると逆に負担になってしまったかなと贈るのを辞めた。

距離が出来た様に感じた。でもそれも時間の経過,人の心の移ろいだろうと切ない気持ちを見えない様に押し込んだ。

 
おばちゃんは80才を前にしても,お父さんお父さんと常に旦那さんを見つめてヤキモチを焼いたり,きっとずっと旦那さんに恋をしていた。
先日、その旦那さんが急逝してしまった。


多くの人は葬儀が終わりひとまずの法要を終えた頃に一番気持ちの疲れが出る。
だから今日おばちゃんに会いに行った。

持参した仕出し弁当を一緒に食べる。いつもと同じ優しい笑顔で気丈なおばちゃん。色んな雑談,おばちゃんの趣味の話,孫や娘の話,私の話、色んな話の流れでおばちゃんが言った。

「きっとね,私あと2年位でお父さん(旦那さん)のところに行くと思うのよ。」

だから準備してるのと言って、遺書や棺に入れて欲しい物を集めた引き出しを見せてくれた。

遺書には精一杯寿命は全うしたから自分の尊厳を保ち潔く死を受け入れたい、だから延命治療を拒否するという旨や、娘や息子達への感謝と如何にあなた達の母で幸せだったかが記されていた。

おばちゃんはその時を待っているんだろうなと胸が苦しくなった。



そして、
おばちゃんが大事そうに取り出し見せてくれたのは、私の歯ブラシ。随分大きな大人用歯ブラシを黄色いリュックに詰めて小さな私が持参したそう。また次に来た時に使える様にとご丁寧に箱に名前と似顔絵をたくさん描いて洗面所に置いてあったのを、可愛いと思い何十年も大切に保管してくれてたらしい。

「これを棺に入れて貰うのよ」とおばちゃんは笑った。大切そうに歯ブラシを撫でながら慈しむように思い出話を語るおばちゃんの優しい横顔には、昔と変わらず愛情が滲み出ていた。

それから、見てとおばちゃんが差した先には母の日に送り続けたブリザードフラワーが綺麗に手入れされて飾ってあった。

私はまだおばちゃんに可愛がられていたのだった。

帰り間際、
来月また来るよと話しておばちゃんを両手で包み込んだ。いつも私をおぶってくれていた背中は小さくて華奢で丸くて、まるで小さな子供の様に私の腕の中にすっぽりと収まってしまった。背中を撫でながらご飯ちゃんと食べてねとお願いしたら、おばちゃんな小さな背中が震えてた。
気丈にしてたおばちゃんの寂しい悲しい辛いが痛々しく伝わった。

何が出来るかわからないけど、今が恩返しの時だろうと思う。

色んな想いが渦巻いて仕切りに涙が出るのだけれど、何の涙か決め辛い。


今日はそんな日だった。

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