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【河西大樹】創価高校のグラウンドを東大和に追いやった男の話

今回は世田谷西シニアと高校野球部の同級生である河西大樹を紹介します。
※指さしているのが河西です。

【野球歴】
塚戸クラブー世田谷西シニアー都立総合工科ー国士館大学ーゴールドジム

河西とはシニアと高校が一緒でした。ただ当時は他の高校へ行きたかった説も...何かの縁で同じ高校でも一緒に野球を続けることになった同級生です。

当時から野球に対して真面目な男。シニアではレギュラー。高校入学後も1年生から4番打者でレギュラー獲得。人柄もみんなから愛される。高校では主将だったけど絶大な信頼があり、河西が言うならという雰囲気。悪いこと言う奴なんていませんでした。
※大学野球部では副主将で合ってる?

選手には簡単に褒めない、むしろ厳しい有馬信夫監督でさえこのチームは河西が作ってくれたと。

「俺が言わなくとも河西が言うから」

「河西が言ってくれるほうがこの代はまとまる。こういう主将のときは指導者が邪魔しちゃいけない」

「取り組む姿勢、主将としても歴代で上位だな」

まさかのベタ褒め。(笑)

あの有馬監督を認めさせる人格者です。

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高校時代

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3年間レギュラーとして試合に出続け高校通算本塁打は30発超とかだったかな?最後の夏、準々決勝の二松学舎大付戦でも貴重な同点本塁打を放つ。

大事なところで結果を出す。この男はこれに尽きるぐらいさすがだった。

中学のときからパワーあるんだけどそれに頼りすぎて引っ張りの打球はよく見てた。高校に入ってからはスイングが綺麗で右中間に伸びる打球が特に多く、かつ本塁打は弾丸ライナーもあったけど放物線を描く綺麗な弾道。

アーチストって感じ。わかりますかね?

うちは短い時間であれど、毎日練習するし、試合も多く組まれています。経験から掴んでいったものもきっとあったと思う。

自身はベースコーチでメンバー入りしたので河西の本塁打をたくさん、たくさん見せていただきました。

本当にいいバッターでした。

夏の大会前に打った特大すぎる本塁打

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甲子園目指して最後の調整をしていた6月頃。
春の大会で上位進出を果たし、夏の東東京大会でシードを獲得。ちょっとこの時期チームがおかしくなったこともあり、この戦力で負けないであろう相手に練習試合でやられるなど勝つことの難しさを一気に感じていたときだった。

当然、夏の大会は待ってくれない。
開幕まで残り数試合。6月某日、その日の練習試合は創価高校の小平グラウンドで創価と都立国立の変則W。結果は2戦2勝でいい勝ち方でした。
※今現在は東大和にとても素晴らしい環境のグラウンドがありますが自身が高校生のときは小平にありました。

2試合目に試合したときだった。相手は都立国立。
この試合、うちの1番打者が3打席連続本塁打を打ったり他の打者からも本塁打が出て打線爆発していたこの試合でも4番で出場した河西が創価高校小平グラウンドのレフトの高い高い防球ネット(ゴルフの打ちっぱなしにあるような)を超える超特大本塁打を放ちました。

今でも弾道は覚えてます。笑
凄い本塁打でした。

なんとビックリなのが、創価高校野球部監督の片桐監督もこの本塁打を覚えていたことです。仕事を通じてお会いしたことあるためお話をしたら鮮明に覚えていました。

「あの本塁打でうちのグラウンドが東大和に移転することになったんだよ」

詳しく聞くと、どうやらとても厄介な方の住宅に飛びこんでしまっていたらしく、創価高校関係者がずっと平謝り。この一打が移転せざるを得ない決定的な本塁打になってしまったと。

確かに住宅街にグラウンドがあったかな。

何人かの打者が超えていたことはあったそうですが、「自分が監督やっている間であれだけジャストミートした本塁打は河西君だけだよ」

相手校の監督さんも認めるくらいの素晴らしい本塁打。
高校入って覚醒しちゃったなあと。

長く野球続けているのは結果も出して、積み上げてきたものがあるからだと思う。いつ引退しても後悔しないぐらい、元気に野球してほしいですね!



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