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三塁ベースコーチは第二の監督

高校2年生夏休みの連戦を終えて、秋季大会メンバー発表の日。
なんと自身は背番号20で初めてメンバー入りを果たすことができた。

指導者からは「夏の連戦でちゃんと結果出したからサプライズ番号だな」
※実際の秋季大会ブロック予選の写真

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初めて背番号もらえたので本当に嬉しかった。今まで頑張ってきてよかったと。

この調子で一生懸命頑張ってメンバーに入るぞって意気込んでいたが、身体の方がもう限界。秋季大会を終えた後から様子がおかしく元々腰痛持ちがあり、動くのが辛いくらいになった。病院へ行くと「椎間板ヘルニア」と診断された。一緒に行った母は大爆笑、自身はもう選手としては引退しようと決断。

同級生のなかで一足早く選手として高校野球生活は終了することに決めました。翌日に1人で体育教官室へ出向き、有馬監督に報告。

「これからはもう練習やりません。選手としては引退します。その分、この高校の未来のためにめっちゃデカい声出して練習を盛り上げます」

お前にポジション与える。三塁ベースコーチだ。この代で誰がやるかって言ったらどう考えてもお前しかいない。

なんとしてもこの代で有馬監督を勝たせたい。本気で思えた。
そうして、春の大会と最後の夏は三塁ベースコーチでメンバーに入って学校を代表して戦うことに。通常の練習日は空き時間できたら腰痛改善のため軽く運動、ノックで監督専属のボール渡し、実戦形式の練習で実際にベースコーチに入るなどして日々を過ごした。

いざ、春の大会。
失敗しまくった。初戦の豊多摩高校戦。チームはコールドで勝利したけど、判断ミス2回...怒られまくった。

「自信ないならそこに立つな!」

監督に怒られまくった...ここで吹っ切れて、以降はなんとか夏の大会も大きなミスなく全うすることができた。

三塁ベースコーチをしていたうえで自分が意識していたこと。

ベンチが回せって思う時に回していること

ここはベースの考え方だと思う。ここの意思疎通は大事だったなと。ここを念頭において、回すかを判断するうえで自身は外野手の肩よりも、内野の肩や中継プレーの的確さを注視していました。長打が多い打線だったので、チャンスを広げ得点していくために相手のここを意識して見ていました。判断基準のベースはやっぱりシートノックや、キャッチボール、トス打撃。雑さはやっぱり練習から出る。

あとは得点差によって、ストップする時もあるので止まってほしいときのリアクションを大きくしたこと。今の時代に見たいにyoutubeのようなものはなく、自分が思いつく形でやってみた。超俊足が揃っているわけではなかったけど、積極的な走塁をするメンバーが多かったのでここは自分から説明したし、監督から動きを教えてもらうこともあった。

プロや大学、社会人は監督やコーチが立ちますが、高校野球は選手がベースコーチに立ちます。

母校の勝利のために三塁ベースコーチに立つことの責任感を感じながら取り組むことができました。

三塁ベースコーチとは?と聞かれたなら「攻撃の責任者」と答えます。

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