それでも。
突然のことだった。
近頃、特にこの1ヶ月、自分と向き合う時間を沢山とった。
きっかけは、とある企業の人事さんの、
「君が、分からない。」
という言葉。
その言葉を聞いた時、胸の動悸が止まらなくて、突如不安に襲われた。
思い返してみると、自分に軸も核も見当たらなかった。
大学に入って沢山の事をやり遂げたはずだ。
入学して直ぐ長期インターンをはじめ、学生団体を創設し代表もして、何百人の新入生を呼んでイベントをしたり、福井に地方創生に行ったり、東南アジアに海外研修も2回行ったし、素敵な企業さんのところで働かせて貰ったりもした。今は社会をよくしようと頑張っている。
そういえば、フィリピンで透明な海の中でジンベイザメと一緒に泳いだ事もあった。
たくさん学んで、たくさん笑って、どれもが価値のある時間で、沢山の人と触れ、話し、側から見るときっと輝いてみえたはずだ。
ところが、ところがだ。一見順調そうに見える大学生活を送っていた、何も悩まなさそうな僕なのだが。
面と向かって、言われてしまった。貴方が分からないと。
一番僕を分かっていないのは、僕だ。
こう言われた時、完全に頭の中が「?」となった。
そうして気づいたのだが、自分でも自分が分からないのだ、他人に分かる訳がない。笑
「多重人格かサイコパスだよな」
「何考えてるか分からない」
「笑顔の目が笑っていない」
そういえば、大学に入ってこう言われる事が本当に増えたなぁと。
縁もあり、自分が属しているコミュニティの数は6つ。
相手に、組織に、環境に、時代に合わせて言葉を選んで、思想ごと変えて、適応していた。
全ての組織の中心にいて、それなりにうまくやっていたし、沢山頼られて承認欲求を満たしていた。時に傷つけられても、誹謗中傷をされても乾いた笑いで誤魔化し、うまいこと避けて傷つかない術を身につけていた。
そして、きっと、これが一番いけなかったんだろうな。
ずっと僕は、そんな自分と自分の感情に違和感を感じていたのだが、それを全て綺麗な言葉で包み装い、押し殺していた。
言葉というのは本当に恐ろしいもので、何度も自分に言い聞かせていると本当にその気になってくる。
綺麗な言葉で違和感を包み、環境に適時適応し、時には思想をスイッチし、傷つく時はやり過ごし、感情を殺し、繰り返し。
そうして出来上がった自分は、無形だった。**
気づけば、悲しいとか、怒りの感情を全く抱かなくなっていた。
(抱けなくなっていた?)
どんな環境にでも適応できる、力と価値を発揮できる、一見最強そうな、だけど決して突き抜けない中途半端な人材。
自分が何か容器の様な、空っぽの容れ物の様な感覚で、常にどこかで冷めている。悲しい出来事は全部忘れる。(マジで思い出せないので後天的な解離性健忘だと思う)
1人で考え事をしていると本当に、本当に不安で、怖くて仕方なくて、でも人といる時はヘラヘラしてて、SNSでそれっぽい言葉を吐き出して。
そうして。
そうしてついに、言われてしまった。自分でも気づいてしまった。
「貴方が分からない。」と。
些細な一言だが、無意識に気づかない振りをしていた事を引っ張り出され、突如不安になり、怖くなり、沢山の人に話を聞いてもらい、解決したかの様に見えるけど、その度に新しい疑問を抱いて、ループし、結局本当の自分は分からないままで。
日に日にしんどさは増していく。不安で、寂しくて、怖くて、でも誰も頼れなくて。
そんな生活が今月に入って、少しばかり続いた。
7月21日の午前2時。ベランダで。
死んでしまおう。そう思ってしまった。
決して、死にたいと思ったのではない。生きるのが、しんどくて、辛くなったのだ。
きっかけは凄く些細なこと。
午前2時、丑三つ時、たまたま全てのLINEやSLACKでの連絡が切れた。
世界と自分を繫ぎ止める命綱が切れたのだ。時間は午前2時。頼れる人は皆寝てしまってて、連絡をしても帰ってこない。既読もつかない。
完全にひとりぼっちになってしまった気がした。
なぜかは分からないが、糸が切れてしまった。
そうなると、もう止まらない。
精神的孤独状態に陥った事で、今までずっと無意識に殺していた負の感情が溢れてきた。負の感情が夜の闇に混じって押し寄せてきた。まるでダムの決壊の様に、涙が止まらなくなってしまった。孤独さを痛感した。
『あ、これはもうだめだ。死んでしまおう。』
幸いな事に僕の住んでいる四条のアパートは7階。調べたところ、5階を越えると人はほぼ100%死ぬらしい。ベランダの柵から上半身を乗り出し、下を覗き込んでみる。
でもめちゃくちゃ怖い。死のうと思って高いところから見下ろす地面は本当に遠くて、怖い。
それならば、と思いさらに「自殺 楽」「怖くない死に方」「人に迷惑をかけない死に方」とググって、記事を読み漁り、まず第一の手順は自分の部屋を解約する事。いや面倒くさい。この世界は死ぬ事さえ許してくれないのかな、て。
至った結論は、よりよく生きる事。死にたくても死ねないのであれば、生きるしかないのであれば、よりよく生きるしかない。
この世界は地獄だ。
翌日、生き延びた自分はとある大事な人に相談をしてみた。
「昨日、生きるのが本当にしんどくなっちゃって」
「孤独を感じて、本当に寂しくて、不安で」
「色々溢れちゃって、もうダメかと思ったんですよね」
すると、その人がこんな言葉をくれた。
「この世界は地獄だよ。その前提で生きると楽だよ。」
「私は安心したよ。藤尾が悲しそう顔をしてて、やっと人間らしくなったなって。よかったね。」
そう微笑んでくれた。その言葉を聞いて、心から、安心した。また、こういう言葉をくれたりもした。
「ちゃんと悲しみや絶望を知っている、それはこれからの人生で沢山の幸せと希望を感じれるという事だよ」
と。言うに、どこかのお偉いさんが言っていたらしい。
“幸せとは、不幸を知っている事であり、不幸とは、常に幸せな事である。”
例えば、シリアの紛争中じゃあ健康に生きて美味しいご飯を毎日食べれる事は幸せな事だろう、だがこの国、日本ではそうじゃない。幸せってのは相対的なもので、比較する対象が出来て初めてより強く深く感じれるものなのだ。
僕は、絶望を知り、孤独を知り、悲しみを知り、この世界は地獄だとさえ思っている。
それは、これからの小さな幸せや暖かみを感じて、見逃さないという事でもある。
そうして気づいた。僕はずっと探していたんだ。
心から安心できる、無条件で自分を肯定してくれる居場所を。そんな人を。
そう気づけて、幾らか楽になった。
貴方が分からないと言って下さった人事さん、沢山お話を聞いてくれたtalikiの皆、友人たち、本当にありがとう。大事な事に気づけました。
生きることは悲しいし、虚しい。
ただ、自分が楽になったからと言って、この世界を取り巻く現状は1mmたりとも変わりゃしない。
命は平等?機会は均等?そんなはずはない。
人々は生まれながらに不平等だ。
この世に生を受けた瞬間に、人生の大半は決まっている。
今日も、世界のどこかで、天災によって無作為に命が奪われている。
愛されるはずの親に暴力を受け、衰弱死した子がいる。
いじめを受け、小学生ながらに生きる事を止めた子だっている。
LGBTQや発達障害の人達は社会の最適化の歪みで闘い、それをみて嘲笑する人がいる。
怒りと憎しみが止まらない。殺意だって抱く。
誤解を恐れず言うのであれば、悪いのは彼ら自身じゃない。 そんな人達を産んでしまう、この社会構造なのだ。
彼らを憎んだところで何も変わらない、新しい地獄を産むだけだ。
愛さなくちゃならないのだ。
この世界は地獄だ。
奪い、奪われ、守り、守られ、愛し、愛され。
そんな肯定と否定の狭間で僕たちは毎日戦っている。
それなのに、それなのにだ。
愛する人も。安らげる居場所も。いつか必ず、失くなってしまう。
いつか世界に忘れられてしまう。その絶望を、僕たちは皆知っている。
生きることは悲しいし、虚しい。
それでも。
それでも、だ。
いつか失うと分かっていて、いつか忘れられると分かっていて、
僕たちは醜く求めてしまう。美しく在りたいと願ってしまう。
この世界は地獄だと知りながら、希望を見出し、そこに向かって歩み続けてしまう。
そして絶望と希望を繰り返し、ようやく気づく。
この世界は地獄じゃない、ましてや天国でもない。
ただ、そこに在るだけだ。
近頃は、意識して、今まで色々捨ててきたものを、ひとつひとつ拾い上げ、大事にしてあげている。
ふと気付くと毎日、昨日より、少しだけ世界が彩りをもって見える。
やり残した事だってたくさんある。
読みたい本も沢山ある。
学びたい事も沢山ある。
やりたい事も沢山ある。
会いたい人も、行きたい場所も、いっぱいある。
少しだけ鮮やかになったこの世界は、やっぱり悲しくて、虚しい。
そして、美しく、尊い。小さい愛で溢れている。
ちゃんと、大事にしてあげなくては。
生きる事は、思ったより、悪くない。
_______
(2021/7/8 23:50 追記)
とかまぁ、書いてみましたがやっぱり生きるのをやめたくなる時って沢山ありますね。
正直、本当に辛くて、死にたくて、もうどうしようもなくて死んじゃう人、それはそれで幸せなんだと思います。本当に正直なところ。
でも、残された人はどうなんだろう。
そして、残された人はこれから僕達、貴方に何を残してくれるのだろう。
きっと今頭に浮かんだ人達はそれなりに幸せで、1人じゃないって言っても、1人で。
僕はきっと、その1人である。
胸を張って、声を上げていう。
これまでも、これからも、やっぱり自分が大事で、自分を優先する。死にたい貴方のその気持ちを解決してあげる事はできない。
なので、どうか、どうか、思い詰める前に会いにきて。(交通費、食費、宿泊費は支給します)
僕のエゴの為に、さいごだと思ったその時に、会いにきて。そして、話を聞かせて。
まぁ後強いて付け足すなら、生きてね。笑
君が大好きな人達が、大好きな貴方を愛しんで、慈しんであげて。
大好きだよ〜
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