長い話をします

以前使用していたnoteのアカウント、ログインできないので新設した。
現状を記録したい。

3,4歳の頃から絵を描きはじめた。
小4くらいからキャンパスノートに漫画を描くようになる。
そこからふんわりと「漫画家になりたい」と思うようになった気がする。

ペン入れしてトーンを貼って漫画を描くようになったのは19歳の時だった。
そこから23歳まで私は出版社に持ち込みしたり、賞に応募したりしてた。
自分で言うのも何だけど頑張っていた。
でもいつも奨励賞止まりでその先に行けなかった。

そんな状態を見かねた両親が、知り合いのつてかなんかで
とある漫画家を私に紹介し、弟子入りすることになった。
片道1時間半かかる先生の仕事場に行き、作品を見てもらった。

先生は2~3ページめくっただけだった。読みもしなかった。
乱暴に机に原稿を起き、
「こんな作品誰も読まない」
と言った。

その後何を言われたのかはもう憶えてない。
ただその場で笑顔を作るので精一杯だった。
先生は
「でも、ぼくの言う通りにすればデビューできるから!」
と力強く言った。
そうか、そうなんだと自分に言い聞かせた。
この人の言うことを聞けばデビューできるんだと。

そこから1年、先生のもとで修行をした。
絵柄も直したし、描きたくない内容の原稿を作った。
絵柄を直さないといけなかったから、
一度描き上げた原稿を一から直したり、かなり大変だった。
一年かけて1作品だった。ずいぶん時間がかかってしまった。
そして投稿して、結果を確認すると、
初めて最終選考にも残らなかった。
この時、私は「やっぱりね」と思った。

先生に原稿を見せたときに
「これで大丈夫だ」と言われたからだ。
その時点で私は先生のことを信じていなかった。
親の紹介の手前、先生のことを否定もできなかった。

最終選考にも残らなかったことがそこまで不思議じゃなかったし、
何よりもっと深刻だったのは漫画を描きたいと思えなくなっていたこと。
父が心筋梗塞と脳梗塞になって倒れて、仕事もしないといけなかった。
このときの私は仕事をしていなかったから、潮時だと思ったというのもある。もう無理だった。
自分は漫画家になれないし、もう二度と漫画は描かないだろうなと思った。

画材を全部捨てて、好きだった漫画も捨てた。
それからは仕事が決まるまでいつも布団の中にいた。
布団の中で「ご飯を食べなければ餓死できるかな」と思いながら寝てた。
身体に力が入らなくなって、喉が乾いてお腹も空いた。
重い体を起こしてお茶漬けを泣きながら食べる、そんな日々が続いてた。

そんな時に、作曲するという形で表現を再開することになった。
歌が好きだったからまずは歌った。でもなかなか人に聴いてもらえないので
なら自分で作れば良いんだと思って。
同人音楽のイベントに出たり、ライブで歌ったり、音楽の経験を少しだけど積んだ。

でも5年くらい音楽を続けて、思ったことは
なぜだか「また絵を描きたい」だったのだ。

音楽を作るのを中断して、30歳になる頃から
絵を描くようになった。
最初はデジタルだったけど、シャーペンやボールペンで描く絵のほうが
好評だったのでアナログ線画の絵が増えた。
そこから1年、絵を続けられた時に更に思った。
「やっぱり漫画が描きたいなあ」と。

漫画をやめてから、5~6年は経ってた。
もうゼロから始めようって思った。
まずは1ページ…と思って描き出す。
SNSで発表するたびにドキドキしたけど、
読んでくれる人は居た。…居たのだ!!!!!!
先生の言ったことは嘘だった。
私の漫画を読んでくれる人は 居た。

でも、どうしても発表できない作品があった。
「HANON」だ。
2話の途中まで描いた落書きの漫画だった。
どうしても、怖かった。本気で切ったネームだったんだと思う。
読まれないかもしれないと思った。
でも、その気持ちを2年くらいくすぶらせて
「でももう、後悔したくないな」と思った。
本当に勇気が要ったけど、SNSにあげてみた。
怖くて反応が見れない。
でも、そこにコメントがついた。
「続きが読みたい」と。

居たのだ。読んでくれる人は、居るんだ!
そう確信に変わったとき、もっと描きたいと思った。
漫画を描くのは本当に楽しい。
その気持ちが戻ってきたことが何よりうれしかった。

話してなかったけど、
私は母から強い虐待を受けていた。
重度の喘息だったけど、医療拒否をされ
治療を受けられなかった。

地域や学校ではいじめに遭った。
いつも逃げ場がなかった。

母は私が漫画家を目指すことにしたときに
そもそも進路相談に乗ってくれてなかった。
筆を折ったときは責められた。
どうして諦めるの!これで生きていけるって思ったんでしょ!!と。
そもそも進路相談にも乗ってくれなかったのに何を言ってるんだと思った。

30歳になって、結婚が決まり家を出た。
両親への憎しみが募ってどうにもならなくなり、
心療内科に通うことになった。
カウンセリングを通してだいぶ回復した。
カウンセラーからは「夢図さんは漫画を描いた方がいい」と言われ、
それでもっと描いて良いんだ!と嬉しくなって毎日のように漫画を描くようになっていった。


漫画を再開してから6年経ったとき、
何故かまた漫画家を目指したいと思うようになった。
2022年の11月頃からSNSで主催されてる漫画賞に応募するようになった。
2回応募し、2回一番小さな賞をいただいた。

2回目のタイミングで、担当さんがつくことになった。
過去の自分では到達できなかったところに、今の自分はやってきたんだと思った。

今回、なぜ日記を書こうかと思ったかと言うと
自分の中で大きな変化があったからだ。

楽しく漫画が描きたい、ただそれだけでここまで来た。
でも振り返ると、色々あったなって思う。
その中で私は本気になることを止めていたことに気づいた。

担当さんの言葉や、諸先輩方の言葉に対して
どこか自分が浸透しきれてないと感じるシーンがあった。

怖かったんだと思う。
自分の本気を出してそれがまた駄目だったらと思ったら
どこかで力を抜いていたい自分が居た。
もう諦めないって決めたけど、本気を出して駄目だったら
過去の自分のようになってしまいそうで。

でも色々あって、
本気で目指そうって思えるように変わってきた。
変わってしまったというか、19歳のときに持っていた
「情熱」が戻ってきた。
もう火が消えて、無くなってしまったと思ってた。
でも戻ってきてくれたんだと思った。
それが嬉しい。けど同時に予想していなかった苦しみも到来した。

その情熱と一緒に、過去の記憶が蘇りやすくなってしまった。
原稿に向かうと実家で受けていた虐待や、学校で受けたいじめ、
他者から向けれた悪意の数々が、自分の中に渦巻く。
漫画を描くことは、過去の自分にとって
現実に耐える手段だったのだと思い知った。
それは現実逃避だった。


今の自分はどうだろう。
夫はとても優しいし、良い家庭だと思う。
私の帰る場所は夫の居る家だし、その中で虐待なんてものは無い。
義両親とも関係は良好だ。

そして実母には、漫画家を目指すことを伝えたんだけど
彼女は本当に変わっていた。

虐待の事実をどこまで認めているかは分からないけど
私が7年顔を合わせなかったことは流石にこたえたようで
酷いことをして申し訳なかったと謝罪してくれた。
漫画家をまた目指すことを喜んでくれたし、おめでとうって
優しい言葉をかけてくれたのだ。

そう、だから「いま」はもう違うんだ。
現実逃避のためじゃない。表現がしたい!

でも、あの頃頑張って漫画を描いていた私は偉かったと思ってる。
あんな劣悪な環境下で、表現を諦めなかった。
タイムマシンがあったら抱きしめに行きたい。
よく頑張ってるじゃん!って頭を撫でてあげたい。

これからどうなるかは分からない。
私はまだデビューしてないし、これからプロになれるかも分からない。
でも!もう諦めないって決めた。
死ぬまで目指す。

でも欲を言うなら、いまの担当さんと本が作りたいと思ってる。
だから本気だ。
否定されたら怖いけど、偽ってはいけないなって思って。
なんだこの人、暑苦しいなって思われるかもしれないけど
でももう力をセーブしようとするのは止める。

ここまで書いて、まだ怯えてる自分の本心にも気づけた。
鼓舞してるんだな。

いつ死ぬかも分からない人生だから、悔いなく生きたいよね。
だから少しでも前進できるように頑張ります。

以上、長い話でした。


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