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誰が為に「ONE」は在る

・選手会長として

7月16日に新リーグの発足会見が行われました。新しいリーグ名称は「JAPAN RUGBY LEAGUE ONE」(ジャパンラグビーリーグワン)、日本ラグビー界で特別な意味を込めて使われる象徴的な言葉「ONE」が掲げられた名称となりました。開幕は2022年1月7日、日本のラグビー界が未来に向けて新たな志を胸にスタートを切るこのリーグに現役選手として臨めることを本当に嬉しく思うと同時に誇りと責任を感じます。

それまで東日本-関西-西日本と各地域でリーグ戦を行い全国社会人大会にて日本一を決定していた方式を変更し、全国規模のリーグ戦を行う「日本最高峰のリーグ」として2003年にトップリーグが開幕しました。そこから18年が経ち、次のステージ「世界最高峰のリーグ」を実現すべくこの新しいリーグ「LEAGUE ONE」が発足します。ここまでラグビー界にご尽力いただいた全ての偉大な先輩方に敬意と感謝の念を抱くと共に、このリーグが多くの人に愛され、新しい歴史を創り上げる素晴らしいものになることを心から望んでいます。

時代や文化の過渡期には今までの課題を明らかにするために多くの議論がなされるように思います。ラグビー界においても今がまさにそのタイミングです。2016年の選手会立ち上げから副会長として携わらせていただき、現在会長として活動していく中で僕が選手会長として考えていることをこの機会にまとめることにしました。自分自身の整理のために書き留めておくことが一番の理由かもしれませんがこれを読んで頂いた方にも何か伝わればと思っておりますのでご一読いただけるとありがたいです。

・違和感の正体とは

ご存知の通り、新リーグに関しては多くの疑問や課題が浮かんでおり、協会や企業の姿勢に関しても様々な意見が飛び交っています。僕自身もこれまで多くの憤りと違和感を感じてきましたがこちらの大島さんの記事に僕が感じていた「違和感」が的確に表現されているので問題点を共有するという意味でもご覧いただければと思います。きっと皆さんも同じように感じているかもしれませんが選手としては余計に危機感を抱きます。

この記事のご指摘含め、これまでの経験から現在のラグビー界が抱える課題及び僕が感じている違和感の正体をまとめると以下のようになりました。

・協会及びリーグのガバナンス不足
・緩慢で最大公約数的な意思決定と情報の不透明性
・客観性を担保する外部組織の不在
・ビジネスとしての本気度の欠如

これらは今に始まったことではなく2015年のW杯以降日本代表の目覚ましい躍進の陰で少しずつ明らかにされてきた問題点であり、今回の新リーグ発足のタイミングでさらに如実に表出してきたものと言えます。

会見で発表された新リーグのミッション-ビジョン-バリューはどこかで見たことがあるような文言と、すでに他のスポーツ団体で用いられているような理念に基づいており、よく言えば柔軟で幅の広いイメージですが同時に何も決まっていないのと同じぐらい曖昧で最大公約数的な表現でもあります。

また新リーグの理念やディビジョン分けなどの情報は当初6月中旬での発表を予定していましたが結局一ヶ月近く後ろ倒しでのリリースとなりました。しかも7月5日時点でディビジョン分けがメディアから拡散されてしまう事態も起こっていました。これには選手含め驚いた方がほとんどだったと思います。しかしJRTLからチームへのディビジョン分けの結果が伝達されたのが7月2日であり、協会の記者に対する会見が行われる予定が7月15日というタイムラグのある日程において、正式な発表を待たずして内容が漏れ伝わることはそこまで意外なことではありません。スクープ記事を出した記者や媒体、その情報をリークしたであろうどなたかのことを批判するような声が見受けられましたが、問題の本質はそこではなく緩慢な意思決定プロセスの仕組みとその情報に関する不透明な背景であることは明白です。

こうしたリーグや組織の問題点などは完璧になくすことが難しいと感じます。ましてや新リーグの立ち上げ時などは最初から完璧なものを用意することが困難なこともある程度理解できます。しかしその過程において当該組織とは利害関係を持ちつつも同じ目標に向かって進んでいくパートナーを見つけ、客観的な意見と問題提議を受け入れていくことは必要最低限の努力義務であり、より良いものを目指していく姿勢としてそういった構造自体を世の中に見せる必要があります。また組織の透明性と活動の正当性及び意思決定の根拠を担保するためにも必要不可欠なことです。リーグの責任者と協会の責任者が同一人物であることはこうした考えからは乖離する状況であり、これではクローズドな密室運営を勘繰られてしまうのも無理はありません。

さらに大事なことは、想定している事業規模や各チームが達成すべき各種の目標(売上や観客動員数、ファンクラブやアカデミー設立の有無、自治体との関係構築、選手へのウェルフェアに関わる配慮など)と、現時点での目標達成度合が公表されていないことです。今回のディビジョン分けに関する不透明な背景にも付随しますがこうした具体的数値目標とその達成度合が公にされなければ決定の根拠がわからず選手やファンは情報不足になり不安要素を抱えてしまいます。安心して自分のパフォーマンスを高めたり、サポーターとして心の底から応援するには良くも悪くも正直な情報が求められます。また外部へ目標を発信することでリーグ-チーム双方に責任とプレッシャーが生まれることもビジネス観点からは必要な要素の一つです。これがなければ口では「頑張ります」と言っていても何を頑張るのか、どうしたら頑張ったと言えるのかわからないため外部から誰も結果を省みることができないからです。

・企業スポーツの弊害

では、このような課題はなぜ出てきてしまうのか。それを知るためには企業スポーツの歴史を紐解くとわかりやすいと感じたのでSport-X Conference 2019講演時の話を引用しつつ説明したいと思います。(参照論文:「企業スポーツの現在を考えるーー変化する経営課題と企業スポーツの展望」佐伯年詩雄 著 日本労働研究雑誌 2017/11)

日本の近代スポーツの始まりは明治時代からと言われていますが初期の企業スポーツは小規模なもので、人づくりと福利厚生の役割を持った職場におけるスポーツ活動でした。そこから全国大会の開催とその報道が活発に展開されることがきっかけとなり、企業を代表して競争する企業スポーツへ発展していきます。 

その後戦時中は軍事訓練などに組み込まれてしまいますが、終戦とともに企業スポーツの定着が進みます。国民体育大会や都市対抗野球も開催されるようになり、野球やバレーボール、男子バスケットボール、サッカー、バドミントンなど多くの競技に実業団リーグが編成されます 。こうして競技力が向上していくと国際大会の成績も大きな関心事となり、1964年の東京オリンピックを経てスポーツ人気は急激に高まります。同時にテレビ放映が普及すると競技力の向上=テレビ放映というわかりやすい企業スポーツの宣伝広告価値が高騰し企業スポーツは最盛期を迎えます。

90年代に入るとスポーツにおける企業間競争はさらに激しさを増し、雇用形態だけでなくチーム自体を企業本体から切り離し、事業体として扱う様になります。つまり宣伝広告以外の経営資源をほぼ捨てて広告宣伝塔としての役割に集中する選択をしたのです。しかしこのタイミングでバブル崩壊を迎えると企業業績の悪化と宣伝広告価値そのものの減少が同時に襲いかかり、スポーツ部の経営資源的価値が消失する事態を招きます。要するに広告宣伝塔という一見最大効果を発揮できそうな立ち位置に絞ってしまったがためにこれ以外で企業に貢献する方法がなくなり、「勝っても休部,強くても廃部」という企業スポーツ撤退の流れを生み出してしまったのです。

2000年代はこうした休廃部の流れを経験した中でも、一部の企業が苦悩しながらチームを維持し、新たな道を模索するところからスタートしています。現代の変化に富んだ経済環境と経営課題の下で企業スポーツの在り方を改め、その存在意義を再構築するための期間が現在続いていると言えます。

SPORTS-X Conference2019資料.010

ここからが本題ですが、こうした変遷をたどってきた企業スポーツはある種のトラウマ及び信仰のようなものを持たざるを得ませんでした。それは企業スポーツ衰退の経験から、スポーツの社外的価値開発と社内的価値開発は必ず両軸で行わなければならないという強迫観念です。

これは宣伝広告価値以外の社外的価値開発として「SDGs」やその他の「社会貢献性」の重要性を理解し、そこへ向けて活動はしているものの、社内的理解と社内的位置づけがチームの存続には最重要であると苦い経験から刷り込まれており、何かあった時の保険として社内的価値開発を常に念頭に置かなければならないという固定観念があるということです。

加えて、長期的な視点でないと価値が見えづらいスポーツの社会貢献性に対し、試合に勝つことで提供できる価値は見えやすいため企業もチームも共通して「保有するチームの強化」を重要な位置に置いています。

これは当たり前のように聞こえるかもしれませんがビジネスモデルとしてスポーツ×「SDGs」や地域との連携を本気で進めていくための先行投資にまで手が回らない事態を招く要因ともいえます。強化自体にはお金がかかりますがそれで得られる利益は直接的な金銭とは限りません。強いチームが金銭的に余裕があるのか、金銭的に余裕があるチームが強いのか。ビジネスモデルを確立し稼げるチームになることが本質的には強化につながりますがそもそもビジネスをしていないチームでは親企業からお金を引っ張れるかどうかで変わるため強化が不安定にならざるを得ないのです。

また、勝ちへのこだわりが強くなり過ぎてプロ契約選手が多くなるとチームと会社の関係が弱まることも依然として懸念はしている傾向にあり、良い意味では社内貢献度と競技力向上のバランスをとっている状況ですが、悪く言えばなんとも中途半端な状況ともいえます

つまり勝利志向という価値観の中でそれをいかに社内士気高揚や一体感の醸成という社内的価値開発に繫ぐかということがメインに考えられており、社外的価値開発としての「SDGs」や「地域貢献」といったものは理念どまりでチームの具体的な政策やビジネスレベルにまでは浸透していないのが現状ということです

これが企業スポーツがプロスポーツと一線を画する一つの原因であり、ビジネスとして成熟しきれない環境を作り出していると考えられます。またオーナー企業におんぶに抱っこのコストセンターとしての位置付けはある意味では居心地の良いもので会社とのコネクトが高い状態とも取れるためプロフィットセンターへの転換を嫌がる傾向にあり、事なかれ主義の空気が生み出される仕組みが出来上がってしまってもいます。要するに本来スポーツが向き合うべき「地域社会」や「ファン」ではなく「社内」と「競技力」に顔が向き過ぎているということです

必然、こうした企業の集まりである協会も同じような特徴を持った組織になることは想像に難くありません。前述したラグビー界の課題や問題点の多くがこの「企業スポーツの弊害」から起こっていることが理解できると思います。さらに言えば、こうした課題は属人的な問題ではなく、構造上のものであるためどれだけ人が入れ替わろうともその構造自体が変容しなければ変えることが難しいことも上記の考察から見えてきます。

・「ONE」とは何なのか

とはいうものの新リーグは開幕します。僕たち選手の人生も続きますし日本ラグビー界の歩みも止めるわけにいきません。ではこれからのラグビー界はどうなっていくのでしょうか

僕は少なくともあと数年間はほぼこれまで通りではないかと考えています。初めにも書きましたがここまで話してきたことは今に始まったことではなくずっとそうだったことがようやく表に出てきただけで、ガバナンスを機能させることが困難な組織構造である協会のもとで各企業とチームができることは各々がイニシアチブを取るために邁進することだけです。大島さんが前述の記事で以下のように書いてましたが、

「有力チームが次のフェイズを引っ張るしかない。実際に集客、事業化で結果を出したチームの発言権は強まり、自然とリーダーシップを取る状況になるだろう。」

まさしくその通りで卓越した先行事例とチーム強化による高順位成績、ビジネスモデルとしての新しいスタンダードをどのチームが先に築き上げるかの競争。そういうゲームが続くと思います。今までもずっとそうだったように。そしてこれが全てのチームが一丸となり、リーグ全体でいろんな施策を組めない理由でもあります

お互いがお互いの歪なライバルなので広い視野でラグビービジネスそのものの事業規模を拡大し絶対評価としての利益を増やすことよりも、今ある事業規模の中でどうやって抜きん出て相対評価としての利益を最大化するかが優先される世界なのです。これではONE for ALL, ALL for ONEもただのお飾りと言われてもおかしくありません。「ONE」とはいったい何なのか

平尾誠二さんはこの言葉を訳すときに「一人はみんなのために、みんなで一つ(勝利)のために」と仰っていました。一つのビジョン、日本ラグビーの発展のために全ての関係者が手を取り合ってその可能性の最大化を図ることこそ今最も求められていることなのではないでしょうか。

新リーグが打ち出すスポーツの公益性は一つの企業やチームが好事例を作ったところで全国的に理解を得られるわけではありません。より多くの国民たちに理解してもらって初めてスポーツの発展に繋がっていきます。つまり社会貢献的価値の醸成と開発は、個別企業や個別チームのテーマではなくリーグ全体のテーマとして取り組んでいかなければいけないということです

現在行われているオリンピック、そしてパラリンピックやワールドマスターズゲームズなど世界的なスポーツイベントがまだ控えている日本はスポーツの価値を再定義する転換期を迎えています。こうした時期に求められていることが何なのか今一度真剣に考えなければ日本のスポーツが文化として受け入れられていくことが今後さらに難しくなっていくのではないでしょうか

・悪気の不在

ここまで書いてきた日本ラグビー界を取り巻く一連の負のスパイラルとも思える流れの中で最も厄介な事実は、全ての関係者に「悪気がないこと」です。協会においてはこれだけの大企業が束になっている組織はそうそうありませんからそうした組織をうまく回すだけで大変な作業になります。しかもプロパーだけでなく各企業からの出向人材も多く、スポーツビジネス未経験の人材なわけですから先進的な取り組みを行うことが難しいことは想像がつきます。

また企業においてもほぼラグビーに人生をかけてやってきた人材をスタッフやフロントに起用することがほとんどであったわけですから初めから業務が滞りなくできると考える方が無理があります

こうした背景を鑑みれば協会や企業、チームそれぞれが企業スポーツの変遷とその荒波の中で目の前の事象に対して難しさを感じながらも精一杯対応し、ラグビーの発展に繋がるであろうと一人一人が努力してここまできていることは間違いないでしょう。そしてその事実がプライドを生むことで余計に周囲からの意見や客観的視点での指摘に対してバリアを張ることにも繋がっているのです

・本当に「コントロールできないこと」なのか

これではもう八方塞がりではないかと感じるかもしれません。組織構造上ガバナンスを機能させることが困難な協会、企業スポーツの弊害の中で苦しみながらも精一杯工夫を見せる企業とチーム、誰も悪気があるわけじゃないこの現状で一体何に改善の矛先を向ければ良いのか

もちろん各組織の改善点は大いにありますし、そうした改善は少しずつですが見えるようにもなってきました。新リーグは「SDGs」と「地域性」に特化し、事業としてラグビーを成り立たせるための準備を少しずつ進める構造を曲がりなりにも用意しようとしていますし、企業に関しては前述したフロントサイドの人材に関してスポーツビジネス経験のある人材を起用したり、企業としてスポーツビジネスに本気で取り組むための企業内改革を行い新しく独立法人を立ち上げる例も出てきています。これらの取り組みの良し悪しは別としてもこうした変化自体は明るい兆しと言えるかもしれません。

しかしこれらも結局は一つの例に過ぎず本当の意味で業界全体の改善がなされているわけではありません。もっと長期的かつ大局的で、未来永劫日本ラグビー界が発展を遂げていくために必要なことは構造的な改革を起こすことです。ではどうしたらそれが可能なのか。

それは僕たち「選手が変わること」です。

ここまで書いてきたラグビー界の課題や企業スポーツの変遷、その構造の説明を読んできた方々ならお分かりかと思いますが、その中には選手が主語として書かれている重要な事柄が一つもありませんでした

日本のラグビーというスポーツが紆余曲折ありながらも2015年、2019年のW杯を経て国際的にも国内においてもさらに評価されるようになったのは「日本代表の躍進」があったからこそです。もちろんそれまでにも多くの方の尽力と経緯があることは重々承知していますし、それをサポートした多くの関係者の方々がいたことも理解しています。しかし何より選手自身の努力と世界レベルのパフォーマンスなくしては今のこのラグビーの現状はあり得ないはずです。さらにいえばその代表選手たちと切磋琢磨しているトッププレイヤーたちがいなければ成し得なかったわけです。

にも関わらず我々選手たちの意見や考えはこれまでまともに拾い上げられることがありませんでした。新リーグに関しても選手ステータスに関する取り決めを決定する場に影響を及ぼせる手段がなく、良くて考えを伝えることだけ、基本的には制度やルールを決める際に指を咥えて判断を待つことしか許されていないのが現状です。

しかし良い例もあります。あまり知られていませんが日本代表の待遇改善(日当、保険、試合数の制限など)やトップリーグにおけるリリースレターの廃止は一時期の代表選手たちや選手会の動きによって得られた大きな一歩となっています。これがなければ現在のように世界で互角以上に戦える日本代表や、可能性を秘めた選手たちがさらなる飛躍を求めて他チームに移籍を行える環境はなかったわけですが隠れた努力、誰かが全体のため、未来の選手のためにやってくれた活動の恩恵であることはあまり意識されません。しかもこうした恩恵はプロ選手、社員選手問わず全ての選手が受けているにも関わらずです。

選手たちの多くは「コントロールできないこと」ではなく自分がコントロールできることにフォーカスすることで自己の成果を最大化できるとよく言います。僕自身選手ですからそう思うことも多々ありますし、きっとそれは間違いないことかもしれません。ただ、これは「コントロールできないこと」と判断するための情報や対象への理解を深める努力を最大限してから言えることです。つまり本当に重要なことは対象が「コントロールできないこと」なのかどうか見極めるためのプロセスだということです。

ある練習試合の後に久しぶりにエディさんにお会いしたとき(大学時代に直接ご指導いただきました)、挨拶をして少しお話しする機会がありました。その時試合当日の天気の話なり、エディさんは天気に関して「コントロールできないこと」だと仰っていました。ただそのコントロールできない天気に対してあらゆる情報を集めて対処を考え、最大限準備をすることがとても大事だと話してくれました。そこで初めて天気は「コントロールできないこと」だとわかると

ここで言いたいことはほとんどの選手が「コントロールできないこと」と考えている日本ラグビー界の環境改善やプレー以外でも未来の子どもたちに素晴らしいレガシーを残していくことというのは選手自身がそう思ってしまっているが故に「コントロールできないこと」にされてしまっているということです。本当は「コントロールできうること」なのに。

事実、前述したような選手に関する環境改善、トップリーグ規約の変更などは選手たちの声と努力により得られています。そもそも今現役である僕たちが自然と享受している当たり前にラグビーがプレーできるこの環境は誰かの屍の上に成り立っており、先人たちなしでは考えられなかった貴重な場なのです

・誰が為に鐘は鳴る

もちろん一人の選手だけでどうこうなるわけではありませんし、選手の権利を振りかざして我儘を貫けと言っているわけでもありません。また個人のパフォーマンスを極限まで高めて評価されることで社会への影響力を高めたり自身の人生を豊かにする事は可能なのでこの道に特化したい気持ちもよくわかります。自分自身のできる範囲で努力を重ねていた方が不条理なことは少ないですし、集中しやすいことも理解しています。僕だって一選手ですから。しかしどの道一人で行える活動には限界があります。そして一人で味わえる豊かさや幸せにも限度があります。それは15人で一つのボールを扱い、トライという一つの喜びと勝利を目指してプレーしている僕たちなら尚更よく知っているはずです

幸いにも多くの方の力を借りて選手会という組織を立ち上げることができ、各チームにいる理事含め活動に協力してくれている選手たちのおかげで選手自身の声を集めて届ける仕組みを構築しつつあります

僕が現役選手たちやこれからトップカテゴリーに入るであろう未来の選手たちに選手会長として伝えたいことは、こうした組織に対して今以上に認識を深めて自らが働くこの業界に関する知識や情報を自分から取りにいって欲しい、そしてラグビー人としての見識を高めて一緒にラグビー界の未来を自分ごと化していきませんかということです。

そうすればきっと、ラグビーの価値を最大化するために必要な自身のパフォーマンスがどんな環境ならさらに実現しやすいのか、自分達が人生を掛けて取り組んでいくに値する場所はどんな場所なのか、未来の子供たちがより愉しんでラグビーに没頭するためには何を残してあげられるのか、こういったことが自然と考えられるようになって、より良いラグビー界をみんなで実現しやすくなると思うんです。より良い未来を作れるのは他でもない僕たち現役選手たちの声なんです

僕の力不足で選手会事態の取り組みがわかりにくく、活動が認知されにくいなど課題があることは重々承知しています。他にもまだまだ省みなくてはならないこともたくさんあると思います。ただ、選手自身のマインドが世界のプロスポーツ選手たちと同等、もしくはそれ以上のものにならなければ今後の日本ラグビー界はさらに厳しい状況になる可能性が高いです。こうした現状の構造的欠陥を打破するためにも、僕たち選手が一丸となりラグビー業界のステークホルダーとして他の組織から認識されるべきなんです。

”我は人類の一人なれば
誰の死も我を傷つける
誰が為に弔鐘は鳴ると問うなかれ
弔鐘は汝がために鳴る”

これは映画「誰が為に鐘は鳴る」の中での一説です。僕らはすでにラグビー界に身を投じた当事者です。それぞれが尊重されるべき「ONE」で在ることは言うまでもありませんが、それと同時に大いなる「ONE」の一部及びそのものでもあります。業界全体の問題は自分たちの問題であり、業界の衰退は僕らの衰退、業界の未来は僕らの未来だと僕は思います。

それぞれが「ONE」として確立することの重要性は本当によくわかります。しかしそれだけでは誰かが用意してくれるであろう「未来」に生きることしかできなくなります。そうではなく僕らが目指したい「未来」をしっかりと表現して、そこに向かっていくために今こそ一つになりませんか。そうすることが自らもそして素晴らしい可能性を秘めた未来のラガーマンをも助けることに繋がると僕は信じています。ぜひ力を貸してください

誰が為に「ONE」が在ると問うなかれ
「ONE」は汝が為に在る



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