永平寺で2泊3日の修行をしたときの話
3日間、音信不通。
永平寺での修行中は、携帯電話などは一切禁止。財布などの貴重品と一緒に、彼らに預けなければなりません。
「修行なう。」
なんてツイートも一生に一度はしてみたいものですが、そんな修行に何の意味があるんでしょうか。
だから、外界との接触を断つのは合理的だと思います。
普段、ネット環境がないと落ち着かないほど「どっぷり」ネットに依存している私でも、2日目には自主的な音信不通がけっこう心地よかったりしました。
今どき、海外旅行に行っていても電話はいつも使っている番号でつながりますし、メールもネットも使えますから、3日間も音信不通になるケースって他に考えられません。
というか、「ちょっと永平寺に修行しに行ってくるわ」くらいのインパクトがなければ、3日間も連絡が取れない状況を周りが認めてくれないでしょう。ふつう。
お手軽な1泊2日の「参籠(さんろう)」、本格的な2泊3日の「参禅(さんぜん)」
私が参加したのは、2泊3日なので参禅のほうです。参禅に参加している最中に、どこかのお寺のお坊さん(もちろん永平寺だから曹洞宗)が檀家さんを連れて参籠体験に来ていました。
この参籠では、もちろん座禅も体験するらしいですが、時間も短く、食事の内容も参禅とは違って、いわゆる「お客様用」の朱塗りの器に入った食事でした。
よく、「永平寺のごま豆腐」なんていうのを観光客用のおみやげで売っていますが、ああいう観光気分の参籠参加者の期待を裏切らない献立内容でしたね。
一方で「参禅」のほうは、食事作法などが一部簡略化されているものの、食事は基本的には永平寺で修行している雲水(うんすい・そこで修行している僧のこと)と同じ内容となります。もちろん、座禅も徹底的にやります。
主な修行内容は「ただ座る」こと
朝の3時半に起きて、夜の21時に寝るまで、とにかく「座る」だけ。
早朝のお勤めとしてお経を読んだり、えらいお坊さんのお話を拝聴し、その後で足を崩して茶をすするみたいな会もあったりしましたが、基本は座るだけ。ただ座る。食事の間も座禅のままです。
永平寺などの曹洞宗では、「只管打坐(しかんたざ)」といって、ひたすらすわることをもっぱらとする宗派なんですが、そういう哲学的なというか「なぜ坐るのか」みたいなことは一切なく、ただ座ります。みんなで。壁に向かって。
よく、禅問答なんていう言葉を聞いたことがあると思いますが、あれは同じ禅宗でも臨済宗がつかう「公案(こうあん)」というもので、あちらは言ってみればそういうQ&A方式で悟りを開こうとするものです。
参加者は真面目な人が多かった
2泊3日。ただ坐る。
足が痛い。でも坐る。
ハンパなく痺れて、足の感覚がなくなる。でも坐る。
これを参加者全員がひたすらにおこないます。
まぁ、私を含めて、自分で思い立って参加しようっていう人たちばかりですから、真面目にやるのは当たり前なんでしょうけどね。
ただ、座禅の最中に「喝!」みたいなアレを自ら志願してやってもらっていた人がいたのには少々驚きました。
その日の風呂の時間に、「こんなにキツイ修行体験に申し込むなんて、全員マゾだよね、絶対」って言ったら、なんとなく「う、うん(汗」みたいな変な空気になってしまったのはいい思い出。
誤解を受けるような発言をするのは、厳に慎みましょう。。
永平寺の修行体験で「悟った」こと
「ただ坐る」って、けっこう難しいことです。やってみれば分かります。
昼飯何食べようかなーとか、あの仕事はこうやろう、とかそういうことを考えるうちはまだまだです。隣のヤツ、寝てるんじゃねーのか?なんていう邪念も最初の頃は浮かんでは消えます。
「ただ坐る」ことを続けていると、悟るなんておおげさなことは分かりませんが、「いま、ここ、じぶん」以外のことはどうでもよくなってきます。
自分の身一つ、ここで坐っているということ。
昨日はああすればよかったとか、明日はどうしようかとか、あいつが気に入らないとか、そういうことが全部、自分の「考え」から生まれた「しがらみ」であるということに気付きました。
もちろんそれは、「考える事」を否定することではありません。あるいは「足が痛いな-」って感じちゃいけないということでもありません。
「足が痛い」というのは、「いま、ここ、じぶん」のことです。そこまではいいんです。
でも、「足が痛いとなると、明日の帰り道で歩けるか心配だなぁ。そもそも、修行体験なんだから、ここまで足が痛くなるほど座禅させる必要なんてないんじゃないか?」みたいなことを「考え」はじめると、とたんに「いま、ここ、じぶん」ではないところになってしまいます。
過去を思い煩うことも、未来を心配することも、他人のことを気にしたり、あるいは芸能人のゴシップやうわさ話をチェックするなんてことは、「いま、ここ、じぶん」には関係のないこと。
「ただひたすらに坐る」ということは、「いま、ここ、じぶん」でなければならないと思いました。
そして、他人の人生ではなく、自分の人生の一瞬一瞬を精一杯に生きることこそが、つまりは「全て座禅」なのではないかと。
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こうして2泊3日の参禅修行体験で感じたことも、今ではまた、少しづつ解釈も変わってきていますが、それはあくまで私個人のこと。あなたも「ただ坐る」ことを体験してみれば、あなたの「悟り」が開けると思います。
スティーブ・ジョブズが禅に凝っていた、というのを自伝で読んで、ぶっちゃけノリで行ってみた永平寺でしたが、なんていうか禅は宗教というよりは、「自己鍛錬システム」って言ったほうがしっくりくるなぁ、と感じました。
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参禅する際に注意しておくといいこと、気持ちよく修行するための裏ワザ、自宅で坐禅をするためのグッズ、などは続きから
1.参禅する際に注意しておくといいこと
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