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最近、絵を描くのがとても楽しい。
自分の思うように線を引けるのって、こんなにも楽しいことなのかと思うくらい。

描き方を教えてくれた先生が僕の使う言葉や多数の質疑に対して丁寧に説明してくれたお陰で、今の楽しさが成り立っている。

偶然、僕のお絵描き配信に現れた先生。
お互いにゲームや嗜好のジャンルも違ったので共通の関係者で繋がる顔見知り程度の距離感だったけれど、僕は勇気を出して連絡し、本当に、本当にもう靴を舐めろと言われたらハイと応える事しか出来ないくらいにはお世話になりました。

あの配信の時に出逢わなかったら、今ほど絵を描いてなかったかもしれない。
兎に角、何事も理論的な説明をしてくれるので理数脳には抜群に効く説明であり、僕には相性が良く受け入れやすいのだ。


また別の配信で話したこと。
僕の友人の少なさは、恐らく僕が他人に甘える事をしないからだ。
お互いに同じスタートラインに立つ事が出来れば、お互いに知識を共有し合う事もできる。
けれど、何かを安易に教えて貰うという事は、そこまで努力した人の時間や試行を奪う事なのではないか。
つまり失礼に当たるのではないか、そんな事ばかり考えているから孤独なのである。

また、数少ない友人に他の友人や大切な人が出来れば、邪魔をしたくないので距離を取る。
人間にとって僕は暇潰しの道具でいるのがお互いの利害に一致しているのだ。
優劣を付けられ、どうせ捨てられるなら、と初めから諦めておくのが僕にとって気が楽で良い。
どのクラスタにいても「側にいると思ったら、何時の間にか居なくなってる」と言われる。
僕だって傷付きたくないから、そうなる前にその場からは消えたいんだよ。
一度だけ引き際を見破られて引き留められたけれど、相手は他の人間の大切な人だったので、振り切ってその界隈の連絡手段全てを消した。
別に特別な仲ではなかったし、そこに留まるだけ自分の価値を見出だせなかった。

捻くれているとか、偏屈だとか、気難しいとか、人は僕をそう言うけれど、そうしたのは他でもない人間なのにね。

それに、僕は自分をそうは思ってない。
ただ人間に迷惑をかけず大人しくしていたいだけ。
光も届かぬ水底で独り泣くのも、もう馴れた。

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