知の欺瞞への反論によくある論法について

 そもそも知の欺瞞のポモ批判は合わせ技なんだよね。ポモは「A文章が極端に難しい」「B書いてあることにまちがいが多い」。AとBの二つが合わさって最強の威力を発揮する。

 まずはAについて。ある本が難しい文章で書かれている理由としては、次のようなものが考えられる。

①そのようにしかかけない、そもそも難しいことを書いている

②書き方が下手

③読者を煙に巻いている

 で、知の欺瞞以前はポモについて、擁護派は①、批判派は③だと思っていることが多かったわけ。

 ソーカルらがやったのは、この状況に、B、つまり内容にまちがいが多いという事実をつきつけて、ポモ系の文章には、書いてる本人すら意味を理解できていないような記述がたくさんあることを暴き出すことだ。そのため、文章が難しいのは煙に巻いているだけである、という批判派の主張はがぜん説得力を増したわけ。

 なのでポモ擁護派は、意図してか無意識のバイアスかは知らないけど、AとBを分けてから、それぞれにたいして個別に反論しようとする。Aにたいしては、フッサールやカントだって難しい文章書いてるといい、Bにたいしては、たとえ話として科学の話をしただけだから議論の本質に関係ないミスだという、よくあるアレだよね。

 知の欺瞞にたいしてこの論法が何度も繰り返されてきたという事実は、AとBを合わせ技されると擁護派には受け止めきれるだけのロジックがないことを示している。だからこの論法を繰り出されたら、批判派は知の欺瞞が合わせ技であることを強調すればいい。

 つまり擁護派に、フッサールやカントだって難しい文章を……といわれたら、批判派としては、あの人たちは当時の学問水準からしてもばかばかしいようなレベルの間違った知識をたくさん披露してるんでしたっけ?ちがうならポモと同列には扱えないすね、といえばいいわけですね。

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