小学生の頃
シンジ君です
前回は高校時代の話んじくんを載せましたので、今回は小学生時代の話んじくんをしんじくんです(語彙力)
島根県の母方のおばあちゃんの家近くの病院で生まれてから、すぐ西宮に戻りました
そこからはずっと西宮で育ちました。
小学生時代は、西宮の松山町というところで、そこから3回西宮市内を引っ越しています。(単純に親の社宅の都合で)
小学校の間は校区は変わらずでしたが
中学からはみんなと違う校区でした(違う校区になった事によってくろと出会い芸人になったので人生の大きな分かれ道だったと思います)
小学校のころのおいらは、何故か一人称がらおいらでした。
なので前回の記事は敢えておいらで書いていました
今は違いますよ!!
ただ思春期に入って、家族に対しておいらは恥ずいとなり、俺に変えていきました
小学生のシンジ君は、野球とボーイスカウト、そして公文に勤しんでいました。
でも運動神経は良くなく、活発のくせに身体動かない、意味の分からない子でした
出身の小学校は瓦林小学校です。当時は学年毎に2クラスずつしかなかったのですが、今はたくさんあるらしいです
あ、今またしょうもないけど、ダメな過ちを思い出しました。
小学校4年生の時、仲の良い女の子がいました。
その子とは家でも外でも遊んだり、共通の友達とも遊んでいました
あるバレンタインの日、友達と家に帰っていると、その子が、お母さんと一緒にシンジ君の家の方向から自転車で走り去るところを目撃しました。
なんとも思わず帰ると、お母さんから、
チョコを渡されました
そのチョコは先程の女の子からでした
家にわざわざ届けてくれたのですが僕がまだ帰っておらず、お母さんが預かったみたいでした
ここまでは良かったのですが、確か僕は何もお返ししてませんでした
本当に記憶が曖昧だけど、ちょっといい感じの関係だったのに何も返さず、そこから遊んだ記憶がありません
あぁ…人にちゃんとお礼が出来て気持ちを伝える事が出来ていたらもっと良い思い出ができてたかも…
すんごい小さいことだけど思い出しんじくんでした
今後も何か思い出したら懺悔しますので見守ってください!
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