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Sky Cultivation

スカイカルティヴェイションという活動を始めました。空(Sky)で耕作(Cultivation)します。

家の近くの屋上とかで、ご近所さんや、色んな人と一緒に野菜などの食べ物をつくって、収穫して、料理して、食べて、それを交換したりする、というやつです。

とりあえずFacebookさんの中に、グループページを作りました。食べ物のお世話の仕方の情報交換とか、それにまつわる色々な話ができる場にしたいと思っています。
誰にでも参加していただきたいので、興味を持っていただける方はグループページに是非ご参加ください😊喜びます。

Sky Cultivationやりながら、ぼくが言いたい/やりたいことは三つです:
1) 食べ物は生き物だっていうことを感じていたい
→自分で採ろう/獲ろう
2) 自分は人間や自然に生かされているなって感じていたい
→自然の中で、みんなでやろう
3) 経世済民てかっこいいな
→やろう

呼応する問題意識として:
1) 子供が食物を生物として認識していないケースがある、あと食糧難来ないかな、心配
2) ご近所さんとあまりお話しないな、もっと話したいなぁ
3) 貨幣経済大丈夫かな、崩壊してない?

だからなんかただ単純にやりたいことと、問題意識に端を発する行動が合わさってるって感じです。 下記、動機や雑感です。すみません、長いですが、読んでいただけると嬉しいです。

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次男が死んでから7年経った。生後7ヶ月ほどだった。今でもふとした瞬間に目の奥から水がどばどばと溢れ出ることがあるが、大体のことは整理できてきてると思う。

下記、みっつのことを言おうとしています。

1)食べ物に関して考えること: 食べ物は生き物

次男の死後、食べ物や、生き物の命に、とても敏感になった。お店に並んでいるパック詰めのお肉や、お魚、殺虫剤で命を絶つゴキブリ、建設現場で潰れるダンゴムシ、剪定されて、ゴミ処理場へ運ばれる木々、もちろんヒトの命、その他色々な生命。全て気にしていたら生活を送ることができないので、ある程度感知しないようにしてるけど。

そうなってくると、自分が食べているものが、生物であるということに気付く。それから、自分で食べるものは、なるべく、自分の手で命を殺めて、食べたい、と思うようになった。食べることになる生き物の命をしっかりと確認することが、生き物の命を食べるということへの、せめてもの償いだと思っていた。偉そうなことを言うつもりはないし大変なことだし傲慢なことなのかもしれないけど、そう思うようになった。

だから自分で食べる野菜は自分で収穫したいし、自分で食べる肉は自分で命を殺めたい、自分で飲むお酒も自分で作りたい。(お酒は法的にできないけど)

そんなこんなで2014年頃から菜園で野菜を収穫したり、”害獣”として廃棄されている猪や鹿を食べたいという思いで狩猟免許を取ったり、あまりしたことのなかった釣りをしたり、昆虫食のワークショップに参加したりした。
野菜ほったらかしにしてしまったりもしたけど、虫や微生物などの食べ物になったよね、と自分に言い聞かせる。

2)人間や自然に関して考えること: それらに生かされている

次男が死んだとき、周りのひとたちが、ぼくや妻や長男のことを、とても労ってくれた。労ってくれたひとたちの、その時の表情や、かけてくれた言葉や、してくれたことは死んでも忘れないし、思い出すと今でも目の奥からじわじわと水が生成されていく。

それでも、次男の死後少し経って興奮状態が落ち着いた頃、流石に精神をやられて、仕事を休ませてもらっていた時期があった。
死にたい、とは1ミリも思わなかったけど、ただただ悲しくて、身体は生気を失っていたと思う。

なんとかしなければいけないと思い、吸い寄せられるようにして、家の裏にある諏訪山という山に行った。暑い時期だった思う。森の中の、木々の葉が擦れ合う音や、土や葉から出てくる水蒸気、靴を通して伝わってくる土の感触、鳥の囀り、虫の鳴き声を感じながら、ゆっくりと歩いた。それらに包み込まれているように感じたし、その中のどこかに次男の何かが物理的に含まれているかもしれない、と思った。その時、自分は自然に生かされていると知った。

少し動けるようになってからは、やっぱり、友人たちの存在が大きかった。くだらない話ができることが、嬉しかったし、元気も出た。
近所のひとたちと、軽く挨拶したりすることも、なんだかとても貴重なことと思うようになった。

あと、人間は自然から離れすぎている、狩猟採集時代のように自然に還らなければいけない、みたいな感じで気が狂ったようにランニングしていた時期もあった。お陰でフルマラソンサブ4達成したり。笑える。

10代の頃、おれはなんで生まれてきたんだろう、母は何故おれを生んだんだろう、という典型的な厨二病患者だった私は、20代半ばになっても「生まれてきたことに感謝/全てのことに感謝」みたいな言葉を見ると虫唾が走っていたような木偶の坊だった。(今は坊やくらいにはなったかな)
今でもそういうような言葉を発することに少し抵抗はあるけど、そういう方面のことは普通に感じるし、全てのことに生かされているということは科学的にも事実だよな、と次男のことがあってから思えるようになった。

屋上とかで野菜つくるのを、近所のひととか、色んなひととやりたいと思うのは、そういうことです。

3)経済について感じること: 経世済民いいな

私はお金が好きで嫌いで出来れば無くなってしまえばいいのになと思うような質の人間です。そんな坊やの戯言は物ともせず、貨幣というものは機能的であり続け、今の所この星の人間の経済活動の大半は貨幣を通じて行われているね。

私達は貨幣によって嬉しい思いもすれば、大変な思いをすることもある。日本で自殺をする人の動機が、経済的な問題によるものであるという割合は、一定の数値を保ち、常にあるようです。どのようにしてデータが収集されているのかは分かりかねますが。

何はともあれ、時節柄貨幣不足でやってられない、なるべく貨幣使いたくない、使うときは使うけどセーブできるところはセーブしておきたい、というひとも多いと思います。私もそのうちのひとりです。

そこで、食べ物を作ってしまおう、そしてその資源と、誰かの物や事と交換し合えたらいいな、と考えています。ゆくゆくは服も作りたいし、家もつくりたいし、作れるものはなんでもかんでも作りたい。そしてそれらを貨幣を通じずに交換したい。(贈与税は納めます)

なんだかんだ言っても貨幣がすぐに無くなるとは思えないし、必要だという面も多々ある。それに、20世紀の後半にフラワームーヴメントのひとたちがやっていた「物々交換」も、結局のところ失敗みたいになっちゃってる。それでも、七転び八起き魂でもう一度やってみてもいいんじゃないか、と思っています。

経済、という言葉の語源は、「経世済民」という中国の古典に出てくる言葉だそうです。経世済民とは、「世をおさめ、民をすくう」、という意味を持っているそうです。貨幣経済が民を救ってくれないのなら、そうじゃない経済を作りたい。色んなひとと一緒にね。

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