7/11

次男が死んだ日。7月11日は、いつまで経っても私にとってはそういう日で、自分が死ぬまで、そう思い続ける日なんだと思う。辛気臭いとか、感傷的であるとか、そういうのではなくて、人が死ぬとか、生き物が死ぬとか、そういうことに関する本質的な悲しみは、精神が結構壊れていない人だと多かれ少なかれ備わっている人間のファンクションのはずで、それを毎年この日は強制的に感じさせられるようになっている。幸か不幸か、私の中にもそういうファンクションが働いている。

そういうベクトルの悲しみとは異なる悲しみではあるけど、そんな日でもなんか悲しいけど広瀬すずが”かわいい”と思うし、公道で車に轢かれてそのままにされている哺乳類を見ても、心を痛めた感じで素通りをしたりする。次男の死から8年間が過ぎ、そういったファンクションも働くようになっている。そうでなければ私は自らを殺していたと思う。

悲しかろうが、楽しかろうが、細胞は分裂をしてくれていて、このBITCHなLIFEを動かしてくれるから生きるけどただ生きているだけだったら死んでいた方がいい気がする。それではお聴き下さい、星野源で、『くせのうた』

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?