アートのある生活

ニューヨークにきて、アートと言うものに触れる機会が増えました。

なんだかアートとかいうワードを使うと物凄く気取っている様に聞こえて、アメリカかぶれ野郎めと思われそうですが、まあそんな様な節は少しあるなと自覚しています。

さておき、日本語にすると恐らく芸術という言葉が一番近いと思うのですが、なんだか堅苦しくて馴染みのない言葉。でもこちらでアートと言えば身近でまさにお茶をしにいく、くらいの感覚でギャラリーや個展、美術館に行く人が多いように感じます。

この言語的、感覚的なギャップを説明する様な興味深い話を聞いた事があります。

もしある人がそれなりに富を得たとして何に投資をするか。
日本だとまず思いつくのは車や家、時計などかと。でもこちらではその選択肢の中にアートが入るらしいです。一枚何百万もする様な絵や写真を買ってそれをリビングに飾る。例えそれが他の誰かからしたら何の価値も見出せないものだとしても、その当人が自分で感じる価値に対してお金を払い、日々の生活の彩りにする。そしてそこまでして手に入れたそれらは確実に彼らの心を豊かにしてくれる。
いわば自己満足の究極系。それを聞いた時は理解のできない話でした。

ただ、そのアイディアは日本人の僕にとっては革新的で、感銘を受けた事を覚えています。

僕の中にはなかった人生の捉え方、幸福のあり方。
それがまさにアートというものなのかなと。

とはいえそう言った感覚というのは味覚と同じで、子供の頃から慣れ親しんでいないと大人になってから培うのは少し難しいとも聞きました。もはや五感に近いものなのかなと解釈しています。

写真はそんな僕が以前友人に引きずられ連れて行かれたブルックミュージアムのバスキアのエキシビジョンにて頭がショートしているところ。

やはり五感を鍛えるのは二十歳を超えてからはなかなか時間がかかりそうです。

しんち

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