こうして夫婦がすれ違った
こんにちは、シンゴです!
今日Twitter…おっと、Xを見ていたらたまたまこんなツイート…エクスズを目にしました。
(ツイートのことエクスズって呼ぶのは一生慣れない気がする)
このツイートを見て、前の結婚生活のことをふと思い出しました。
このツイートしているご家庭のことは分からないので「こういうこと」を僕の以前の結婚生活に当てはめて、書いてきます。
僕はおそらく「言わないと分からない、レベルが低すぎ」と言われていた側です。
僕の場合も「ランチの前に食べ物を与える」ということをした記憶がありますし、それで怒られたような記憶もある('ω')
これ、僕の考えでは
「腹減ったって言ってるんだから何か食べさせてあげれば良い」
「小さな子供は一日3食、毎食残さずちゃんと食べるって概念分からないんだもの」
って感じだったんですよね。
で、大きくなってくうちに決まった時間になるべく残さず食べるってことを学んでいけば良いっていう発想だったんですよね。
まあお菓子とかアイスを食事の代わりにするのはどうかなと思うのですが、僕自身は僕の考えは別におかしなことではないと思っておりました。
でも前妻は、なんというか「なんでそんな簡単なことも分からないの?」って姿勢だったんですよね。
家族になるって、お互いの常識とか当たり前とか、考え方が違う部分をどう折り合いつけていくかが大事だと思うんです。
でも「当たり前」とか「常識」とか「普通はこうする」っていう自分の感覚に疑問を持つって、結構難しいことだと思います。
だって自分の考えは、色々考えた末に「自分なりに正しい」ってお互い思ってるんですもの。
上記のケースだと、夫側は「自分の考えを否定された」って思っちゃいますし、妻側は「なんでそんなこと分からないんだろう」ってイライラしちゃったりで、お互いイヤな気分になっちゃいます。
これ、お互いがかなり気を付けないと修正が難しくなっちゃいますよね。
まあ、以前の結婚はその他諸々あって修正不可になったのですががが('ω')
んで。
今は再婚して幸せラブラブラブリーな生活を送っているんですが、お互いの目指すべきところを共通認識で持つようにしています。
それが
「何はともあれ、夫婦仲良くが一番大事」
ってことです。
お互いの常識のすれ違いとか、当たり前のすれ違いは当然起こるんですが、その時の話し合いにおいて「どっちが正しいか」なんて議論をすると絶対ギクシャクするんですよね。
正しいかどうかの視点を捨てると「自分はこうして欲しかった」とか「こうしてくれないことで思いやりを感じられず悲しかった」とか、そういう感情が出てきたりするので、
そういう「気持ち」の部分をしっかり共有し合っていれば、別に「こうするのが当たり前」みたいな主張は必要なかったりするなって、感じてます。
ちなみにこういう「なんで○○してくれないの」って主張をする時、
本質的に言う側は「○○して欲しい」って思っていないことも多くて
「○○してくれないってことは自分のこと考えてくれていないってこと? 悲しい、寂しい、蔑ろにされてる」
って思ってることがあったりするんですが、本人がそれに気付いてなかったりするのですよね。
だから「○○して欲しかったのね、次から気を付けるね」はあんまり解決にならなかったりするんですが、それについて書くと長くなりそうなんで気が向いたら書こうと思います。
なんか取り留めのない文章になっちゃったけど、いつまでも夫婦仲良しでいれるように、妻の気持ちに耳を傾け続けたいと思ったりしております。