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本当に一者だ&自我を見つめるとは?【神の使者/奇跡のコース/奇跡講座2015 06 22勉強会より】

https://youtu.be/SGH7bLe6Wl4
ここで言っている、「幻想は見られないことで守られている。」の幻想とは 外側に目で見ている幻想と言うよりも 自我が私たちの心を外側に縛り付けている「自我の思い」ですね。
自我の思考システムの中のいろんな言い分ですね。 相手に対して判断しているとか、自分に対してこういう意味付けしてるっていう その自我の思いです。
要するに憎悪なんです。メイドイン憎悪というか 自我は憎悪で出来ているので自我の憎悪の思い、醜い思いを認めちゃいましょうよと。
それは本当の君じゃないんだから。

<神の使者より>
「これからエゴの思考システムをざっと見ることにするが、それは君を脅かすためではない。醜いかもしれないが君ではない。」
っていうこと、これ大事ですね。

「私なんじゃない」んだと。 エゴの思考システムと自分が今まで同一化したんで なんか最近、私ってすごいひどい人間になっちゃった…… みたいな風に体験する、考える、感じるんですけれども
君ではないっていう、そのことを理解してもらいたい。

一人だけ自分だけで見ようとするんじゃなくて、 やっぱり重要なのは聖霊と共に聖霊と一緒に、 正しい心である聖霊と一緒に見つめるっていう意志を持つことが大事なんですね。

エゴは、自我の方は(内側の思いを)見せたくない。 自分の心の内側のあらゆる判断、憎悪の思いっていうのを見せたいとは思っていない。
それを選び替えるって、こんな狂った考えを 本当に全部捨てたいんだって言って 精霊に依頼して精霊の正しい心と取り替えられていくっていう その選択をする君の力、心の力を、どこか恐れているわけですね
エゴの思考システムっていうのは。

選択する力がある心に、全面的に力が戻って行ってしまうと 外側に意識を向けるのではなく 外側に意識を向け、意味を見ていたことによって
心の中の選択の力を失っているような状態だったのが それが、こっち側こっち側って(意識を内側に向けなおし) 自分の選択に力があったんだと。

自分の 原因である、自分の決断の結果を見ていただけだったんだ。
結果が原因で、自分はそれによってこんなふうに感じさせられてるっていう その錯覚がほどかれていくと 結局、罪悪感っていうのは、全部嘘でした。 エゴいませんでした。 世界ありませんでしたって、エゴの消滅につながるわけですね。 それをエゴはあまり見せたくない。 あまりというか、全く見せたいと思ってないので 選択する君の力を恐れている。

よく見ていきましょう。自我の思考システム エゴの思考システムを直視するっていうのは (神の使者 p222) 「君が心の中で人々を利用し抹殺する様子を見つめることだ」 すごい言葉だけれど、まさしくこれなんですよ。 薄々っていうか、ありありと気が付いてる方、多いと思うんですけど
憎悪と殺意なんですね。 すごく解かりやすく言ってくれてる。

恥じることなく君が心の中で人々を利用し 上手く、いいように、自分の利益の通りに利用し抹殺する 利用はするけど憎んでいる。 消えればいい、死ねばいいと思っている。
でもそれは、誰々に対してじゃなく
自分自身に対して。 あらゆるところで、入門書でも書いてありますけども、 真の憎悪の対象を、気が付かせないために、外側に憎悪を見る。


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