怪盗へ

▶怪盗へ。もしもこの思いが届くのなら、どうか私を連れ出して、何もかも全てを奪い取って。
▶目が覚める。また朝日より先に一日を始めてしまった。スマホを充電器から外し、時刻を確認する。
「まだ三時やんか。」
二度寝しようにも妙に冴えてしまって寝付けない。渋々体をおこしベッドから静かに抜け出した。暖かかく優しい世界から一気に寒さにさらされる。少し身震いした。それにしても、こんなに早く目が冴えるなんて久しぶりのことである。有り余る自由には毎日手こずるが、今日は一段と手強いようだ。さて、どう暇を潰そう。身支度をしながら思考を巡らす。ピアノには早すぎる。朝食もまだいいだろう。
「外行くか。」
ふと、一つの考えが降りてきた。そうと決まれば準備しようと、いそいそとカバンに荷物を詰める。手帳、筆記具、イヤホン、薬…。慣れた手つきで次々と詰めていく。全て詰め終わると緑の分厚いパーカーを羽織り玄関へ向かった。鍵入れから自宅の鍵を取り出しカバンにしまう。そうだ、家族ラインに伝言を残さなければ。スマホを取り出し一言、散歩するとだけ書き送信した。
「行ってきます。」
しっかりとドアを施錠し歩き始めた。
▶思った通り寒いな、と思いつつカイロを開封する。数回ふってポケットへしまった。大通りを静寂が包む。まだ時間が早いから人一人いない。静かですんだ空気を吸い込む。今日はまだ呼吸がしやすい。一人音楽を聴きながらひたすらに歩く。誰もいないから気を抜いているのか、少し鼻歌まじりでリズムに乗る。音楽はどうも気分を左右する。不思議だな、なんて中身のないようなことを思っていると目的地についた。端の方により腰を下ろす。イヤホンを外しスマホもしまう代わりに、手紙を取り出した。封を開けおもむろに手紙を読み出す。この手紙は過去の自分の嘆きである。私は時に、自身の苦悩や嘆き、憂いを書き起こして残すことがある。この手紙もその一つだった。読み進めるごとにどんどんと思い出す。すっかりと忘れ、蓋をしていた思考たちが再び日の目を見る。読み終わる頃には自然と涙が溢れていた。手紙をしまい目の前を見る。川の音だけがそこにあった。ほろほろと頬を伝う感覚も放って、自分の中を流れる記憶に浸った。
私は比較的真面目だった。模範的で、提出物も怠らず規則に従う。そんな子供だった。秀でたものも特になく、なにか熱が入るものもなかった私は、何をするわけでもなく気ままに日々を過ごした。適度な成績に、世話焼きな性格。先生から好かれ貴重な友人にも恵まれた。私は恵まれたと思っていた。実際のところ恵まれていたのだとも思う。
しかし、大きな問題があった。それは私自身だった。長年の経験により培われた常識はいつしか呪いへと変わった。それはいつしか恐れとなった。期待外れになることへの恐れだ。悲しいことに私には何もなかった。特筆すべきことも何もなかった。さらに劣化すればどうなってしまうのか、それが怖かった。そんな気持ちを見ないふりをして、高校へ進学した。
高校へ進学して私は今までとは違う環境に置かれた。今までよりも優しい温かな環境である。その中でも私は呪いを抱えながら過ごしていた。その中で自分の常識が大きくずれていることに気づくたびに深く傷ついた。ただ考えが違うだけであった。しかし、私は表面張力のようにギリギリであったのだろう。私は耐えられずひどく落ち込んだ。学生生活において自分の常識に囚われ疲弊することもあった。見かねた皆に優しく声をかけられるたび、どうしようもない感情が渦巻いた。あれほど頑張った日常もまわらなくなったある日、とうとう動けなくなってしまった。
立ち止まった私に誰も落胆も失望もしていない。それどころかみんなが私に優しかった。それどころか立ち止まる前からも優しかったのだ。問題は、私を一番許せないのは私自身だということだ。走ることができない今、最適解は止まること。すなわちゆっくりと休養を取ることだ。そんなことはわかっていた。ただ、走らないことを知らないからか、止まることを知らなかった。止まることを許せなかった。私は未だ、自分自身にとらわれている。
▶はっとして自分の顔に手をやると、涙でひどく乱れていた。ハンカチを取り出して拭う。鞄にハンカチをしまい、川を見る。きた時と変わらず川の音だけがそこにあった。あの日からずっと、私はうずくまっている。休むことも動くこともできないまま、毎日膨大な暇を持て余しては変わらない退屈を潰している。そろそろ帰ろうかとゆっくり立ち上がり鞄を持つ。立ち去る前にもう一度だけ振り返った。
▶怪盗へ。もしもこの思いが届くのなら全てを奪い取ってくれ。日常も感情も命も世界も何もかも、華麗に掻っ攫ってくれ。この終わりのない呪いから私を奪い去ってくれ。

あとがき
今回は以前に書いた小話を出してみました〜！！怪盗っていいよね。華麗にスマートに美しいものを奪っていく。自分を貫いた先の美しさがあると思う。普通に私小説なのでこんな人間だよ〜ってのがちょっとでもわかるといいな。ここまでお付き合いいただきありがとうございました！それでは、また。