きっと、もっと、ちゃんと。

▶涙が視界を揺らす。喉がきゅっと締まりその少ないスペースを酸素が通る。落ち着こうとするほど先生の話があちこちに散らばる。私はなけなしの気力をまるっと掬われ見事失ってしまった。また、まただ。全てが元に戻ってしまった。そのまま何も言えず診察室をあとにする。あとから言葉が溢れてはほろほろこぼれ落ちた。
▶一ヶ月ほど、夢のような期間があった。希死念慮にも脅かされず自己嫌悪とも離れゆうゆうと暮らせる日々だ。すべてが順調に進み淀みなく物語が紡がれていた。しかし、起承転結とはいったもので、一転。ある一つの投稿が私を再び現実へと呼び戻した。
▶それは些細なことであった。Instagramのストーリー。24時間の消費期限ですら私に深く突き刺さった。「進級した」たったその一言である。友人の進級は喜ばしい事態であったが、祝福よりも先に化け物が姿を表した。ありとあらゆるものが煮詰まった沼から這い出た化け物。それは私の脳を支配し、発狂にいたらしめた。消して小さくない声が頭を揺らし喉にまで痛みをもたらす。気がつけばあたりは暗くなっていた。
▶そこから私は崩壊した。アルバイトの前日には発狂、泣きながら出勤。希死念慮に追われ風呂ですら発狂する始末。思考を止めるために拍手をしていたほどだ。ぐるぐると加速していく思考に自問自答し深みへ嵌っていく。ただ泣き、叫び、大声で嘆く。元の生活に戻ってしまった。世界は一気に灰色へと舞い戻った。
▶そんな中での診察、病状の説明をしながら惨めさを再認識する。自然と乾いた笑みがこぼれた。前回の簡易テストの結果、どうやらADHDの数値が高いようだ。また1つ、"かもしれないナニか"がついた。生き辛さの可視化である。しかし当たり前だが断定ではない。よって私はこれを何一つ言い訳に使えないのだ。ただ我慢する、それだけである。何ら変わりはない。「まだ多感な時期だから」この言葉が脳を引き裂く。初めて浴びてからもう5年も経った。いまだ変わらぬ、いや、悪化する現状をさっと一掃するのみだ。私はまた、限界を迎えた。
▶そんなこんなですっかり元の調子である。やはりすべての物事に意味などないのだろうか。伝う涙を拭いながら耳障りなほど大きな世界でただ一人、黙秘していたのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?