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世界と他者とわたし

唐突ですが

『目の前にある世界は自分において存在しており、

自分が世界をつくっている』ということについて。

最近私の周りでしばしば目にする、このような言葉。

もうすでに科学的な知見からも述べられていることのようではあるが、私の実感として

少しずつ考えていくうちに、

だんだんとその構造の輪郭が見えてきたような気がする。

初め聞いたときにはだいぶ頭を使って理解しようと考えていたのだけれど、

これはきっと「感覚的にそう思う」、という類のものなんだろうと思いつつある。

あるいは、「そんなことあり得ないことだ!」と思うほうが逆に難しくなってくるというような感じかもしれない。


「世界」とは「他者」も含まれるので、他者も自分において存在しているようです。やっぱりわけがわからないでしょうか?

しかしそう考えると、他者への関わり方がまるで変わってくるような気がする。それも明るい方向へ。


『世界は自分自身である』

不思議な響きを孕んでいるが、

なぜか当たり前のことように感じられる不思議さがある。

そして世界が自分自身なのだとしたら

わたしは、いまなにを望むのか。世界になにをしてあげられるのか。あなたになにを伝えたいのか。

引き続き探究してゆきます。


池田晶子さんの『14歳からの哲学』。

とてつもなくやさしいことばで書かれているのにとてつもなく考えの深みにはまる本です。

世界が存在するから自分が存在するんじゃない。世界は、それを見て、それを考えている自分において存在しているんだ。つまり、自分が、世界なんだ。(池田晶子著 『14歳からの哲学』「他人とは何か」より)



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