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イエス・キリストになりきれなかったキリギリス

昔から相談事を受ける事が多かった。

答えを教えてくれそう、いい方向に導いてくれそう。それが理由なんだそうな。

実にかんたんなことだった。

なぜなら、みんな最初から自分の中に答えがあるのだから。

僕がやることは踏み出せないその一歩を背中を押すことで歩きやすくすること。それがほとんどだったような気がする。

もちろん例外もある。

そこはそこそこ長く生きてきて色んな経験をしてきた引き出しからの言葉で事足りるものだった気がする。

みんな満足して僕を魔法使いのような存在にしたてあげようとする。

それはそれで気持ちがいいものなんだが、

よくよく考えると痛いやつだ。

しかしよくよく考えるとこれは、、、カウンセリングというお仕事になるのではと思ったこともあった。

そう考えるとカウンセラーって、、、なんて胡散臭いんだって思えてきたりもするから恐ろしい。

むかしは、自分が関わった全ての人が幸せになればいいなんて思ってた。

なんて厳かなことだろう。

人の性格を変えるとか、考えを変えるとか、、、なんて大それたことを思っていたのだろう。

恥ずかしくなる。

誕生日がクリスマスに近いことから自分はキリストの生まれ変わりだなんて小学校の頃思っていたが、、、

いまでさえたまにそれは言う(ジョークだが)。これをいまだにホンキで思っていたらもうだいぶ危険なやつだろう(実は本気)。

僕は働くのが大嫌いだ、かと思えば踊りを教え、みんなが技術を習得したり、体に気づきが出てくることにすごく喜びを感じるこの仕事が大好きだ。しかし働きたくない。

働きたくないと言っても家事をするのは好きだ。というか主夫になりたい。まぁ夕方までの僕はほぼほぼ主夫なのだが笑

家から出たくないのだ、、といいつつ人が好きでダンスをたくさんの生徒さんに教えている。

ああ、なんて矛盾だらけなんだ。

常に矛盾のなかで生きている気がする。というか矛盾の中でしか生きていないような気がする。みんなそんなものなんだろうな。

しかしながら好きなことを仕事にするというのは実に幸せなことだなとも思う。

反面、仕事にしてしまうと、好きなことが好きじゃなくなってきたりもする。

ないものねだりなのだ。ないない16。

なにがいいたいかというと、眠りたいのに眠れないということだけなのだが。

明日もしっかり踊りを教えることにしよう。


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