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今年の抱負

あけましておめでとうございます。

年末、祖母の家で「家族」に捉われた、自分の時間がない居心地の悪い時間をゆっくりと楽しむことができました。笑

さて、私の今年の抱負を紹介させてください。
私の今年の抱負は『クィアに生き"延び"る』こと。

2022年、様々な人と出会い・経験するなかで、私自身の(若者、性的マイノリティなどの要素をもとに築かれる)マイノリティ意識は薄れ、むしろマジョリティ性・社会的特権性を意識しはじめるようになりました。⁡
⁡しかし、自分が(精神的に)強く・(知識・経験を通して)賢くなっても(自分比)、自分に合わせて不安の対象も拡大し、「生きにくさ」は変わらず解消されませんでした。

そんななか、年末にYouTubeの“おすすめ”に出てきた『20110709 上野千鶴子退職記念特別講演』を視聴し、「“生き延びるための思想・言葉”を受け継ぐ」という上野さんの言葉に、自身の今後の方向性を示すような大きな意義を感じました。

“生き延びるための思想・言葉”とは、「(社会的)弱者が弱者のまま、社会で生き延びるために必要とされる/されてきた、または過去に紡がれてきた思想や言葉」であり、女性学や(社会的)障害者による当事者研究等も含んだ概念/言葉として紹介されています。

社会に加害され、抑圧され、消費されてきた/いる人たちとは、一体どのような要素をもつ人たちであり(『私は何者か』)、加害のシステムとはどのようなものなのか。また、そうした社会的弱者がもつ可能性とはどのようなものか。
私自身の経験も基に、学び・理解し、自分ごと化・言語化することで、誰かの生きやすさに繋げたい/繋げることの意義を、上野さんの言葉をキッカケに得ることが出来ました。

その“学び”を今年の抱負に。
そこで得る“学び”は、私自身が“生き延びるため”でもあります。また、そうした“学び”を実践することは、社会の規範から積極的に逸脱し、無秩序な状態へ踏み出す意味を持ちます(この実践こそが“クィアである”ことの根拠であるとの解釈です♡)。⁡
⁡(※また、現状がフェアでないため“努力”は比べません。(自戒の念を込めて…))
だから『クィアに生き“延び”る』。

加えて、“学び”を踏まえて将来「大人」として自分にできる役割を見つけることも、今年の抱負のひとつです。

今年も引き続き、どうぞよろしくお願い致します。

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