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他人に期待しない生き方

二年ほど前に妻に言われた事がある。

「あなたにはもう期待していない」と。


その時の僕はひどく落ち込み、自分はダメな人間なんだと絶望に打ちひしがれたものだ。妻に評価されない自分に価値などない、そう思っていた。


月日は流れてまもなく離婚の日を迎えようとしている。僕の心は晴れやかだ。

「他人に期待しない生き方」をしよう。それを強く意識している。「他人に期待しない」と言葉にするとひどく悲しく聞こえてしまうかもしれないけど、僕にとってはとても前向きな言葉だ。

相手に期待するという生き方は、実はとても狭く苦しい生き方だと思っている。

「こうしてくれたら嬉しい」と言う期待は、満たされないと「悲しい」と言う気持ちになり、やがて「怒り」に変わっていく。その結果、「もう期待なんてしない」と思ってしまう。その意味での「期待しない生き方」は不満の中を生きる生き方だ。

他人に期待するということは言い換えれば「自分の思い通りに相手をコントロールしたい」という欲望とも言える。自分の中に基準や正解があり、それが満たされないとあたかも相手が悪い、足りてないかのような気分に陥ってしまう。不幸な話だ。

それは相手にとっても同じで、「勝手に期待されて勝手に落胆されて悲しんだり怒ったりされても困る。私はあなたじゃない」こう思うだろう。

相手に多くを求める人は、一方で自分が多くを求められる事に敏感だと思う。「そんなこと言っても時間がない、出来ない」

矛盾した世界。

過去と他人は変えられない。自分の機嫌は自分で取るもの。別居したことで、改めてそう思うに至った。願わくば、相手にも同じように考えてもらえたら良かったけど現時点でその見込みはなく、かといって心をすり減らして人格否定されながら生活する事も僕には耐え難かったので離婚する道を選んだ。

「今の時代多いからね」などと言って正当化するつもりはない。

自分の言動、決断には責任を持って、その決断が正しいものだったと思えるような生き方をするしかない。「ああすれば良かった、こうすれば良かった」と過去を嘆く事は時間の無駄でしかない。過去を否定するような生き方もしたくない。未来のために今を生きる。

誰かに幸せを与えてもらうのではなく、誰かに幸せを与えるのでもなく、自分で自分を幸せにしていこうと思う気持ちが大事で、まず自分を満たす事。

それを自己中心的と言うのなら、あなたは誰の人生を生きていると言うのだろうか。

自分の行動の判断基準を他人に委ねる生き方はとても無責任で非合理的で窮屈だなと思う。

あくまで僕個人の話であり、明日にはまた変わっているかもしれないけど、そう言う正直な気持ちを素直に綴っておく事に今日は意味を見出している。

BEASTARSというアニメを見始めたのですが、とても面白いです。

人生の残り時間は増えてもとどまってもくれない。取り返せないこと、変えられない事に悩むのは余計に自分を苦しめるだけだなとわかったようなわかってないような気持ちで今日は筆を置く。

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