【Beginning/ビギニング】の「はじまり」と「これから」

🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈

おはようございます!こんにちは!こんばんは!

ビギニングのしんちゃんです^^

と言うことで今回このように文章を書描いたのは他でもない

【Beginning/ビギニング】の「はじまり」と「これから」を、そしてこの【Beginning/ビギニング】の活動を通して、どんな想いで活動をしてどんな未来に向かって行くのか。【Beginning/ビギニング】に関わってくださる人たちにどんなプレゼント(モノというより楽しい、嬉しいという感情を日常の一瞬でもそんな時間をつくりたい)ができるのか。を自分なりに考えて伝えられたらと思います。

そんな感じで、「今」しんちゃんが感じていること考えていることを【Beginning/ビギニング】の「はじまり」と「これから」というタイトルに沿ってみんなにシェアハピ出来たらいいなーと想い書くことにしました!

では、【Beginning/ビギニング】の「はじまり」のお話をさせていただく際、僕の今までの生い立ちに触れていかないと説明が【Beginning/ビギニング】の「はじまり」までに繋がらないのでそこから紐解いていきましょう!!!笑

僕は、元々幼稚園教諭を目指して奈良の教育大学に進学後、「小学校教師」として関西の公立小学校で正規採用されて勤務。笑(なぜに?)その後、スカウトにより系金融機関の営業(リアルに年収億超えている人がいてすげーってなった)現在はとある小売店(おとぎ話に出て来そうでこの表現よくない?笑)で勤務しながら【Beginning/ビギニング】のしんちゃんとして全力で活動しているというところなんですね!

まずはここの経緯を、掘り下げてお話しさせてお話します!

🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈

【大学時代のエピソード】

元々、幼稚園の先生を目指して奈良の教育大学へ進学しました。幼稚園の先生を目指したのも、高校の時に1日保育園実習があり、子どもを保育園の玄関までお見送りした時に「先生俺んちに遊びに来てな。」って何回も純粋な目で言われたのがキッカケです!笑

そして何故、幼稚園の先生を目指した男が小学校の教師になったのかと言いますと大学2回の夏に「幼稚園教諭1種免許」「保育士免許」を取得するために1ヶ月の保育所実習の時のこと。。。実習の内容や保育園はとっても素敵な園で、先生たちも素晴らしい人達ばかりでした。しかし、先生達に「将来は幼稚園の先生になります!」と伝えると「男の子なのに大丈夫?」「正直、そんなにお給料高くないよ。」と悪気がない先生達のその一言が、当時の僕にはとっても衝撃で変な思考スイッチが入って「だったら小学校の先生になってやる!」と心に誓ったのがキッカケになり小学校の先生を目指すことになりました。また大学時代に一番仲の良かった友人から「お前も小学校の先生一緒になるやろ^^」と誘われ「なるわー!」と約束したことも大きなキッカケになりました。というか、ここで腹が決まりました。そして、そこから小学校の先生になるための猛勉強を始めました。気付けば当時は小学校の先生になることが僕の夢になっていましたね。

当時は、その猛勉強の上、小学校実習・特別支援学校実習・バイト・ボランティア活動(後輩に向けた報告講義)・サークル活動・学園祭の実行委員会・インターン活動・入学説明会の卒業前のゲストスピーチ・友人との遊びと旅行etc...

本当に、本当に、小学校の先生になるために自分に必要だと思ったこと。自分が出来ることを出来るだけ全て全力でこなしていたように思います!その甲斐もあって、大学の成績は学科の学年の中で4年間とも上位10%に該当する成績を収め「学部褒賞 表彰状授与式」に参加して表彰状を頂き、「学費の一部免除」そして学科ごとの成績上位者を含めた「立食パーティー」に招待して頂くことが出来ました。当時は家が特に貧しかったこともあり、一番助かっていたのは常に「学費の一部免除」でした。思い返せば、大学にかかった入学金や教科書代も全て高校時代からバイトで貯めていた貯金で支払いをし、大学にかかった学費は全て自分で奨学金をお借りしながら払っておりましたね。(笑)なので、シンプルにそういった面でも嬉しかったです。

 そんな大学時代の中でも印象的だったエピソードは沢山あったなぁ・・・。

🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈

【児童養護施設ボランティアエピソード】

これは奈良に社会福祉法人を運営する人と繋がりがあった教授に「教師になる身として、リアルな子どもたちの現状を自分の目で確かめたい。自分なりに出来る最善のことを考えたい。」と直談判して、行かせて頂くことになった児童養護施設でのボランティアのときのエピソードです。この施設では、様々な理由で子どもたちが親と離れて暮らしていました。そして、小学生から高校生までの子どもが同じ寮で暮らしており施設の職員さんと一緒に生活をしている。衣食住の基本的な生活の仕方も生活の中で、身に付けられるよう「食事の準備」や「服の洗濯」「寝る準備」も自分でしていました。そんな中で僕は小学校から帰ってきた子どもの宿題をみるところから宿題が終わり次第、公園で遊びに行って帰ったら夕ご飯を子どもと一緒に準備して一緒に寮で暮らす子ども全員とご飯を食べて、就寝の時間まで過ごすという時間を過ごしました。

本当に最初はボランティアのスタッフとしての立場で行かせて頂いた場所でしたが、子どもたちが本当に自分の置かれた場所で自分の心の器を毎日一杯一杯にしながら一生懸命に生きている姿を見て、自分の置かれた環境に甘んじている自分に気付いたのと同時に自分の与えられるだけの全てを子どもたちにしたいと感じました。ちゃんと子どもの目を見て、沢山話を聞いて、伝えたいことを理解しようとする姿勢を僕なりに常に守っていました。そんな中でも、喧嘩やトラブルはあるわけでその時に感したのは、純粋にこの子たちに愛情がもっと沢山注がれていたとしたら「人を許せる心の余白」が出来てたのかな。とか、「自分のことも含めてもう少し相手の気持ちを考える心のゆとり」が生まれたのかな。とか。

「人は与えられてきたことが人に与えられることなんだ。」とか

なんだかいろんなことが、わかったようなわからなかったような。だけと自分のできる精一杯をするしかない現実となんとか目の前にいる子どもたちの世界をより良いものにしたいと願って自分なりに行動しているのに、自分一人だけじゃ変えられないようなことに直面した経験でした。

就寝のときに子どもが寝付くまで隣にいて、もう寝たと思って僕が自宅に帰ろうと部屋を出ようとしたら「どこに行くの?」とまだ当時2年生くらいだった時に言われた時に何にも言えなくて、「ちょっと散歩してくる^^明日も会えるからね」みたいなことを言って部屋を出たように思います。その時に、この子が安心して帰りたくなるような居場所をなんとかつくれないか。とひたすら考えながら過ごしていた帰り道のことを今でも覚えています。

🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈

【靴屋さんのバイトのエピソード】

大学生の頃に働いていた靴屋さんのお話しです。店長が(人として)本当に大好きになって、初めは大阪の靴屋さんの店長だったのですが奈良の靴屋さんに転勤することになった時に、僕も一緒についていたぐらい。僕の大学も奈良だったので可能だったのですが。^^そこからなぜ、このエピソードを話そうかと思ったのかというと印象に残っているのも1つなのですが、僕の人生にとっても大きな出会いと学びがあったのでそのことをシェアしたくて。初め大阪時代の靴屋さんでバイトしていた時の店長はどちらかと言うと無口で本当に、怖い印象でした。最初は本当に何にもできなくってシフトの時間より早く帰らされることもありました。正直その時は、めっちゃ腹が立ったりしたけれど今思うと当然だなと思います(笑)そしてだんだん、靴屋さんにくるお客さんと話ができるようになり自然に靴が売れるようになったり僕目当てでお店に寄ってくれるお客さんもできるようになってきて、見違えるように成長したと思います。店長ともそれから本当に仲良くなって冗談とか店長に「めっちゃ今悪い顔しましたね。」とかいじれるような関係性にまでなりました。男性でめっちゃ笑顔が素敵で口下手で50代で足と首の調子があまり良くない状態でしたが、誰よりも動いて、誰よりもスタッフのことを考えて行動していることが、僕が見ていても感じることができたし店長と関わる周りの人が店長の人柄を表していました。奈良の新しい大きな靴屋さんの店舗に移動して一緒に働くようになった時も、店内放送で遊んだり店長にちょっかいかけて爆笑したり、その分売り上げに貢献しまくったりしていたのですが、どの場面の店長を思い出しても一生懸命、誰よりも動いて、誰よりもスタッフのことを思っている。僕のことも自分の子どものようにお客さんに「この子小学校の先生に将来なるんですよ。」とか、教員採用試験に合格した時は「この子来年小学校の教師になるんです。」って僕よりも嬉しそうに話をする姿を見た時に本当に愛されているなぁと思いました。社会人になった今でも奈良に会いにいってことを今でも覚えています。そして店長にお世話になったスタッフたちもみんなそれぞれのステージで頑張っていることを僕は知っています。何がこのエピソードで言いたいのかまとめると【行動は言葉に勝る】ということです。僕がこの店長のために働いて貢献したいと心から思えたのも、こんなはちゃめちゃな性格の僕を受け入れてくれ、愛してくれて、一生懸命に働く姿勢を行動で見せてくれて、開店前のお店に着くといつも缶コーヒーを奢ってくれて色んな話をしてくれた。僕にとって偉大な人から教わった全てでした。そんな人間に僕もなれるように日々の活動に向き合いたいと思います。

🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈

【小学校実習のエピソード】

生まれて初めての教壇に立っての授業や実習生にしても、現役教師と同じ現場で同じ仕事を経験させて頂いたことは本当に僕にとって大切な学びと成長、そして素敵な記憶として今も僕の中で鮮明に感じることができるくらいです。

僕は、大学3年の夏に1ヶ月間に自分が通っていた小学校いわゆる母校に実習へ行くことになりました。本当に懐かしくって小学校1年生の入学から一瞬でTVゲームが好きすぎて不登校になった自分を思い返すと、本当に感慨深い物がありました。そして小学校実習には必ず実習生に一人指導教諭がついて実習中はその指導教諭のクラスで実践も交えて手取り足取り教えて頂いていました。そんな僕についてくれた指導教諭がB先生という人で本当によく子どもの話を聞いて、常に対等に接するような先生で子どもからも同僚の先生からも人気のあるような人でした。もちろん僕に対しても一生懸命に向き合ってくださっていました。

1ヶ月の実習の中では、「研究授業」と言って教師の授業の質を高める目的で「指導案」という1時間の授業内容をまとめたものを「学習指導要領」「教材研究」を通して準備し授業をする機会があります。校内のほとんどの先生が授業参観の両親のようにその授業を見にきてくださり授業が終わり子どもが帰ったあとには、その「研究授業」に対してフィードバックをくださるという流れがありました。

本当に初めての経験で「研究授業」の準備を毎回夜遅くまで学校に残って、「どのようにすることが子どもたちにとって一番わかりやすいのか。」を自分なりに試行錯誤して教材研究を重ね必死に準備をしていたことを覚えています。そして、指導教諭のB先生も僕が学校を出るまで色んな理由をつけて一緒に残ってくれていたりアドバイスをしてくれていたことを覚えています。

「研究授業」当日の結果は、正直自分の納得できる内容ではなく夏だったので教室に扇風機がついていたこともあり、準備していた教材が飛んでいったりしていました。授業が終わってすぐB先生が「俺の一番最初にした授業より全然良かったよ!」ってすぐに笑顔でフォローしてくれたことを今でも覚えています。

その後の「研究授業」に対してフィードバックの時間には、沢山の先生が「先生は本当に子どもと一生懸命向き合っていた。」「ずっと緊張の中笑顔で楽しそうに授業をしていて見習わないとと思いました。」「よくがんばりました。」と先生たちの温かい言葉を聞いていると、気づけば自分の納得のいく授業ができなかったことに対する悔しさと先生の優しさで、涙がとめどなく溢れていました。そんな僕を見てB先生も僕の隣で目を赤くしながら「先生は本当に毎日遅くまで研究授業の準備をして今日に挑んだんです。本当によく子どもと向き合おうとしていました。」と僕と周りの先生に伝えてくれました。

「研究授業」以降の子どものと接し方や過ごし方を見てくれていた先生たちは、「僕ももっと先生(僕のこと)みたいに笑顔で授業できるようにしようと思いました」と言ってくださいました。その先生の授業を見学させて頂くといつも以上に素敵な授業をされていて、自分のような実習生の立場の人間からも学び実践にすぐに活かす。本当にすごい先生がいらっしゃるなと思いました。

悔しくて涙が溢れた時に一緒に泣いてくれた指導教諭のB先生の存在。何もわからない僕に一番ベストな実習の時間となるように思いやりをもって指導してくれたこと。

何より、実習最終日。B先生が学校の先生(管理職を含めた)全員のメッセージが書いた手紙を書いてそっと職員室の机に置いていたくれたこと。今でもハッキリと覚えていて、B先生はもちろん学校の先生一人ひとりの言葉が素敵で自分の母校で実習ができて本当によかったと心から思いました。B先生に実習を通して出会えたことも僕の誇りになりました。

そして往々にして本当の「偉大な優しさ」は、何年か経って自分が同じ立場になった時や本当の意味で大人になった時に気付くものだと今になって感じます。

🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈

【特別支援学校のエピソード(人の輝ける場所って?)】 

小学校教諭1種免許を取得するための必修単位に「特別支援学校の実習(2日間)」がありました。その実習では、本当に子どもそれぞれの「個性」に合った教室の造りから、教育方法、接し方などを徹底していました。そして、そこにいる先生は一生懸命子どものことを考えて、向き合う姿勢がありました。年齢や個性のタイプや体の大きさも含めて、全ての教育方法、接し方が変わってくるために十分に子どもたちのことを理解していないと。もしくは、理解しようとしないととてもじゃないですが難しいだろうなと感じていました。そんな中での実習は僕に様々なことを気付かせてくれるキッカケとなりました。

「子どもの見ている世界を理解することの難しさと大切さ」「子ども同士の関わりや日常生活・社会との繋がりを築くキッカケづくりにかける教師や子どもへの両親の想い」どこを切り取っても、中途半端な気持ちじゃできない。大きな子どもに対する想いや意志が必要だと感じました。

そんな実習の中で、僕に指導してくださった担任の先生がふっとかけてくださった言葉が今も僕の心に残っていて、現在でもその考え方が自分に対しても人に対しても考える時に軸になる価値観になっています。

その言葉は                               「君が先生になるんだったら、これだけは覚えていて欲しいんだ。今ここにいる特別支援学校の子どもたちは、公立の小学校に通えないからここにいすんじゃないんだよ。この子たちにとってここが一番、輝ける場所だからいるんだ。」

最初に聞いた時、僕は本当に頭と心に衝撃が走りました。それ以来、一人ひとりが輝ける場所や環境について自分なりに本当によく考えるようになり、その考えは今でもどこにいる誰にでも当てはまるなと感じています。

今のbeginningの活動にも大きく影響を受けています^^

「この世界にいる一人ひとりが本当の意味で輝ける世界が必ず来る。創る」   そんな想いで信念で活動を続けています。

🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈

【小学校教諭エピソード(子ども出会い・居場所づくりの着想)】

晴れて、大阪府の教員採用試験に合格

公立の小学校教諭になることができました。本当に自分がやってきたことを通して一生懸命に自分なりに「教師になるという夢」に向き合って行動していれば、夢は叶うんだ!ということを改めて経験することができました。自分のできる限りの努力をすることの「大変さ」と目標を達成した時の「嬉しさ・楽しさ」を同時に感じることができたように思います。4年間の集大成である教員採用試験の筆記テストや面接は本当に出し切るだけの状態でしたしあっという間の時間だったのですが、今思うとそこに来るまでに「どれだけ自分なりに経験を積み重ねてきたのか。」を問われていたように思います。

小学校教諭として配属先の小学校も決まり、出勤初日は小学校にある教員用の靴箱や職員室の僕専用の机の場所など、仕事に必要な案内を教頭先生がしてくださいました。とても緊張していましたが、自分の人生において新しいことができるというワクワクの方が大きくなっていました。そして結論から言うと小学校教諭としては2年の経験を経てまた新しい仕事をすることになります。

小学校教諭としての仕事は正直言うと本当に大変でした。「教材研究」はもちろん「授業の準備」や「校務分掌」という学校を運営していく上での仕事もありました。朝の7:50〜に出勤して学校を出るのが21:00が日常になっていました。その学校でほとんど毎日どの先生よりも最後に学校を出ていたような記憶があります。おかげで警備員さんと仲良くなれたような気がします。(笑)

支援学級の担任に任命されてからは、主に自閉症・ADHD・LD  etc...の個性をもった子どもたちに授業をしていました。自閉症の子どもには日常生活で困らないように「自分の想いを言葉で伝えられるようにする内容の授業」ADHDの子どもには怒りの感情に自分の中で向き合えるように、人を傷つけてしまわないように「自分の気持ちのコントロールをしながら活動をする内容の授業」LDの子どもには自分に自信が持てるように「自分がなりたい将来に必要だと感じた算数・国語を自分のペースで進める内容の授業」を各子どもの個性に合わせて授業準備して、子どもと一緒に日々学んでいました。

自閉症の個性をもったこどもは、学校生活においても日常生活においても一生懸命で相手の気持ちに寄り添える本当に優しくて強い子でした。

ADHDの子どもは「将来、科学者になってロボットを開発したい。」と夢を話してくれました。

LDの子どもは「とっても絵を描くのが上手で、将来はお洋服さんの定員さんになりたい」と話してくれました。

僕が教師として関わった子どもたちはみんな素敵な夢を持っていて「自分の好きなこと」についてたくさん話したり見せてくれたりしたいました。この経験を通して本当に子どもから大切なことを学ばせてもらったと感じています。

そして何より、こうした子どもたちがもっといきいきと安心して輝けるような居場所をつくって夢を叶えてあげたいな。と強く考えるようになりました。

そのために必要なことを考える毎日が続き、結論からいうと「公教育の小学校教諭の立場」よりも一歩、「公教育の外に出た違う立場」の方が自分の考えている子どもたちが、もっといきいきと安心して輝けるような居場所づくりをしやすいんじゃないかと仮説を立てました。そして自分の頭の中にあるアイディアを実現させるために必要な【時間・知識・人】のリソースが圧倒的に足りないことに気付きました。同時に「お金の知識」も知っておく必要があると、この時に改めて感じたのを覚えています。

この時期くらいから、「子どもの頃から大人になって社会人に成るまでに経験すること」とその「経験の範囲から進路(将来)選択する時の行動心理・進路(将来)選択環境」ついて自分なりに考えるようになりました。その観点からみえてきたのは、圧倒的な自身の人生においての見通しが「目先のテストの成績や進学先のこと」(他にも、家庭環境・友達関係・遊びと子どもたちは忙しい)ととっても近接的になりがちな性質があるなぁ。と思いました。同時にこのような問題を解決するための1つのアイディアとして、様々な生き方をしている人やその人が見ている世界線を「知る」こと。知って自分の将来に対する視野を広げることが大切なのではないかと仮説を立てるようになりました。「簡単に様々な世界線で生きる人のことを知ることができて自分の興味のある分野の人と簡単に本当の意味で繋がってアドバイスがもらえるような環境をオフライン・オンラインでつくることができたら」「自分の大好きを通して繋がって、関わる人を「楽しい気持ち」にさせたり、「嬉しい気持ち」にさせたりできるような将来を何歳からでもどんな個性をもっている人でも建設的に進めることができる。そんな仕組みをつくることができたら素敵だなと本気で考えるようになりました。

今、思い出してつくりたい未来を想像すると                「ドキドキ・ワクワク」しますね!!!

🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈

【外資系金融機関エピソード】

前のエピソード【「公教育の小学校教諭の立場」よりも一歩、「公教育の外に出た違う立場」の方が自分の考えている子どもたちが、もっといきいきと安心して輝けるような居場所づくりをしやすいんじゃないかと仮説を立てました。そして自分の頭の中にあるアイディアを実現させるために必要な【時間・知識・人】のリソースが圧倒的に足りないことに気付きました。同時に「お金の知識」も知っておく必要があると、この時に改めて感じていた。】

この時期に学校に営業に来ていた営業マンのNさんが本当にカッコよくて、楽しそうに仕事の話や自分の趣味の車の話をしてくれたのを覚えていて、何より自信があって本当にキラキラしている印象が強くありました。その時に「こんなに楽しそうにキラキラ働く大人がいるんだなぁ。かっこいいな。」と真剣に思いました。それから一年後くらい経った時に、その営業マンが所長になるタイミングで僕に「一緒に働かない?」と声をかけて頂いたのがキッカケで働くことになりました。

そこでは、外資系金融機関と言うだけあってお金に関する汎用性のある知識から外貨に関する知識。そして人とのコミュニケーションについての知識や心理的な心の動きに関する知識までしっかりと学べるような機会が多くありました。また「個人との営業」・「法人の営業」・「学校での営業」があり実践を通して、本当に沢山の大切なことを学べました。Nさんのチームに僕を誘ってくださった時は、チームの中で僕が最年少で年齢の差もあって、チームの人にも本当の息子のように可愛がってくれたことを心から感謝しています。そんな人たちのおかげで人として成長できました。ちなみに、この時期に働きながら「心理カウンセラー」のライセンスも取得しました。

🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈

【居場所づくりの奮闘エピソード】

「小学校教諭の経験」「外資系金融機関の営業経験」「心理カウンセラーの知識」を活かして、小学校教諭の頃に考えていた居場所をつくろうと奮闘する毎日が始まります。

例えば。。。

◎本読み漁り著書の社長に直接TEL。                    ◎東京投資家へ向けたプレゼンし必要なリソースを知る。           ◎スタートアップベンチャーに積極的に投資している企業にTEL。       ◎レンタルしたいコワーキングスペースのリサーチと見学。          ◎起業アドバイザーに「居場所づくり」の構想を伝え、次に必要な行動を理解。 ◎経営の専門学校に体験入学。                       ◎若手起業家の意見交流会に参加。                     ◎次世代の起業家育成プログラムにエントリー。

この頃は、大阪から東京へよく行き来していました。また東京には友人の住んでいた社員寮があったのでよく忍び込んで泊まらせてもらっていました。(笑)

誰もがスマートフォンをもっていて使いこなしている時代でもあるので、馴染みのあるアプリから「オンライン・オフラインの両面」で居場所がつれるようにアイディアを設計して構想を練っていました。行動すればするほどより、具体的に「必要な行動」や「必要なこと」が見えてきて本当に壮大で実現するには、沢山の人の協力が必要なこともよくわかりました。また、そのさんの協力には僕のつくりたい未来に対して強い「共感」も必要であることも本当によくわかりました。そして、人が顕在的に求めていること、潜在的に求めていることの理解も呼吸をするように理解しておく必要があることもよくわかりました。

一人では抱えきれないほどの「考える必要があること」「行動する必要があること」「協力が必要なこと」「大きなお金が必要なこと」「大きな信用が必要なこと」がありましたが、諦めて自分のしたいことに折り合いをつけられるほど器用な人間ではなかったので、自分なりに次に必要な行動を考えることをやめなかった自分を褒めてあげたいと思います。

今でもこの構想や設計は形を変えて僕の頭の中で常にアップデートを繰り返して常に「今」にあった。時代にあったイメージやつくる未来を想像して行動しています。自分のできる最大限の持てる力を全て出し切って、少しでも前に進めていけたらと考えて活動しています。そして、最近ひしひしと感じるのは、【実現に向けて本当に大切で重要な行動は「今」目の前にいる人や全てのことを丁寧に理解して、大切にして信じて自分から与えられる影響力を大きくしていくこと】から始めることだと自分なりに感じて考えています。

そして何より、めちゃくちゃ大変で
めちゃくちゃ楽しくて、ワクワクしてドキドキする。

そんな時間を通して僕は、

今日より明日へと
より良い未来をつくっていけると信じています。

🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈

【とある小売店でのエピソード】

沢山の個性が集まる場所!日本で最もポジティブな影響力がある会社で働いています。そこでは、最新のデバイスや機能を通して人の生活をより豊かにするためのお手伝いをしています。この場所で働くようになって人間としても将来に対しての視野も自分に対する自信も。。。人が生きていく上で大切なことを本当に沢山学べていると実感しながら毎日過ごしています。今、生きている人が昨日よりも今日。今日より明日。豊かな生活を送ることができるように日々自分はどういうことができるのか考えながら、ポジティブな影響を与え続けられたらと考えています。

人はこの広い世界の地球という星に生まれてきたのは「幸せを感じる」ために生まれてきたんだと信じています!

🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈

【母の生き様】

僕が、今まで生きてきて「大切にしてきたこと」や「選択」してきたこと。出会う人、出会う人に与えられてきた。与えてきたことのほとんどの「価値観や考え方」、そして「行動」の根幹にあるのは母が僕にしてきてくれたこと、愛してくれたことが大きく影響しています。僕が今、自分の周りの人や世界や未来を愛せるのはきっと僕がずっと与えられてきた母の愛がそうさせるのだと、最近はひしひしと感じています。これからもそうやって、一番近くにいる家族や僕の目の前に映る人を愛して、母のように言葉より行動で表現しながら生きていきます。

🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈

【beginningのはじまりのエピソード(想いと目指したこと)】

beginningの「はじまり」は、もともと一人でYouTubeをやっていて、自分がそこに居ることで「笑ってくれたり」「楽しい気持ちになったり」「嬉しくなったり」「その人の1日にハッピーを増やせるような人って素敵だな」と思ってはじめたのがキッカケでした。また、今までのエピソードで出会った人たちの優しさや愛に触れた沢山の経験が僕の中で大きくその考えに影響を与えてくれました。そこからは、本当にいろんな面白い企画をこなして来ました。一人で企画、構成、撮影、編集をこなしていました。働きながらの投稿だったので毎日投稿ではなく時間を見つけては作業しているようなタイムスケジュールでやっていたので週に2.3本の投稿頻度だったと思います。

そこからRyoutaのという編集が得意な仲間と出会って、お互いに「世界一を目指そう!!!」【Ryoutaは世界一のクリエイター】【しんちゃんは世界一のエンターティナー】という目標を決めて意気投合したことによって「beginning」がはじましました。ちなみに、「beginning」というチーム名前はのちに仲間になる「ぐっぴー」とRyoutaとしんちゃんの三人でアイディアを出し合って決めました。

ここで1番お伝えしたかったのは
今、生きている全ての人にストーリーがあって
そのストーリーの1つひとつが
出会いの1つひとつが今に繋がっていて。
また新しい人生というストーリーになっていく!

様々なストーリーと出会いと
これからのストーリーを素晴らしいものにする!
1人ひとりがその力をもっているから。

人生のほんの小さな日常の
beginningに触れる時間をキッカケに
大きな素敵なストーリーを紡げるように。

そう願っていますし
これからもそういう想いと信念をもって
皆さんにbeginningをお届けできるように
賢明に、懸命に、向き合っていきます!


🌟具体的な今までのことは動画で「まとめ」をつくっているのでお楽しみに🌟

☞今後の活動を通しても少しずつお伝えしたいと考えています🤗

🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈

【beginningのこれからのビジョン】

【世界のアイコンになる】

【あなたの日常にパレードのような人生を】

【青春POP】

【世界にポジティブな影響(「嬉しい」「楽しい」「大好き」を感じる気持ち)を大きくして、誰もが素敵で最高だと感じられる未来をつくっていく!】

【これから世界を知っていく子どもたちが美しい世界だと感じられるような環境をつくる!僕らがそんな世界を創るんだ!(子どもを見るたびにそう願っている自分がいる)】

🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈

🎉beginningの世界🎉**

  ゼクシィの結婚式前のような
  クリスマス前夜のような
  ディズニーランドのような
  パレードのような
  大好きな人に会う前のような
  旅行の前のような 
  自分の大好きなことをしているときのような
  最高の仲間と集まって遊んでるときのような

  そんな「ドキドキワクワク」を
  毎日、表現するエンターテイメントを
  表現していくよ!!!

🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈

🥳beginningガイドライン🥳

🌟限られた人生の中で使う言葉は常に人に希望を与えるものであるようにする🌟

🌟しんちゃんがイメージしている理想の未来を世界とシェアする🌟

🌟ハッピーでパレードな音楽を仲間とつくる!(コンポーザ)☞募集中🌟

🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈🌈


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?