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”世界一明るい視覚障がい者” 成澤俊輔さん(しんびじvol23)

■シンビジ×オンラインとは

沼田尚志さん主催のシンビジ×オンラインは、視聴者の「パーソナルエンパワーメント」を目的とした番組です。視聴してくださる方々が、ゲストの想いを聴いて、心の導火線に火をつけ、前向きな一歩を踏み出すような番組を目指しています。特に伝えたいメッセージは以下の3つです。

・自分はなんの当事者であるか?という問い

・自分の心をらせるものは何か?という想像力

・自分にもできるかもしれない。という期待感

沼田尚志:  スーパーイノベーター 
竹中花梨: MC  
成澤俊輔: レジェンドゲスト

■”世界一明るい視覚障がい者”が代名詞の成澤俊輔さんの経歴

沼田:今日も素晴らしいゲストをお招きしました 。MCは 竹中 花梨さんです 。 今日は成澤俊輔さんをお呼びしました。成澤さんこんばんは!

成澤:こんばんは〜よろしくお願いします。

花梨:それでは成澤俊輔さんの経歴からご紹介します 。

1985年佐賀県生まれ。埼玉県立大学保健医療福祉学部社会福祉学科卒。3歳の時に網膜色素変性症という難病であると診断され、徐々に視力を失い現在は光のみを感じることができる。自身の障がい以外にも姉の小児がんによる死別や、海外渡航経験・普通学校での教育の壁・7年間にわたる大学での苦悩など様々な社会課題に遭遇。大学在籍時から経営コンサルティング会社での勤務や独立を経験し、2011年12月に障がい者雇用で、経済産業省など様々な官公庁などからも表彰されるIT優良企業「アイエスエフネットグループ」へ参画。現在は、障がい者やうつやひきこもり支援を行うNPO法人FDA理事長として活躍。「世界で一番明るい視覚障がい者」というキャッチコピーの下、講演活動を全国で実施。障がいを感じさせない、力強い声と明瞭快活なスピーチは、聴く人が強く惹きつけられるとして評判。

■成澤さんの幼少期


沼田:最初のコーナーはでは成澤さんの人生を、生まれた時から紐解こうというコーナーです。お生まれは佐賀県でしたよね?

成澤:九州の佐賀県ですね。

沼田:どんなお子さんだったのですか?

成澤:あんまり憶えていないのですが、イノベーションっぽい話をすると 、小学校一年生の頃、家と小学校の間に田んぼがあって、そこを律儀に遠回りせずに突っ切ったら百姓に捕まって学校に連れて行かれたエピソードがあります笑。でもこの行動、イノベーティブだなと思って。

沼田:すごくいろんなことがあった人生のようにお見受けするのですが、 小さい 頃に1番インパクトがあったことってなんですか。

成澤:プロフィールでもありましたが、家族みんなで3才の頃花火をしていて、「その花火が消えたらバケツの中に入れてね」っておかんに言われたんです。で、花火が 消えた瞬間バケツの中に入れようと思ったら、バケツの場所が分からなくなって、この子暗いとこ見えてないんちゃうかな?と両親が気づいて、今の僕の病気がわかったんです。だから花火あんまり好きじゃないです。いつかこの花火を許せるというか、楽しめたら良いなみたいな感覚が願いとして1つあると同時に、この花火の光すら見えなくなる日が来るならもう許せなくてもいいんじゃないか?みたいなふうに思ってます。花火はキーワードかもしれないね。

・マイナスをプラスに考える力


成澤:でも、僕はその目が見えないことでなんか学んだことがいっぱいあるのです。例えば、僕は目が見えないから、食事を食べるのがちょっと苦手です。食べこぼしたりしちゃうから。昔はずっと綺麗に食べよう、綺麗に食べよう!と思っていたんです。でも、それが最近なくなったんです。綺麗に食べるのは僕が目が見えない上で、相手へのマナーじゃないとわかったのです。目が見えない僕が食事の時にすべき1番大事なことは、美味しそうに食べることだと思ったんです。美味しそうに食べていたら溢していても、「母性本能くすぐられましたか?」くらいの冗談言えるじゃないですか。綺麗に食べることは俺ができる努力の限界があって、でも美味しそうに食べ続けることは俺ができる努力だなと思ったときに、あっ僕がすべきマナーは、すげーうまそうに食うことだなと思いました。あともう1個、大学時代の話をすると、大学時代よく恋人とカラオケに行きました。その頃はちょっとだけ字が見えたので 、僕と恋人で交互に歌を歌っていたのです。でもあるとき、僕はもう字が読めなくなって歌えなくなって、全部恋人に歌うのを任せるようになりました。何を言いたいかというと、僕にできないことがあると、できることが増えるということです。カラオケ歌えなくなるというできないことがあると、恋人の歌を2倍聞けるようになるってできることが増えたんですね。カラオケの楽しみ方が、僕の中で変わったのです。何かを再定義したりとか、マイナスをプラスに考える力が、僕には死ぬほどあるのではないかって気がしますね 。

成澤:食事の話に加えると、僕去年の11月に1人で片道20時間以上かけてアフリカのケニアに行きました。行くとき周りの人に言われていたのは、「成澤くん、アフリカは結構手で食事を食べるからそれが苦手な人も多いかもしれない」って。でも、俺見えないから手で食べるほうが得意なのですよね。俺は日本よりアフリカの方が食事食べやすいんじゃないかな?と思ったときに、生きづらさとか働きづらさとは何だろうかと改めて問いました。

沼田:小中高時代は、どんなキャラクターだったんですか?

・暗黒時代とブレイクスルー


成澤:小中高はもう暗黒時代でした。誰かに認めて欲しかったのかな。すごい優等生を演じることに精一杯で、学級長になったり、偏差値を集めたりとかっていうので友達もほとんどいなかったし、暗黒時代でした。たぶん今、1日に喋っている量はその頃の4ヶ月分くらいです。

沼田:その暗黒時代はどう捉えてらっしゃったんですか?

成澤:とりあえず勉強はしようと。勉強していたら目が見えなくても生きていけるのではと思って。まあ簡単に言うと、人に期待された事がなかったんですよ。部活もやったことがないし、あまり恋愛もできなかったし、そんな友達もいなかったので。「自分見て」と思って。俺こんな努力しているっていうのが見えるのが勉強だったんですね。でも勉強って自分の為にするから、きっと人は自分の為より誰かのための方が頑張れるから、自分のための勉強とか限界があるんですよ。でも勉強は偏差値があるから、周りの人を僕に振り向かせるにはその方法しかなかったのです。

沼田:ちょっとごめん花梨さん。泣いてしまう。もうヤバイこれまだ開始15分ぐらいだから。

花梨:始まったばかりですよ〜 。その暗黒時代が変わるきっかけとかはどういうタイミングだったんですか?

成澤:2つあります。

成澤:1つは東京に出てきたことです。うーんやっぱ九州から東京に出てきてチャンスとか情報みたいのがいっぱい増えたのも大きいなと思うし、今の仕事に1番つながるんですけど 、仕事ができるようになったことが1番大きいかな。初めて大学生時代に個別指導の塾でバイトしたんです。目が見えないことを黙って。生徒の答え合わせも全部口頭でやって笑。でも初めてバイトした時に、もしかしたら生きて行けるかもしれないなって思ったんです。あと、二十歳くらいの時に、コンサル会社でインターンシップする経験があって、ここで初めて会社に目標とかノルマとか予算をつけてもらうということがありました。その時すごい嬉しかった。初めて人のためにエネルギーを使う機会をもらえたんです。俺を見てって思いながら一生懸命勉強していたけれど、ノルマとか目標の向こう側には人がいるからすごい頑張れた。相手というものが生まれたことがめちゃくちゃ嬉しかったんです。ベンチャー企業だったので、みんなとチームを組んで力を合わせて成果を上げる!みたいな形が青春というか高校のインカレみたいなノリと近かったので。“誰か”というものに出会えたこと、チームに恵まれたことですね。仕事ができるようになって人生が変わりました。だから今「仕事」を作る仕事をしているんです。

沼田:アルバイトとかインターンとか怖くなかったんですか ?

成澤:逃げてきたんですよね。僕は目が見えなくて、高校まで暗黒時代だったわけです。この目が見えないことが不安だから、大学で福祉の勉強すればこういう障害を持っている人が将来参考にできるかなと思ったら余計露頭に迷ってきて。で、たまたまベンチャー企業でインターンしたらすごい性に合って。逃げてきたら流れついた感じがあります。

沼田:逃げるっていうのは何から逃げていたんですか。

成澤:福祉の業界の中にいるままでは、俺の“らしさ”を生かせないなと。人の話黙って聞けないし、ルール通りにやるのは好きじゃないし、俺も沼田くんもそうだけど、勤務医はできないけど、産業医はできるみたいな。だから一個のことを一生懸命にできないタイプなんです。この多動性が治らないなとなった時に、ベンチャーとか経営とか多様性が俺のことを受け止めてくれたので。それは大きかったですね。

成澤:2つ目が“経営”なんですよ。僕はコンサルの会社で飛び込み営業とかテレアポみたいなことをいっぱいやっていました。話をしに行くと経営者の多くが僕のことを評価してくれたのです。どういうことかというと、経営者の悩みって、人・物・金・サービスでなはくて、“答えのない苦しみ”だと思っているんです。僕が目の見えないことで悩むことは、字が書けないことや移動が大変とかではないんです。僕の最大の悩みも、“答えのない苦しみ”なんです。経営も障害も“なんで“という三文字が浮かんだ瞬間にテンションが下がるわけですよ。その答えのない苦しみがふわっと現れた時にね。でもその目が見えなくて、経営もしたことがなくて、死のうともしたことがないけれど、この答えのない苦しみの中生き抜いている姿が、彼らの悩みと重なったんです。経営者が、僕の答えのない苦しみや呪縛に、「お前の人生買った!」って言ってくれることで光を照らしてくれたんです。その時に俺のことを初めて必要としてくれた経営者たち、彼らのために俺は生きよう!と思って。その出会いによって僕の人生はもう一回変わりましたね。仕事と経営者が人生を変えた、その人生と目の見えないことをつなげることを考えた時、僕の強みはどうにもならないことに慣れていることだと思いました世の中、人はどうにかなると思っているんです。僕にとってはどうにもならないことが多いんです。例えばね、僕一年前くらいに長野に出張に行ったんです。ビジネスホテルに泊まって1日仕事 無事終わったなあと思って 、自動販売機で 飲み物を買おうと思ったんです。自動販売機の光とぶーん って 音が聞こえたので、手探りで行ってお金入れて、ボタン押しました。「喉乾いたなあ1日無事終わったなあ」と思ってボタンを押したら柿ピーが出てきたんですよ。

沼田、花梨:笑笑

成澤:余計喉渇きそうなもの出てきたんですよね!それお酒とつまみの自動販売機だったんです。そこでもう一回ボタン押して、またおつまみ出てきたら危ないじゃないですか。だから俺喉乾いているのに、柿ピーだけ持って部屋に戻ったんですよ。ある時は、飲み物を買うために違う自動販売機に行ったら朝からアイスクリームが出てきたこともあります。コンビニに行った時には、梅干しのおにぎりが苦手ですけれど、人に聞くのは嫌なんですよ。ツナマヨ食べたいですって人に言ってコイツツナマヨばっかり食べてるから太ってるのか?なんて思われたら嫌じゃないですか!梅干しは真ん中にないはずだからと賭けて、選ぶ。そんな毎日がおみくじのような人生です。僕はどうにかならないということを楽しめる力とか、受け止めるみたいな、予期せぬことがたくさんあるのでイノベーションという仕事に超むいている気がしますね。

沼田:次のコーナーに参りたいと思います。しんびじオンライン。

■IF NOT ME, WHO?”私がやらねば誰がやるのだ“

IF NOT ME, WHO? 直訳すると”私がやらねば誰がやるのだ“という使命感について伺うコーナーです。

・経営者という人生の醍醐味と仕事という経験の豊かさ

沼田:さて、成澤俊輔さんにとって“私がやらなければ誰がやるんだ”という領域について何か伺えますでしょうか。

成澤:僕は経営者という人生の醍醐味と仕事という経験の豊かさ。この2つでイノベーションを起こすことを僕の人生だと思っています。まず、仕事のところで2つだけ事例を喋ろうかなと思います。

成澤:僕は今同時に50社くらいコンサルティングをしているのですけれど、その中に、あるITの会社があります。ここで働いているある男の子は発達障害を持っています。小さな頃も不登校になったり、色々なハプニングがありました。そのお母さんが、子供が20歳ちかくになるので障害年金の申請にある社労士事務所に行ったんです。年金 の申請はするけど社会とつなげるのは 成澤君の方が得意だよね っていうことでそのお母さんが僕のとこに会いにきてくれて、その息子の相談にのりました。最初はメル友から始まり、直接会えるようになって、そして僕が三月まで経営していた会社でトレーニングを受けるようになり、そこから外の会社の実習に行って、去年の4月に先程言ったITの会社に就職しました。今年の冬に、その男の子と上司の方と三者面談をしたときに、
上司の方がこう言いました。「最近彼が泣くようになったんです」って。どういうことかというと、彼が悔し涙を出せるようになったということだったんです。その時に僕は、涙が止まらないかと思うぐらい感動したんです。働きづらさがある人たちって自分のために泣くことは多かったんです。もっと理解して欲しいとか俺頑張ってるのにって。でも悔し涙を流すには相手が必要です。期待してくれている上司、待ってくれているお客さん、もっとできるはずと思えている自分とか。初めて社会人となれた去年の4月の喜びよりも、彼にその悔し涙を流せる人生が訪れたことに、僕は嬉しいなあと思って。こういう経験をさせてあげられるのはやっぱり仕事だなと思いました。

成澤:2つ目の事例が、僕の信頼する北海道の福祉系の専門家の人から聞いたことです。その専門家の人がある役場で、講演をしたそうです。その役場には あまり働けていない ひきこもりの人から、誰か自分と昼ご飯を一緒に食べてほしいと相談の連絡がありました。役場にはそういう問い合わせが毎日のように来るから、 役場の人も ちょっと悩んではったんです。だから講演の後、役場の人が「先生、この人の対応していただけますか」と話があって、実現しました。その講演をした専門家の方と相談をした 引きこもりの方はうな重を食べに行ったそうです 。長く引きこもっていた人が、先生にごちそうしたそうです。この後何が起きたかわかります ?長く引きこもっていた彼は、先生に奢るために働き始めたんです。「先生にまたご馳走したいから、働いて待ってるね」って言ったんです 。働きづらさというと、自立とか 税金を納めるみたいな 種になるけれど、人は 誰かのために頑張れるんです。その自立とか税金を納める という話より、誰かにご馳走したいというその“誰か”が見つかった方が人は頑張れるという話 。もう僕はすごくいい話だなと思うんです 。僕はこの“働く”という経験を世界中に広げたいなと思っていて、やっぱりいい会社を増やし、良い職場を増やし、 イノベーションを起こしながら世界中で仕事をしてます。なので、この仕事っていう経験の豊かさ、悔し涙をながせる、奢れる機会を作れることが仕事のロマンだなと超思います。

花梨:すごい今鳥肌立ちました。うな重の話本当に素敵ですね。いい職場ってどういうところだと思ってらっしゃるか伺いたいです。

・”良い職場”に必要な条件

成澤:いくつかあるかなと思います。今の世の中、働く現場って野球、サッカー、ラグビーになっていると思っています。昔は野球だったんです 。1塁2塁3塁と走る順番が決まっていて 、これは終身雇用定年制と僕は言っているんですけど 。それが少しサッカーみたいになってきたんです 。ディフェンス がゴールを決めても良いし、 一緒に走っても良いしと柔軟になってきている、これがフレックスだと思っていて、今は働く現場がラグビーみたいになっていると思う 。前に進まなきゃいけないけれど 、ボールは 横か後ろにしかだせない 。サッカーか野球よりももっとルール が優しくなっている。どこまでが強豪 だっけ?みたいな。だから去年ラグビーが 人気になったのは、世の中の働き方 とかがラグビーっぽくなっているからかなとか思ったりしている。僕は、“いい職場”とはそれぞれが自分の強みを知り、それぞれが 自分の弱みも知り、そしてそれぞれが自分の弱みを誰が得意としているかを知っていること。この3つの条件が揃っているところが イノベーションが生まれる組織かなと思っています 。

沼田:スーパーイノベーターはですね 、ファーストキャリアが N T T東日本 だったんです。10年間くらいいましたが、最初の5年くらいは2日にいっぺん号泣していたんです。 本当に逃げ出したかったし、 悔しかったし 、何の涙かわからないのに止めどなく流れていって。その頃を思い出しました 。悔しいというのももちろんあったけれど、どんな感情なのだろうとこれまでは思っていた。それこそこんな思いを抱えたまま一生働くのか?これは死んじゃうよ、心がもたないよ、と思っていたんです。それでも私がちょっとずつイノベーティブになり始めたのは、自分の中にきせるものがあったわけではなくて、めちゃビビっている先輩の存在があったからです。会社の飲み会の時に、若手がクレジットで先に支払ってみんなからお金を回収しなければいけなかったんですけど、それが先輩はすごく苦手だったんです。だから「先輩いいっすよ!私がやります」となんの関係もない私が回収したらすごく喜ばれて、その時に“人のために働く”ってこういういうことかとわかりました。

・”弱み”と”強み”は表裏一体


成澤:弱みと強みって 表裏一体だなと 思っているんです。 例えば、あるダウン症の人がいました 。字が読めなくて、コミュニケーションがとりにくくて 、でもアメリカのある会社で社長の秘書をやっています。その人は年収800万円もらっているそうです 。じゃあ沼田君に 社長秘書となって書類のシュレッターかけの仕事をしてもらえますかというと、2つのリスクが出てきます。1つは 、見てはいけないものを見てしまうリスク。そしてそれを誰かにしゃべってしまうリスク。じゃあ皆さんが経営者だったら、字が読めなくてコミュニケーションが苦手のダウン症の人にお願いするのか、それとも目が見えてコミュニケーションがとれる一般的に健常者と言われる人にこのシュレッターかけの仕事をお願いするか 。間違いなく答えは前者じゃないですか。となった時に 、弱みとか強みって僕は 表裏一体だなと思ったんです。そんなことを掛け合わせられるチャンスが 僕の中にも あって、僕が弱みだと思ったことが強みになっていたりとか活かされていって、人生の後半が暗黒時代から進み始めたかなって気がしています 。

沼田:さっきラグビー とサッカーの話もしていらっしゃった じゃないですか。こないだラグビーとサッカー は競技性で何が違うのかなと考えていて、 面白いコラムを読んだんです 。そこに書かれていたのは 、サッカーは1点ずつしか入らないと。その1点を決めることをゴールという。ゴールというのは”結果”であると。ラグビーは一気に5点入る 。その5点入るプレイは 、トライと呼ぶ。 トライは”挑戦”だと。だから結果よりも5点入る”挑戦” の方が価値がある。なので 、今ラグビーが流行っている というのは日本人が結果よりも挑戦することを愛し始めたのではないか という話だったんです。

成澤:めちゃくちゃ面白いですね 。

・結果を求められる仕事は一切受けない

成澤:僕、 コンサルティングで50社ぐらい 担当させていただいているんですけれど、仕事をする上で決めているルールがあります。初体験の仕事しかやらないと決めているんです 。いろんな会社を見ているんですけれど、初体験の時が最も大胆なことを言えるし 、 勉強して総合力で勝負できるし 、非連続性が担保されるのでそんなルールがあるんです。もう1つルールがあるとしたら 、結果を出そうと思っていないということです 。結果を求められる仕事は一切受けないです。結果を出そうと思ったら、人はアクションをしなくなるので、まず結果にコミットしないということが僕は前に進める大きな要因じゃないかと思っています。アクションの話でいうと、“できるようになってからやる”というのは嘘です 。いつもやったからできるから 。「1億円金貯めたら会社を作る」と言って、お金がたまって実際に会社を作る人はいないです 。「英語喋れるようになったら海外に行こう」と言っても実際に 行く人はいなくて。出来るようになってやったのではなくて行動を起こしたから出来るようになったということだけです。だからできるようになるためのスキルセットをつけるよりも、やってみるハードルを下げる方が絶対にいい。それが僕はすごく大事だなと思います。

次のコーナーに行きたいと思います。しんびじオンライン!

■WHAT IS YOUR NAME ”胸が高鳴る瞬間はいつ”

このコーナーでは 、ご自身のこと について伺っていきます。
沼田:Find your voice ということで自分の声を探そうというコーナーです。 成澤さんにとってワクワクする瞬間胸が高鳴る瞬間というのはいつでしょうか 

・何かを辞める時と何かやったことがないことをやってみるとき

成澤:2つあります。何かを辞める時と何かやったことがないことをやってみるときです。この2つをする時が僕が1番ワクワクする瞬間です 。8年間経営してきたNPO法人を3月に退任したんですが 、そのときに僕は「人はできることと、やりたいことが重なるとこんなにもエンパワーされるんだな って思う経験ができたのは このFDA(npo法人)の経営を通じてです」と 言いました。いろんな働きづらさがある人たちが、企業の中で活躍するのを見ていて、そのNPO法人は就労支援する組織だったんですけれども、最も就労支援をされていたのは僕自身でした。僕なりの決断ができたことは自分なりにほめてあげたいなと思います。

あとはやったことがないことをやってみるときですね。それこそ去年ケニアに旅行会社を使わないで1人で行きました。自分のためだけでなくて誰かのために行こうと思いました。「1人で目も見えないし英語もしゃべれないけれど アメリカに10日間くらい行ってきたよ」って言ったら、 世界中に飛び出すのを ビビっている企業家とか、 障害を持つ子は狭い世界で 生きていくんじゃないかなと思ってしまっている親御さんとかに夢を与えられると思ったんです 。誰かのためにいこうと思った時に、僕は頑張れました。何かを辞める時とやったことがないことをやってみるときはワクワクする瞬間だなと思っていて、それを周りの経営者たちにそそのかすのは僕の人生かなと思います。 別の言葉で言うと、株式会社youturnという会社で取締役をやっていますが、そこのビジョンは“人生のターニングポイントを作る“です。そこで、日本で移住専門の人材紹介会社だったり中小企業の経営の伴走をしたりしたんですけれど、僕はこの会社のCTOだと言い張っています。チーフターニングポイントオフィサーの略です。そのターニングポイントを迎える人生の豊かさ、迎えられている自分の決断を褒めることも世の中に発信したいなと思うので、経営が何かを辞める時と新しいことをやってみるとき 、その瞬間をプロデュースするのがすごく好きな気がします 。

・できることをやろうとしている人がいたらやめたほうがいい

花梨:どういう時にやめた方がいいんですか?

成澤:ビジネスも人生もそうですが 、できないことをできるようにするのが大事だよと言われる時代があって 。でも、できることをやろうとしている人がいたらやめたほうがいいです。やりたいことをやっていないから。できることを積み重ねても イノベーションが起きたりキャリアが開発される時代はもう終わりました 。それは昭和の終わりの資本主義の呪縛だなと僕は思っています 。人がやりたい事をやっている時の方が火事場の力でできることとかあるから 。

花梨:私 、その話すごく刺さりました。今世の中がどうなるかわからない怖さがあるからこそ、不安を抱えていて 、できることをやろうとする人が多いと思うんです。安心とか安定を求めて。

成澤:いつも思うんですけれど、わからないことが多いよねっていうのも、そもそも僕たちはわからない中で生きてきたじゃないですか 。それは大学進学だって、引っ越しだって、就職だって、結婚だってやってみないとわからないよねと言いながら人生歩んできた。それなのに、急にコロナになってから わからない 時はどうしたらいいかみたいになっていて、いやもともと人は分かったと思って行動していないでしょう、と感じているので今までの歩みを続ければいいなと思ったりしています 。

花梨:沼田さんどうですか ?

沼田:もうね、泣いちゃう。私NTTドコモで働いているんですが、会社で大きなプロジェクトが始まりそうなんです。これは私がずっとやりたかったことで、なかなか「さあやろう」と言ってできるようなことではない大きなことをやろうとしています。その時に、なんでそもそもN T Tドコモに入ったんだっけな と考えたんです 。集団とか組織の中で働くことを選んだ理由はなんだろうと 。そもそも私は 成澤さんタイプというか 、少し 多動な所があって周りと協調してうまくやれるわけがないんです。なので 大きな組織の中にいたけれど 、なるべく1匹狼だったし 、なるべくインパクトがある打ち上げ花火のようなことばっかりをやってきたんです。振り返ったときに 理由は2つありました 。1つはチームで働きたかった 。今まで自分でできなかったことを隣の誰かに頼むということをしたかった。もう1つは大きな花火ではなくて 大きな山火事を起こしたかったんです 。ずっと燃えるやつ 。一瞬で消えたくなかったんです、文化とかもっと言うと文脈にしたかった。まずはドコモの中でやって それができたら 、もっと大きなところに 広げていきたいなと思った時に、これは組織の中でやるべきだなと思ったんです 。

成澤:めちゃくちゃいいですね。それに書き換えられるのって僕はすごく大事だなと思っていて 。やっぱり人は結果ではなくてプロセスについてくるし、姿勢についてきます。 僕は その人たちが姿勢を持ち続けることが大事だと思うし、 人は 正しさじゃなくて 楽しさについてくるから 。でも僕は変な人間で、 仕事を楽しもうと一切思っていない 。いろんな会社のコンサルで色々な話をするけれど、3年くらい前に仕事を楽しもうという概念を捨てました。なぜかというと、楽しい仕事 と楽しくない仕事を 選ぶような感覚を持っているのは僕はやだなと思って 。楽しそうにはするけれど目の前の仕事を淡々とやり続けることは大事かなと思っています。

成澤:あと、別の話をすると、 プルデンシャル生命保険の川堂修さんて方がおっしゃっていたんですけれど、彼は8割素敵な出会い だと2割は苦手な出会いがあると言った時に2割のことを 必要経費と言ったんです。 8割に出会うための必要経費だと言っていて。僕はその視点がめちゃくちゃ面白いなと 思いました。僕らは、楽しめる能力とかこじつける力を持っていてそれは大事だなと感じます。

沼田:わぁ酒飲みながら話したい 。

成澤:3年前にFDAという会社を卒業すると決断したことは35年間決めたことの中で、最も自分の人生を前進させたと確信しています 。始めるより譲る方が難しいし、譲るよりやめるほうが難しい 。何かをやり切った経験というのは大きかったです 。

花梨:それはどういう気持ちで そろそろやめようかなと思い始めたんですか ?

成澤:最初にわかりやすい言葉で言うと、 飽きてたんです 。経営者って「飽きた」と言った方がいいと思います 。経営者に一生の社員の人生を背負えだなんて 変な呪縛だなと思っています 。10年位 何かを一生懸命やっていたら、人は飽きると思うから。僕の会社は「日本で1番大切にしたい会社大賞」というのを おかげさまで史上最速受賞させてもらってN P Oとして、いい会社ができたので 良い会社が続くことと、良い会社が増えることが大事だなとビジョナリー的にも思ったのが2つ目です。最大のテーマは障害者雇用とか就労支援のプロだとおもわれることに嫌気がさしたことです。僕はそんなことに全く興味がない。経営と仕事に興味があるので、いろいろなところに呼んでいただくけれどそれは僕の出来ることの一部にしか過ぎないのですよ。仕事と経営のイノベーションを起こしたいということの手段として、たまたまダイバーシティイノベーションとか障害者雇用というものがある。この看板もうざいなと思ったから僕はやめることを決意しました。

花梨:周りの方々はどういう反応でした?

成澤:楽しんでくれましたよ。それこそ、僕が学生時代にバイトをし始めた頃は仕事を辞めるという決断と、辞めても多くの仕事に巡り合えるという実感というこの2つをえられる日が来るなんて思いもしていませんでしたから 。あれから10年ちょっとで仕事を辞めようと決断して、もっといろんなことやれそうだぜって思えていることにみんなすごく喜んでくれました。加えて思うのは、経営者って2つの人種だなと思っているんです 。自分を出すのが苦手な人と人に頼るのが苦手な人 。
この2つの人種の人たちが、 何か神様の思し召しで経営者になるんです 。経営者になって初めて人前で泣けたり、 心をあらわにして 少し自分を出せる ようになる。経営者になって、自分だけでできることって限られてるなって気づき 周りを頼るようになる。経営って人生のカウンセリングみたいです。で経営者になって、俺は自分のことを出せるようになったなあって、周りの人を頼れるようになったなあって多くの人に思って欲しいなーと思って。僕自身は、障害を持ったことよりも経営者になって人を頼れるようになったし、経営者になってすげえ自分らしさが開花した感覚があるので。なんかそんなのもやっぱ経営者って仕事に誇りとロマンを感じますね。

成澤:リーダーの仕事って決断の仕事なんです。でマネージャーの仕事は判断の仕事です。リーダーは目の前に2割と8割だったら2割を取れる大胆さが大事なんですよね、これが決断です。マネージャーの仕事は目の前の6割4割だったら 多い方の6割を取れる冷静さが大事なんですよね 。リーダーが判断しだしたら組織がちっちゃくなるし、マネージャーが決断を始めると組織がバラバラになるんで。自分は決断が得意なんだっけ?判断が得意なんだっけ?このチームには決断ができる人がいるんだっけ?判断ができる人がいるんだっけ?というのは、多分考えるべきだなと思う。リーダーの仕事はやらないことを決めることなんで、やりたいことを決めることはリーダーの仕事ではないと思っています。前進しているリーダーや経営者たちはやらないことが決まっている、それがすごい大事かなというのは、日頃色々な経営の伴走をしていて思います。

花梨:“出来るようになったらやるんじゃなくてやったからできる”っていうのはその通りだなって感じて、やってみるハードルを下げるっていうことが、先程職場とかの話では仕事の話でおっしゃっていたと思うんですけれども、その周りとか環境とかがハードルを下げていくこと以上に、自分自身で心のハードルを上げてしまったりするっていうことがあるなと思っていて、そういう心理的なハードルは自分で下げられたりできるものですか?

・人使いが荒い友達を持つといい

成澤:1つに、こういうことで大事だなと思うのは人使いが荒い友達を持つことだと思うんですよ。その人使いが荒い人っていっぱいパス出してくれるんです。彼らはこっちがで準備ができてるとかこっちにとってできそうとかあんまり考えてないから 、振り回してもらうみたいなことは大事かなと思います。経営とか人生みたいなところだと、人生って毎日が2勝3敗だと思っています。 今日やったことを振り返りましょうってtodoリストを確認するじゃないですか 。やった事を確認してるのに、結局やれなかったことが多いんです 。だから会社から帰っても、これができなかった、あれもできなかったってテンションが下がって行きます 。その2勝3敗の人たちにちゃんと五回試合やってるよ、そして二回勝てているよって声をかけるのが僕にとってのメンタリングとかコンサルティングとかコーチングの仕事に近いかなと思ったりするんで。なんかその第三者にそうやって誉めて貰うことが大事でそんな仲間を持つことも大切だと思います。

沼田:今かろうじて泣かないでいますけど 、じっくり考えたら凄い泣けるなあ。だし、成澤さんは世界一明るいとおっしゃっているじゃないですか。一瞬でも世界一暗かった時間があったんじゃないかと思ってます。最初光しか判断できないっておっしゃっていたのがすごく象徴的だなと思ってて、成澤さんにはもう光しかないんだなって思いました。

成澤:でも結構光あるだけで充分なんですよね。俺いつもそう思うんだけどね。まあでも「世界一明るい視覚障害者」はクレドというか俺のお守りというか、俺の中の夢でありビジョンで、明るく生きて行きたいなというセルフブランディングみたいな要素もある。明るく生きた方が長く光見えるんじゃないかなみたいな感覚もあるし。でもこの言葉20歳くらいから使い始めて、今35です。 僕の病気は診断上は、40から60くらいで光を失うので、「成澤くんそろそろ暗くしても世界一明るい視覚障害者でいれそうだから」って数年前から言われたりするんですけど、暗くなってもこの言葉を言い続けられるかなみたいな感覚は1つあります。 暗くなった世界ってこんな感じかなと思ったのは、震災の時にガソリンスタンドも、コンビニも、自動販売機もいつも明るい光照らしているところが、ほとんど光がなかったんですよ。その時に夜中真っ暗になると、俺の将来こんな感じの人生かなってのはなんとなくわかりましたね。

花梨:そんな明るい成澤さんでもまだ花火は許せていないんですか?

成澤:そうそう。それは思うなあ。花火屋さんと仕事をしたいなとは思います。僕ね、人生で星を見たことがないので、星を作る側に回りたいなと思っているんです。車の運転をしたことがないので自動運転系の仕事もしていますけれど。この目が見えない僕ができなかったものをテクノロジーやビジネスでやりたい。だから星をつくるエールの仕事いつかできないかなって強く思っているんです。

■ENDING

沼田:本当に金言ばっかりでした。私、周りを使い倒しているんです。
自らで何もしていない。自分が世の中に提供できる価値を最大化しようとした時に、私はきっと自分で1つのものを作り込むよりも、いろんな人と細かく連携して、お話しして、無駄を愛しながらいつの間にかでっかいものを作っていたみたいなふうでありたい。100メートル走でオリンピックレコードは出せないけれど、その競技を作ることはできる。オリンピックを作った人ってすごいなと思います。100メートルを定義してルールを決めた人がウサインボルトよりすごいと思う。創造をし続けたいなと思っていたので、その創造の大先輩成澤さんに言わば秘話を聞いたわけです。真髄を伺えました。ありがとうございました。

成澤:最後に僕の好きな言葉をお伝えしたいなと思います。“未来とは修正できると思えた過去である”と言う言葉です。未来ってイノベーターがつくるものでもなんでもないと思っていて、僕らが人生の過去や課題に蓋をしていることってたくさんあると思います。サラリーマンの人生ってこんなもんだよな。今の僕にできる経営ってこれくらいだよなって。今日僕の話を聞いてもらって、蓋をしていた過去や課題を少しでもあけてもらえたのであれば、僕は嬉しいです。あけた瞬間に未来って見えるのだと思います。しんびじの仲間と一緒だったらできそうだなとか、僕とだったらできそうだなと思って、その気づかないフリをしてた、どうせ無理だと思って蓋をしていた過去や課題が開けられ、“未来とは 修正できると思えた過去である”っていう言葉がぴったりな90分になったのであれば僕は嬉しいなあと思っています。ありがとうございました。

◼️あとがき

こんにちは。たまにしんびじでMCしたり、ショートコーナー作らせて頂いてる徳山千紘です。今日で冬休みがおわってしまいます。さて、配信を見た感想をかきたいとおもいます。↓

文字起こししながら泣きそうになったり、笑ったり、優しい気持ちになったり、感動しました。ほんとに映画を見てるようだった。そんな感動を語りだけで与えられる成澤さんの言葉のパワーは凄いなと思いました。そして成澤さんの話したいくつかのエピソードは唯一無二でした。目が見える私は喉が渇いているときに、自動販売機で柿ピーを買うとか、1人でアフリカを10日間旅した武勇伝を語り、人に勇気を与えることはできないし、きっとこれからも聞き手として想像しかできないのです。勿論目が見えないことは、成澤さんにとってバリアとなることの方が多いと思うけれど、どこかその唯一無二の体験をエピソードとして話すことで、体験が価値となって私のような視聴者がエンパワーメントされるバリューになっていると思ったら、成澤さんのマイナスをプラスに変える力はすっごいな!って改めて思いました。同時に、”どうにもならないことに慣れている”のが強みだといえる成澤さんは本当に強いなと感じました。ブッダみたいなことをおっしゃるすごい方だなって。些細な事に落ち込んだり怒ったりして、受け入れ俯瞰する間も持たずにただ感情に流されたりしちゃう自分見直さなきゃって思いました。最後に、配信を通して感じたのは成澤さんのブレない軸です。判断基準とか価値基準がすっごい定まっていて何を話しても筋が通ってて、かっこいいなと思いました。成澤さんの話もっともっと色んな人に読んで/聴いて頂きたい、、ありがとうございましたっ

千紘








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